「吟詠吟舞錦凰流」を10万人の流派に!生まれながらの3代目が葛藤の先に掴んだもの。

新薬開発の会社で勤務する傍ら、吟詠家・舞踊家として錦凰流の3代目として、流派の発展のために活動を行う荒井さん。吟には興味がなかったという幼少期から、様々な葛藤を経て、海外公演を成し遂げ、流派を10万人規模にしたいと語る現在に至るまでには、どのような背景があったのでしょうか?

荒井 龍凰

あら りゅうおう|吟詠家・舞踊家
吟詠吟舞錦凰流三代目の吟詠家・舞踊家として、
吟詠と剣詩舞という日本刀や扇子をつかった古典舞踊を広めていく活動を行う。

SAMURAI EXPERIENCE TOKYO 吟詠吟舞錦凰流 三代目 荒井龍凰

悔しさと憧れから、舞踊に没頭していく


私は、東京に生まれ、吟詠吟舞錦凰流という、吟詠(詩吟)と、剣詩舞という日本刀や扇子をつかった古典舞踊を行う流派の、3代目の跡継ぎとして育ちました。お腹の中にいる時から詩吟を聴いていて、初めての舞台は3歳。簡単な振りをしただけで、宗家やお弟子さんに褒められるような環境でした。

しかし、私自身、舞踊はあまり面白いものではなかったんです。というのも、私の母親は全国でも有名な舞踊家で、周囲からも別格扱いで、「お母さんはあんなに華があるのに…」「お母さんは一回で覚えるのに…」と、母と比較されるのが嫌だったんですよね。

ところが、宗家の考えで小学校5年生から、日本舞踊の稽古を始めると、のびのび取り組ませてくれる先生や、優しい姉弟子、稽古場のおいしいご飯に惹かれ、段々と通うのが楽しくなっていきました。

また、小学生の頃から詩舞のコンクールに出場するようになり、東京大会ではずっと優勝することができました。その先の東日本地区大会では入賞も出来ないような実力でしたが、特別向上心が無かったため、「東京で1位だからいいじゃん」という調子でしたね。

しかし、高校生になると、母から、そろそろちゃんと稽古をしたらどうかと勧められたので、初めて、本気で稽古をした上で、コンクールに参加することにしたんです。

ところが、迎えた本番、稽古を重ねたのにも関わらず、結果は変わらず、全国大会に行くことは出来なかったんです。それまでとはまるで違う気持ちで望んだ分、「なんだこの違いは」と感じるほど悔しかったですね。

また、ちょうど同じ時期にmixiを通じて、同い年にもかかわらず全国優勝をしている学生と知り合う機会がありました。正直、それまで自分は業界でも若くてちやほやされていました。しかし、同じ年齢で、自分よりも上手い奴がいるんだ、ということに憧れを感じるようになり、それまで以上に踊りにのめりこんでいくキッカケになりました。

その後、周りから期待されながらも全国大会に進めない苦しい日々を過ごし、19歳、大学1年生の時初めて東日本で3位の成績を残し、全国大会に出場することができました。結果を見てほっとしたのも束の間、それからは憧れの友人と同じ舞台に立つことへの思いから、一層稽古に熱を注いでいきました。

そして、全国大会本番では、憧れの友人が全国優勝。私は入賞もすることができませんでした。

それでも、全てが終わった後、彼女と話をしていると、「君も上手かったよ」と言ってもらえたんです。

そこで、なんだかそれまでの努力が報われたような気がしました。彼女に対等に扱ってもらったことが、本当に嬉しかったんです。

他にも、様々な先生方からも、「あんなにいい踊りをするのに、なぜ今まで全国に来なかったの?」という評価をいただき、自分の自信にもつながっていきました。

三代目を継ぐ決意と、人が集まらないモヤモヤ


18歳で、人に詩吟を教えられる師範免許を取得したため、高校に、吟詠部を作り、友達を稽古場に呼んでみるようになりました。こんな風にコミュニケーションがとれるんだ、という新鮮さがあり、教えられるものなら、教えてみたいなと思い、都内の私大に進学してからも、吟剣詩舞サークルを作ってみたんです。

ところが、いざサークルを立ち上げてみても、全く人が集まりませんでした。やっと来てくれた人も、一回刀を見に来てもう来ないということばかりで、結局、私以外に定期的に参加してくれたのは1名だけでした。

何が悪いのか全く分かりませんでしたし、やはり昔のものなんだろうな、と後ろ向きに感じることもありましたね。

また、ちょうど同じ時期に友人の紹介で、イギリス人の方が主催していたナイトピクニックというイベントに参加する機会がありました。そのイベントは、毎週火曜に社会人が数十人集まって、色んな国の人と交流をするような団体の企画で、皆、社会人として仕事をしながらも、スノボーをしたりバーベキューをしたり、とても自分の人生を楽しそうにして生きていたんです。この人たちは、人生のプロだなと感じるとともに、そうやって遊んでいることが楽しかったからこそ、余計吟への気持ちが離れていく時期もありました。

そんなある時、そのコミュニティにいた慶應大学の女の子の紹介で、大学の教授に誘われ、留学生に向けて、剣詩舞の講義をすることになったんです。予期せぬ機会に、最初はすごく不安で怖かったですね。実際に講演をしてみると、「吟詠の魅力とは?」とか「どんな歴史なんですか?」とか、たくさん質問をもらないながらも、自分では答えられないことばかりで、自分は自らの流派のことを全く知らないんだな、と痛感しました。

