シャツを通じて、カンボジアに夢と自立を。実家の倒産、死への危機感から決めた自分の道。

カンボジア・プノンペンにてテイラーと協業し、世界にひとつを作るシャツブランドを運営する浅野さん。幼い頃から家業を継ぐつもりで育ったと話す浅野さんが、カンボジアの発展のために海を渡るまでには、一体どのような背景があったのでしょうか?

浅野 佑介

あさの ゆうすけ|カンボジア発のシャツブランド運営
カンボジア プノンペンにてテイラーと協業し、"世界にひとつ"を作るシャツブランドSui-Johを運営する。

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家業の倒産と世界の広がり


僕は愛知県に生まれ、アルミホイール、アルミ製品の製造工場を営む家庭で育ちました。
幼い頃から、「お前は4代目だからな」と言われて育ったこともあり、
継ぐことが当たり前だと考え、学生時代はなんとなく過ごしていました。

高校生になっても、仲が良い友達が大学に行くから自分も、という調子で、
将来家業を継ぐことも考え、経営学部に進学しました。

そんな経緯で進学したため、大学に対してもモチベーションは低く、
授業はタスクとしてこなし、サークルも入らず、
何の思い出も残らぬ日々を過ごしていました。

「何やってるんだろう、これでいいのかな?」

という、半ば自分への絶望感を感じていましたね。

そんな日々を過ごしていた大学2年生の時、
9.11のテロの影響を受け、輸出入先の倒産の煽りを受け、
実家の家業が倒産してしまったんです。

数日間家に帰れない日が続いた後、急に環境ががらっと変わり、
お弁当3個を8人家族で3食に分けて食べる用な生活が始まりました。
お金って怖いなという感覚を抱くと同時に、どこか安心したような部分もありました。
自分がやりたいことを探したいという気持ちが出てきたんです。

そこで大学を辞めようとしたところ、
親から大学だけは出ておけと言われ、奨学金を借りて引き続き大学に通うことになりました。
しかし、そんな背景があったため、
以前にも増して大学の授業を無駄だなと感じてしまうようになり、
ふと、海外に行ってみようと考えるようになったんですよね。

そこで、20歳の夏、オーストラリアに1週間1人で行ってみることにしました。
最初はとにかく不安も大きく、死ぬかもしれないという覚悟で出発したのですが、
現地での体験を経て帰ってきてからは、どこか世界が開けた気がしました。
単純に、日本人以外にもいるんだなというところから始まり、
真夏のクリスマスに驚いたり、季節や文化の違いをリアルに感じ、

「世界って広いんだな」

と感じるようになったんです。
そこで、次の休みにはタイ・カンボジア・ベトナム・マレーシアを回ってみることに決めました。
中でもカンボジアの印象は特に良いものでした。
出会った人々の心がすごく豊で、まるで日本の昭和みたいな雰囲気があり、
村の子ども達とのコミュニケーションの時間も非常に素敵なもので、
とても魅力を感じたんです。

就職活動への違和感からワーキングホリデーへ


そんな海外での体験を経て、帰国後は就職活動の時期を迎えました。
しかし、皆同じ服を着て興味の無い会社に迎合するような姿勢をとる、
まるでロボットのような人たちに、

「こんな風に就職するのであれば、自分じゃなくても良いでしょ」

と感じるようになりました。
しかし、特別やりたいことも決まっていないため、
まず周囲と同じことをするのをやめて、卒業後は海外への関心から、
オーストラリアにワーキングホリデーに向かうことにしたんです。

一度訪れたことはあったものの、それでも新鮮なことばかりで、
多様な人・考え方に出会うたびに、価値観の器が、
おちょこ位の大きさから、25メートルのプール位に広がるような感覚がありました。

その後、帰国後はそれまでの生活とのギャップから、日常の刺激に物足りなさを感じながらも、
所属先を見つけねばと思い、元々本が好きだったため、出版社に就職することにしました。

実際に働いてみると、仕事は楽しかったものの、
色々な難しさも感じましたね。
本当に自由な物書きはできないんだな、と業界の裏側を見る機会となりました。

そんな風に仕事をしている間も、海外に行きたいという思いは常にありました。
しかし、出版社の給料ではお金が中々貯まらないということもあり、
ちょうど、担当していた雑誌が休刊になったタイミングで、転職することに決めました。

