家や食事だけでなくつながりを見つけて欲しい。ホームレスの人たちと生きる意味。

日雇い労働者が集まる、いわゆるドヤ街と呼ばれていた「山谷地域」でホームレスの人のための無料診療や炊き出し、生活相談などの活動をする油井さん。「支援ではなく、支えあい」と語る背景にはどのような経験があったのか。新卒でNPO法人への就職という道を選んだ、油井さんにお話を伺いました。

油井 和徳

ゆい かずのり|ホームレス支援活動
NPO山友会理事。東京にある通称「山谷地域」で無料診療、生活相談、炊き出し・路上訪問などのホームレス支援活動を行う。

NPO法人山友会
無縁仏となってしまうホームレスの人々が入れるお墓を建てたい!

友達と一緒にいることが心地いい


私は埼玉県で生まれました。小さな頃から人を笑わせるのが好きで、ピエロみたいにおちゃらけていました。一方、人見知りでおとなしい一面もありました。

小学校ではバスケ、中学では卓球、高校ではサッカーと色々なことに取り組みました。しかし、自分の意思で「これがやりたい」と決めるのではなく、いつも何かを始めるのは友達の影響でした。友達と一緒にいるのが好きだったんです。高校から初心者でサッカーを始める人はあまりいなかったけど、先輩も友達も受け入れてくれ、心地よい居場所でした。

高校生活は、部活が忙しくて勉強は全くしていませんでした。また、数学の「一つの解にたどり着く」のがどうにも好きになれず、それよりは歴史のように解釈して考える学問が好きだったんです。

そのため、受験のためだけの「覚える」という勉強も好きではなく、特に将来やりたいことはないけど、みんな進学するから何となく受験勉強をしていただけでした。すると、現役では2つ受けた大学には合格できず、浪人することにしました。

その後、受験の終わった5月頃に、採点ミスで本当は合格だったというまさかの連絡をもらっても、浪人をしながら将来を考えようと思っていたので、その大学には行きませんでした。

そして、予備校にも通わずに、アルバイトをしながら少しだけ勉強していると、祖父が入院することになりました。時間があった私は、祖父に荷物を届けたり、お見舞いに行かされるようになったんです。すると、病院で看護師や介護士が働くのをみているうちに、将来自分も介護なんかができた方がいいのかと考えるようになり、福祉に興味が湧いてきました。

そこで、大学は社会福祉学科に進むことにしました。

初めての病気を持つ人達との交流


大学に入ってからは、先輩に誘われるがまま、筋ジストロフィーという病気を持つ人と交流するサークルに入りました。それまで、病気で不自由な人と接する機会はあまりなかったので、最初はどう接していいのか分かりませんでした。しかし、次第に「普通にすればいいんだ」ということが分かってきたんです。

「何かをしてあげよう」と一方的に話すのではなく、双方向のコミュニケーションで、普段友達と話すのと同じことでした。知らないからといって勝手に先入観を持つのではなく、まずは実際に関わってみる。その大切さを感じましたね。

またその他にも、子どもたちと一緒に、キャンプなどの野外活動をする団体にも所属していまいた。これは、夏に子どもたちにレクを教えている教授と、そのゼミ生で活動していたものを、多くの学生が参加できるようにサークル化したものでした。

私の場合は、子どもと遊んだり、外で遊ぶのが好きというよりも、そこに関わる教授や卒業生の先輩たちと一緒にいるのが好きでした。先輩たちと関わることで、社会で働くとはどういうことかを教えてもらえたりもして、年の離れた家族ができたような感覚でした。

また、教授はいつも、「人は縁によって生かされている」と話してくれ、いつどんな出会いがあるか分からないから、礼儀正しくいるようにと教えてくれました。教授には、「みんな仲良くやろうと思っているところが君のいいところだね」と言ってもらえたことがあり、嬉しかったしその環境の居心地が良かったんです。

ホームレスの人に抱く、身勝手な先入観


3年生になると、授業の一環でインターンシップに行く時期になりました。先輩の手伝いで高齢者施設や障害者施設、児童分野のボランティアなどには既に行ったことがあったので、ホームレスや貧困の人に関わる場所で働きたいと考えていました。父がケースワーカーとして生活保護に関わる仕事をしていたので、昔から色々な話を聞いていたのも影響していて、実情を自分の目で確かめたかった気持ちもあったんです。

そして、「山谷地域」と呼ばれる台東区と荒川区の間の日雇い労働者やホームレスの多く集まる地域で炊き出し等の活動をしている、NPO法人山友会でインターンをすることにしました。

最初の炊き出しに行く時は、正直不安で、怖いとすら思っていました。どんな人がいるのか分からない怖さだけでなく、食事を提供すること自体が相手にとっては失礼で、傷つけてしまう行為ではないかとの不安もあったんです。

