私は、東京に生まれ、吟詠吟舞錦凰流という、吟詠(詩吟)と、剣詩舞という日本刀や扇子をつかった古典舞踊を行う流派の、3代目の跡継ぎとして育ちました。お腹の中にいる時から詩吟を聴いていて、初めての舞台は3歳。簡単な振りをしただけで、宗家やお弟子さんに褒められるような環境でした。

しかし、私自身、舞踊はあまり面白いものではなかったんです。というのも、私の母親は全国でも有名な舞踊家で、周囲からも別格扱いで、「お母さんはあんなに華があるのに…」「お母さんは一回で覚えるのに…」と、母と比較されるのが嫌だったんですよね。

ところが、宗家の考えで小学校5年生から、日本舞踊の稽古を始めると、のびのび取り組ませてくれる先生や、優しい姉弟子、稽古場のおいしいご飯に惹かれ、段々と通うのが楽しくなっていきました。

また、小学生の頃から詩舞のコンクールに出場するようになり、東京大会ではずっと優勝することができました。その先の東日本地区大会では入賞も出来ないような実力でしたが、特別向上心が無かったため、「東京で1位だからいいじゃん」という調子でしたね。

しかし、高校生になると、母から、そろそろちゃんと稽古をしたらどうかと勧められたので、初めて、本気で稽古をした上で、コンクールに参加することにしたんです。

ところが、迎えた本番、稽古を重ねたのにも関わらず、結果は変わらず、全国大会に行くことは出来なかったんです。それまでとはまるで違う気持ちで望んだ分、「なんだこの違いは」と感じるほど悔しかったですね。

また、ちょうど同じ時期にmixiを通じて、同い年にもかかわらず全国優勝をしている学生と知り合う機会がありました。正直、それまで自分は業界でも若くてちやほやされていました。しかし、同じ年齢で、自分よりも上手い奴がいるんだ、ということに憧れを感じるようになり、それまで以上に踊りにのめりこんでいくキッカケになりました。

その後、周りから期待されながらも全国大会に進めない苦しい日々を過ごし、19歳、大学1年生の時初めて東日本で3位の成績を残し、全国大会に出場することができました。結果を見てほっとしたのも束の間、それからは憧れの友人と同じ舞台に立つことへの思いから、一層稽古に熱を注いでいきました。

そして、全国大会本番では、憧れの友人が全国優勝。私は入賞もすることができませんでした。

それでも、全てが終わった後、彼女と話をしていると、「君も上手かったよ」と言ってもらえたんです。

そこで、なんだかそれまでの努力が報われたような気がしました。彼女に対等に扱ってもらったことが、本当に嬉しかったんです。

他にも、様々な先生方からも、「あんなにいい踊りをするのに、なぜ今まで全国に来なかったの?」という評価をいただき、自分の自信にもつながっていきました。