ニューヨークで映画に挑戦してきた僕の半生。いつかはアカデミー賞も、カンヌの舞台も。

映画監督として長編映画の製作や、テレビの旅番組の映像監督を務める細井さん。ニューヨークを拠点に活動していたところから、突然の帰国を余儀なくされた経験もあるものの「日本に帰ってきたことを今ではポジティブに捉えている」と語る細井さんにお話を伺いました。

細井 洋介

ほそい ようすけ|映像監督
映画、コマーシャル、ミュージックビデオの監督、撮影監督として活動している。

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ブログ「世界を旅しながら 〜映画監督になるまでの軌跡〜」
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日本ではなく海外の大学を目指す


私は埼玉県で生まれました。
小さい頃から好奇心旺盛で、絵や音楽、写真やファッションなど、年齢に応じて様々なものに興味を持って行きました。
人と違うことをするのが好きな子どもでしたね。

中学3年生の時には、安く留学に行ける地域のプログラムを見つけ、ニュージーランドに行きました。
少し不安な気持ちもあったけど、人と違うことをしているのが好きだったんです。
そして、初めての海外は衝撃的でした。
英語が通じないもどかしさを感じつつ、日本とは全てが違う世界の広さを感じて、「もっと知りたい」という気持ちが湧いてきて、
高校1年生の時にも再度ニュージーランドに行きました。

その後、3年生の受験期になると将来について考えるようになり、
総合芸術と呼ばれる映画であれば今まで興味を持ったことを統合できると思い、将来は映画の仕事をしたいと考えていました。
また、周りはみんな日本の大学に進学するので、それなら他の人とは違う道として海外に行きたいとも考えていました。
しかし、学校の先生や塾の講師に反対されていたので、違和感はありつつも受験勉強は続けていました。

ところが、英文科に進んでも英語を喋れるようにならない人の話はよく聞いていたし、
海外の大学に行けば、英語力だけでなく、国際的感覚や映画の技術など、付随して身につくことも多いだろうと考えたんですよね。
そして、自分の人生なんだから信じる道に進もうと、試験直前の12月の終わり頃に海外の大学を目指すことに決めたんです。

不安もあったけど、大口を叩いて宣言することで、逃げ道をなくして自分を奮い立たせていきました。

映画でも生きていくことができる


そして卒業後、留学準備のために東京の英語学校に通い始めました。
すると、たまたま映画学部では名門と言われる南カリフォルニア大学を出た先輩が、
映像ワークショップを開催していたので、友人と一緒に参加することにしました。
技術的なことなどを教えてくれるというより、とにかく自分達で手探りの状態で映画を撮影し、編集してみるという実践的なものでした。

上映した時は、自分達なりには「すごいものができた」という感覚がありましたね。
また、見てくれたお客さんも沸いていたので、もっと映画を本格的に学びたいと思うようになりました。
どうせ学ぶなら、世界一の映画産業のあるハリウッドで学びたいと思い
留学先はハリウッド付近のサンタモニカ・カレッジに決めて、ついに19歳の時にアメリカに渡りました。


大学では、映画とビジネスどちらも専攻して学んでいきました。
映画一本で行くには不安もあり、念のためビジネスも学んでおこうと考えていたんです。
そんな状況だったので、映画もビジネスもどちらも中途半端な成績でした。

ただ、ハリウッドでは映画に関わる仕事をしている人にたくさん出会うことができました。
映像作家、脚本家、照明など、それぞれの得意分野でみんなプロとして生計を立てていたんです。
その人たちを間近で触れ合うことで、映画を趣味で終わらせなくていいと実感でき、
半年ほど経ちやっと腹をくくり、映画だけに専攻を絞ることができました。

ある意味退路がなくなってしまったので、やるしかないと火が着いた瞬間でもありました。

ニューヨークでゼロからの再スタート


映画の世界にのめり込んでからは、学校で学びつつ、現場での経験もさせてもらうようになりました。
すると、多くの監督は役者を活かしきれていないと感じました。
しかし、その中でも一人の監督は、まるでマジシャンのように役者を奮い立たせ、感情をうまくコントロールしていたんです。
その人の話を聞くと、自分自身が演劇を4年ほどやっていたので、
どうしたら相手に伝わるか、寄り添ったコミュニケーションできるということでした。

そこで、私も演劇学校に入ることにしたんです。
ただ、そもそも演劇自体やるのは初めてだったし、
留学2年目で英語で生活はできるものの、他の人の所作まで気は回っていなかったので、役を演じるのは大変でしたね。

そして、2年で大学を卒業した後は、撮影現場で仕事をするようになっていきました。
雑用から始め、カメラや照明、音響など、映像を作る上での基礎を徹底的に叩きこむことができました。

その後もどこかの大学に編入して専門的なことを学びたいと考えていたので、1年ほど経ちニューヨークに移ることを決めました。
一度遊びに行った時、その雰囲気が自分に合うと思ったんです。
ロサンゼルスでできた人脈を失うのはもったいないと思うこともありました。
しかし、若い内に世界を広げなければと思い、23歳の時にニューヨークでゼロから再スタートすることにしたんです。

そして、少数精鋭1学年25人という入学試験をパスすることができ、
ニューヨーク市立大学シティカレッジの映画製作科に進んで学び始めました。

映画は一人では作れない


クラスは映画製作の専攻なので、映画監督を目指している人が集まっています。
しかし、あたり前ですが、全員監督だと作品は作れないので、
課題毎にポジションを変えたり、お互いの制作に別のポジションで協力したりしていきます。
すると次第に「誰が何を得意か」がなんとなく決まっていき、
卒業制作を作る時などは、どのクルーを集めるかが重要な戦略になってきます。