ところが、実際に炊き出しに行くと、「ありがとう」と食事を受け取ってもらえたことが衝撃でした。それまでは自分の中で勝手にイメージを作り、無意識でも心のどこかで、根拠のない差別の気持ちがあったんです。そんな自分を許せないと同時に、どうして自分がこうなってしまったのかと疑問も湧きました。

また、それは自分だけではなく多くの人に起きていることだと感じ、しっかりとこの問題を考えたいと思ったんです。昔から差別など、理不尽な決めつけをすることに抵抗があったのも影響していたと思います。

4年生になると山友会で働くようになり、卒業後も就職することにしました。ある意味、思いよりも表現能力が評価されてしまう就職活動の仕組み自体に違和感を持っていたこともあり、自分を偽ってどこかに就職するよりも、主体的に選んだことに取り組みたいと思ったんです。

正直、先のことは考えてなく、とにかくもっと深くホームレスの人たちを理解したいと思い、3年間は働こうと決めたんです。

生きるために、生きがいを見つけること


実際にホームレスの人と話していくと、色々なことが分かってきました。よくテレビ等では「怠け者だから」今の状況になっていると言われていたけど、実際はみんなそれぞれの事情がありました。山谷には60歳70歳のホームレスが多く、集団就職で地方から出稼ぎに来た人や、戦争孤児、家庭環境や教育環境に恵まれない人も多くいたんです。

その世界を知るまでは、誰だって努力すれば報われると思っていました。でも、そもそもスタートラインが違うと、そうでもないことを実感したんです。十分な教育を受ける機会がないと、一生懸命頑張っても不安定な仕事に就くことしかできず、苦しい生活を続けなければならないこともあります。こうした社会の現実にも、しっかりと目を向けていかなければならないと思いました。

当初、私は、無料診療や炊き出し、住まいの提供、生活相談やサポートを提供し、お金、仕事、住まいの問題を解決すれば、ホームレスの人は幸せになれると考えていました。ですが、そうした問題をクリアしても、中にはその後路上生活に戻ってしまう人もいました。

一体それには何が原因なのかと考えてみると、そうした人の多くが「社会で生きていくことをあきらめてしまっている」ことに気がつきました。お金や住まいがあっても、家族や誰かのためだとか、夢や楽しみのためなどの「生きていく動機」がすっかり抜け落ちてしまっているのです。

家庭環境、病気、障害、不安定な仕事の連続、こうしたことの積み重ねで、自分自身に自信が持てず、自分は社会や人から必要とされていない人間だと思ってしまうのです。すると、生きる意味を見失い、その状況を一時的にでも忘れるために酒に溺れてしまったり、刺激を感じることのできるギャンブルから抜け出せなくなるのです。

だからこそ、「自分の存在を認められる居場所」や「社会の中での役割や生きがい」を見つける活動が大切だと、私自身も感じるようになりました。でも、そうしたものは私もそうですが、他人から与えられるものではなくて、きっと人との関わりの中で手に入れていくものなんですよね。

活動の中で、彼らがいるからこそできることはたくさんあります。一緒に活動を行うことを通して、他人から必要とされ、存在を認められる感覚、そうした喜びを感じて欲しいと考えるようになりました。

支援ではなく支えあいの関係


私たちの行っている無料診療や生活相談、炊き出しなどの活動で最も大切なのは、つながりのない人につながりを紡ぐ、そのきっかけだということだと思っています。

人は人と関わることで、初めて人間として生きていくことができます。「誰かのため」という気持ちや、夢や希望を見つけて、自分らしく生きていくための人とのつながりや支えあいをつくっていけたらと思います。支援というよりも、同じコミュニティの仲間として支えあうという感じですね。

また、ホームレスの人は亡くなってしまうと身寄りがないため無縁仏となることが多く、せっかくできたつながりも失われてしまいます。そこで、最近はクラウドファンディングも活用して、無縁仏になってしまう人たちのため、共同のお墓を立てるプロジェクトも始めました。

私たちはこれからも、人と人のつながりを築けるような活動を続けていきます。しかし、私たちだけでできることには限界があります。ホームレスの人が困っているのはこの地域だけではありません。

一昔前は山谷のように、特定の地域にホームレスは集まっていたけど、今は日雇いの仕事もネットで探せるし、ドヤでなくてもネットカフェ等、安価で宿泊できる場所も多様化してきたので、その分様々な地域に点在するようになったのではないかと思っています。

また、貧困状態にある方だけではなく、都会で限界集落化したエリアでも同じような課題を抱えているはずです。だからこそ、私たちの目の前の人々に対してだけでなく、様々な地域で多様なコミュニティや人とのつながりがつくられていく必要性を感じているんです。

山友会は30年間、この山谷での活動を続けてきた経験があります。この経験から得た智慧を共有していくことで、より多くの地域でもつながりを作れるような、お互い支えあうための活動が広がっていけばいいと思います。

自分の子ども、未来を生きる子ども達のためにも、誰もが孤独な想いを抱えることなく、心から笑顔でいられる世の中であって欲しいと願っています。

2015.02.10

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