次の職場はシステムの管理構築を行う会社でした。
この会社は夜勤もあるため給料が高く、また、海外とのやりとりもあったので、
英語が使える環境だったんです。
上司の愚痴を言いながら、夢なく淡々と仕事をこなすというような環境だったこともあり、
居心地は良かったものの、ずっと務めようとは思わず、
海外の大学院に行こうかなと、ぼんやりと考えながら過ごしていました。

死を意識した先に浮かんだ、カンボジアへの思い


そんな生活を過ごしていた26歳のある時、
仕事帰りに駅で突然倒れてしまい、気づいたらベッドの上、足下に母親がいました。
そのまま入院し、検査をしてみると、脳動静脈奇形と言う脳内の血管の奇形が生まれつきあったようで、
その影響だということが分かったんです。
そのまま手術を行い、経過観測をすることになりました。

すると、半年後のある日、とんでもない頭痛で目が覚め、病院に運ばれたんです。
そして、意識が戻ってみると、運ばれた日から2週間ほど会話はしていたとのことなのですが、
記憶が無かったんですよね。

「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。」

という、『ノルウェイの森』の一節を痛感し、
自分は何も残していないことに、満足して生きたと感じられるのだろうか?と、
自問を繰り返すようになりました。
同時に、今後の人生も何が起こるか分からないな、ということを強く感じました。

そんなことを考えていると、ふと、カンボジアの仲の良い子ども達の姿を思い出したんです。
そして、僕が好きだった、カンボジアらしさを残した形で、
国が発展することに、何か自分で貢献できないかと考えるようになったんですよね。

そこで、退院後、長期休暇を利用し、カンボジアを訪ね大学院巡りをしました。
そして、カンボジアの大学院に進学し、何か自分にできることをしようと決めたんです。

その後、諸々の手続きを終えて実際にカンボジアで生活をしてみると、
空気や砂塵が汚いため、衣服が汚れやすいことに気づきました。
僕は元々ファッションが好きで、特にシャツが好きだったのですが、
そんな環境にいると、洗濯しても汚れがとれなくなってしまったんです。

次第にそんな状況を苦痛に感じ、現地でシャツを作ってみようと考えました。
そこで、いくつか店舗を回ってみると、ある時は良い出来のものが買えたり、
またある時は着たくないような出来だったり、品質のムラが大きいことが分かりました。

そんな課題感から、自らシャツを作ってみようかな、と考え始め、
運良く経済特区の日系工場で型紙を作ったり、技術指導している日本人の方に出会い、
応援してもらえることになったため、テイラーメイドシャツのブランドを立ち上げることに決めたんです。

ブランドの名前は“Sui-Joh ”とし、地球上の7割が海であるように、
水の上を伝ってつなげていく、人と人の架け橋になるようにという願いを込めました。

カンボジア人が夢を抱き、自立するための機会を


まず最初にしたことは、カンボジア人のテイラーさん達に
「なぜ1センチのズレがダメなのか」など、目指す所を理解してもらうことでした。
日本とは常識が違いすぎることもあり、
テイラーも工房も従業員も、相互理解を得ることに、とにかく苦労しました。
それでも、これからのカンボジアのためにという思想に共感してもらい、
提携先も見つかり、シャツだけでなく、鞄等の製造・販売もできるようになりました。

現在は、そうやってカンボジアで生産した商品を、
外国人観光客に販売したり、お土産物屋に卸したりしています。
そして、今後は、日本にアンテナショップを作りたいという気持ちがあります。

というのもカンボジア人が望めば、Sui-Johの延長線上として、
選択肢の一つとして当たり前に日本で働けるようにしたいと思っているんです。
カンボジアのテイラーは低所得層が多いですが、もし彼らが日本で働くことができれば、
お金も貯まるし、生活が変わり、今度は彼らが周りに夢や希望をふりまく側になると思います。
そうすれば、カンボジアの人も夢を抱き、支援という形ではなく、
自立的にモチベーションを上げることができるんじゃないかと思うんですよね。

正直、現在カンボジア人はメイドインカンボジアの商品を買いたがりません。
しかし、そうやって人々が自立する機会があり、
ものづくりの質が上がることで、カンボジア人も良いものが作れるという意識を作りたいですね。
だって、作れるのですから。

そうやって、プノンペンが、そしてカンボジアが変わるところを見届けたいなと考えています。

2015.02.25

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