映画を作るときは、まずは脚本を持ち寄りみんなを説得していきますが、
映像や絵ではなく文字で伝えなけれなならず、私はそれが苦手でした。
長年アメリカにいるといっても、やはりネイティブほど言葉で伝える力はなく、
また幼い頃から主張することに慣れた彼らには太刀打ちできなかったんです。

これは自信を失うと共に、かなり焦りました。
25人の中ですら勝ち残れないのであれば、将来プロとして通用するはずがないし、
卒業制作で良い結果を出さなければ仕事を見つけることはできないし、ビザだって取れずに帰国を余儀なくされてしまう。

そこで、クラス内で確実に自分の発言権を強めていくためにも、まずは自分が得意な分野を磨くことにしました。
幸い、撮影や照明をコントロールしていく絵作りには自信があったので、
そのポジションで力をつけて周りを手伝っていくことで、自分への評価も変わっていったんです。
それまでだったら流されてしまっていた意見も、
「英語でニュアンスをうまく伝えられていないだけで貴重な意見かも知れない」と聞く姿勢が変わりました。

そして、卒業制作もかなり良いクルーで作ることができ、
結果的にニューヨークやロサンゼルスの映画祭に入賞することができ、
最後はカンヌ国際映画祭のショートフィルムコーナーにて上映することができました。

大学に3年間通いながら着実に現場での人脈もつけ、卒業制作も追い風になり、
様々な仕事をもらえるようになり、順調にニューヨークでキャリアを積んでいくことができました。

面接官の一言で決まる人生


とは言っても、フリーの身である以上、一回毎の現場が勝負。
もし「あいつはダメだ」と思われてしまったら次の仕事は来ないので、
慢心しないようにと、常に自分を戒めるように心がけていました。

そして卒業後1年半ほど働いたタイミングで、アーティストビザへの更新タイミングになりました。
弁護士にも「今の実績なら大丈夫だろう」と太鼓判を押してもらい、カナダのモントリオールに更新の面接に向かいました。

しかし、面接で「君はまだ映画監督として十分じゃない」と言われ、ビザの更新をすることができなくなってしまったんです。

「この仕事の実績でもまだだめなのか」と落胆するとともに、いつかこの人を見返せるような結果を出したいとも感じました。
ただ、それ以上にビザを更新できなかったことがショックでした。

ビザが切れてしまってはニューヨークにも戻ることができず、仕方なく日本に戻ることに決めました。
出発の日までは、ナイアガラの滝などに行きながら呆然としていましたね。
あの面接官の一言で、人生とはこんなにも変わってしまうものなんだと。

映画監督としても全否定された気がして、日本に帰ってからも全てが嫌になってしまっていました。

そんな時、改めて自分自身を見つめ直し、視野を広げるため、また旅に出たいと思いました。
というのもこれまで自分に多くのインスピレーションをくれたのは学生時代にたくさんした旅だったからです。
そこで、これまで培った映像のスキル、英語と国際的な感覚、そして旅、これらを統合して何か出来ないかと考え、
辿り着いた答えが、旅番組だったのです。
多くの人がもっと色んな世界を見てみたいと思えるような映像をつくろうと決めました。

それまでは海外でしか働いたことがなかったので、日本での働き方を学ぶなら今しかないとも思っていました。
友達が旅番組のプロデューサーを紹介してくれ、まずはエジプトの政府観光局と組んでの旅番組を撮影させてもらえることになったんです。
そこから繋がり、南アフリカ、フィリピン、ルーマニア、サイパン、インドネシア、コンゴ、カナダなど、
次々に仕事をもらえるようになりました。

カンヌもアカデミー賞も長編映画で


そして、今は旅番組を中心としたテレビ番組を作りながら、長編映像の企画も始めています。
私は旅が好きなので、楽しみながら番組を作っています。
旅の醍醐味は、国毎に違う、伝統芸能、文化、食事、建築、音楽などの上に成り立っている今の生活を知れることですかね。
そして、自分自身が感動している瞬間が、一番いい映像も撮れるんです。
そんな映像を見て、多くの人が自分も旅してみたいと思ってくれたら嬉しいですね。

日本に帰ってきた時は就職も考えたのですが、フリーの仕事を紹介してもらい、
幸いそれが途切れなかったので、今はこの生活を気に入っています。
日本の現場でも色々と経験させてもらいながら、実績を積んでいけたらと思います。

そして、旅番組はライフワークとして撮り続けたいと考えているけど、
やはり長編映画にも挑戦していきたいと考えています。
カンヌにも長編作品で戻りたいし、アカデミー賞も狙っています。
ニューヨークにも必ず戻りたいと考えているので、今はそのチャンスを伺っているところです。

また、近い将来、パリに拠点を移してVOGUEなど、ファッション映像を撮っていきたいとも考えています。
色々な場所に住んでみることで、常に視野を広げ、感性を磨いて行きたいんです。

常に新しい世界に挑戦していくことが楽しいし、成長を実感できる瞬間ですね。
生活できるか分からない、その不安もあるようなぎりぎりの場所にいるのが好きなんです。

そして、多くの人に自分の可能性を気付いてもらえる、そんな映像作品を作っていけたらと思います。

2015.02.16

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