エンジニアに「会社員とフリーランスの間」を。
俳優、地方選挙を経て見いだした存在理由。

金子 周平さん/エンジニアの新しい働き方を創出する派遣事業運営

はてぶ

「エンジニアに自由な働き方と創造の場を」という理念のもと、会社員とフリーランスの間の新しい働き方を提唱する金子さん。高校を卒業後、俳優を目指していた金子さんがどのような経緯でエンジニアとなり、独立することになったのか、お話を伺いました。

24歳、俳優の夢を諦める

僕は、東京都の清瀬市に生まれ、地元の中学高校に通いました。

高校1年生のある時、友達に薦められて聴いたラジオ番組で、
その番組に出演するオーディションの募集があり、
好奇心からそのオーディションに応募してみることにしてみました。
すると、思いのほかとんとんと進み、ラジオに出演することになったんです。
番組中に電話がかかってきた時は、本当に驚きましたね。

その後、ラジオだけでなく、芸能事務所に所属するようになり、
俳優業にも取り組むようになりました。
それからは、学校の授業や所属していたサッカー部と両立して、週末は俳優の養成所に通う生活を始め、
忙しいながら、やりがいのある日々を過ごしていました。

単純に目立ちたがり屋ということもありましたが、
特に、ある役柄を演じる際にその心情を作り込むのがとても好きで、
色々と想像して入り込むということが、自分の関心に合っていたんですよね。
高校を卒業する頃には、自然な流れで将来は俳優としてやっていこうと決めました。

その後、卒業後は芸能事務所に所属し、
すぐに単発ドラマの主演に抜擢していただいたんです。
それ以来、他の機会にもつながっていき、仕事が広がっていきました。

しかし、24歳になり、結婚をすると、
年齢的にどこまで俳優業にコミットすべきか、迷うようになってしまったんです。

ずっと続ければ機会はあるものの、長引くほど、他の生活には戻りにくくなる感覚もありました。
特に、「周りも働き始めた中、自分はこのまま夢を追えるのだろうか?」と疑問に感じたんですよね。
全く社会人経験がないことへの不安もありました。

そんな風に色々と考えた結果、僕は、俳優を諦め、就職することに決めました。
とりあえず働いてみて、仕事が担保できるようになったら、また挑戦しようという感覚でしたね。

30代を迎え、考えだしたアイデンティティ

シェアして応援