ちょうど20歳を迎え、宗家から話をいただき、正式に錦凰流三代目になることを決めたため、自らが上手いだけではなく、流派を広めていけるようにならなくては、と考えるようになっていったんです。

その後も、大学や稽古・遊びを両立し、充実した日々を過ごすことが出来ました。ただ一つ、大学でつくった吟剣詩舞サークルに人が集まらなかったことだけが、最後まで心残りでしたね。

「自分は東京代表なのに、なぜ人が集まらないのだろう?」

そんなもやもやを抱えたまま、卒業を迎えたんです。

不安を乗り越えて得た仲間


大学を卒業後は新薬開発を行う企業にて、サラリーマンとして働き始めました。

もともと、何もしていない人が「家元」とか「宗家」と呼ばれ、先生のように振る舞うことに違和感を感じていましたし、今後自分が弟子を取る段階になった場合も、サラリーマンの方が多いだろうと思い、絶対に一度は社会に出ようと決めていたんです。特に、大手企業の新卒教育を受けてみたいという気持ちから、東証一部に上場している会社に入社を決めました。

実際に社会人になると、仕事で出会う方は皆目標を持った熱い人で、とても刺激をうけましたね。そこで、自分でも、吟詠に注いでいる熱をどのようにしたら人に伝えられるか考え、とにかく立ち止まらずに動くことを繰り返しました。いただいた講演の機会では大きなことを言ってみるようになり、反響も比例して大きなものになっていきました。

ただ、言った手前行動に移さないと、という思いもあり、入社した会社でも「吟詠部を立ち上げたい」と、社長に直談判してみることにしたんです。そもそもそ取り組み自体新しいものでしたし、大学時代の苦い思い出もあり、正直、新しいことを始めるのに、不安は大きかったです。

それでも、失敗した経験をもとに、相手目線で考えることを心がけるようになり、コンクール等、競技思考の吟詠でなく、仕事の息抜きの場として、部活を利用してもらおうと考えたんです。そこで、会社にも許可をとり、全てのビルにチラシを貼って回ってということを繰り返しました。

すると、1年経たずして、10人のメンバーに集まっていただいたんです。協力してもらえる仲間に出会うことができ、本当にありがたいな、と感じました。

改めて考えると、やはり、大学時代は自分に目がいっていたんですよね。自分の熱を一方的に伝えるだけで、相手が欲しい答えを出せていなくて、大学4年間ではそこに気づけなかったということを、身をもって認識しました。

国・業種を超えて、錦凰流を広げていく


その後、再び慶應大学の教授に声をかけていただき、オックスフォード大学から来ている留学生を紹介してもらいました。そして彼女に踊りの話をしてみると、オックスフォード大学でも講演をしてみないか?と依頼をうけたんです。 

そして、その3ヶ月後には、実際に彼女が学校の許可を得て、講演の機会を設けてくれました。悩む気持ちもありましたが、行くことに決め、会社に10日間休みを取ることを依頼しました。

突然の話だったため、もちろん、「何言ってるの?」という感じでしたが、なんとか応援してもらい、イギリス渡航が決まりました。加えて、せっかくだからと、他にも日本語学科がある学校計3校での講演が決まったんです。

現地に到着し、学校を訪れ、講演を行った感想は、「とにかく熱量がすごい」というものでした。日本で1000人を超えるホールで舞踊を行うこともありましたが、40人の大学生の割れんばかりの拍手とキラキラした目、彼らが発する熱気は、それを優に上回るものでした。

そして、講演が終わり、「来てよかったよ」という心の底から言葉をもらった時は、素直にやってよかったなと感じましたね。「みんながいたからできたんだよ!」と相乗効果のように、日本の舞台では感じたことのない熱を感じました。

ところが、実は先代の先生がイギリスで講演をしたことがあるということを、帰国後に聞き、上には上がいるな、と感じましたね。だからこそ、もっと勉強し、流派の後継者として歩みだした道を突き進んでいかなければ、という思いがより一層強くなりました。

現在は、平日にサラリーマンとして働きながら、仕事の後と日曜日には、錦凰流発展のために、自身の稽古や一般の方への指導、若手の育成や舞台・講演等の参加を行っています。

今後は、錦凰流の発展のために流派の人数10万人を目指していきたいですね。そのためにも国境や・業種を超えた活動も行っており、直近ではピアノとオペラと剣舞のコラボレーションの舞台も実施しました。

そんな風に常に歩みを止めずに前進することで、錦凰流の発展の為に命を燃やしていこうと思います。

2015.02.12

ライフストーリーをさがす
fbtw

お気に入りを利用するにはログインしてください

another life.にログイン(無料)すると、お気に入りの記事を保存して、マイページからいつでも見ることができます。

※携帯電話キャリアのアドレスの場合メールが届かない場合がございます

感想メッセージはanother life.編集部で確認いたします。掲載者の方に内容をお伝えする場合もございます。誹謗中傷や営業、勧誘、個人への問い合わせ等はお送りいたしませんのでご了承ください。また、返信をお約束するものでもございません。

共感や応援の気持ちをSNSでシェアしませんか?