人生はTOEICほど難しくない!心は自由、縛られる必要はないんです。

英語をテーマにこれまでに134冊もの本を出版し、現在も月に1冊のペースで本を執筆している晴山さん。本書き教室も開催していますが、その根底にあるのは「心は自由だ」ということを伝えたい思いだと語ります。なぜそのような思いが芽生えたのか、晴山さんにお伺いしました。

晴山 陽一

はれやま よういち|英語をテーマにした書籍の執筆
主な著書に、『英単語速習術』(ちくま新書)、『たった100単語の英会話』(青春出版社)、『すごい言葉』(文春新書)、『英語ベストセラー本の研究』(幻冬舎)、『話したい人のための【丸ごと覚える】厳選英文100』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『ニュース英語のキーフレーズ8000』(DHC)など130冊余。
最近は、『英語はいかにして英語になったか?』『私はこうして1ヵ月で6000単語覚えた!』など、自前のKindle出版にも力を入れている。『英語はいかにして英語になったか?』は、Kindle総合1位を獲得した。
2014年、実践英語振興協会理事長に就任。ベネッセ「著者大学」の教授として映像配信を行っている。

晴山陽一オフィシャルサイト
販売中書籍

本を作る仕事


私は東京で生まれました。小さい頃から内気で、周りのことを観察してあまり感情を出さない子どもでした。小学校もバスで行くほど遠いところに通い、放課後もみんなと遊ぶわけでもなく一人帰っていたので、より自分の中に閉じこもるようになっていきました。

そんな小学5年生の時、『石川啄木』の伝記に出会い、衝撃を受けました。石川啄木は歌人であり作家なのに、その本の装丁も自ら手がけるほど絵も上手く、その意外性に衝撃を受けたんです。それまではあまり本を読むタイプではなかったのに、この時から「本を作る」ということに強烈に憧れるようになっていきました。

しかし、本を書いたりするようになるわけでもなく、中学生の頃からはリコーダーに熱中していきました。たまたま音楽の先生が日本で有数のリコーダー奏者で、また、ちょうどオランダでリコーダーの名手がデビューした影響を受けたんです。

ただ、中学は都内でも有数の中高一貫校に通っていたので、周りの人が優秀すぎて気が滅入っていき、体の調子が悪くなっていきました。常に胃腸が痛く、十二指腸潰瘍になるほどでした。

そんな環境にいるため、周りの優秀さに負けんと、とにかく難しい本を読むようになっていきました。それがかっこいいと思っていたんです。ショーペンハウアーから始まり、ドイツ文学の小説なども難しい顔をしながら読んでいきました。しかし、難解な本を読むとさらに体調が悪くなるという悪循環にはまっていて、高校2年生の時には入院もしてしまいました。

心はこんなにも軽い


哲学書もたくさん読んでいたので、国語、英語、倫社という科目で大学受験し、文学部に入って哲学を学ぶことにしました。アリストテレスの『形而上学』を読み、日々研究していましたね。

一方、音楽も続けていて、お腹を抑えながらもリコーダーやフルートの演奏をしていました。音楽は哲学のように、「AだからBになる」といった凝り固まった論理はないものの、1曲の中で楽章ごとに大きく変化をしていくのに、曲として綺麗につながっていく「音楽の論理」があるのが面白かったですね。また、予定調和ではなく、楽章ごとに唐突感や驚きがあるのも好きでした。

そして、日本の代表的な合奏団の客演ソリストとして公演に回ったこともありました。しかし、将来はプロの演奏家として活動するイメージは持てませんでした。楽しいけれど、一生は食べていけないと思っていたし、仕事は別だと考えていたんです。

また、ある時から哲学ではどうにも解決できない問題に、禅の考え方であれば解決できるのではと感じ始め、仏教を学ぶようになっていきました。そして、仏教書などを読んでいくと、急に視野が開けたというか「青空に出た」ように気持ちが晴れた瞬間があったんです。それまでは哲学の難解な構築物のようなものに縛られていたものが、突然開放されたような気持ちでした。そして、気持ちが晴れると体も健康になっていき、胃腸の調子も良くなったんです。

気持ちが晴れた世界は、それまで自分で檻を作っていた世界と全く違い、心の重さを感じず、「こんなにも自由なんだ」と感じるようになっていきました。

本当の英語教育


そして卒業後は、アルバイトをしていた学習教材を作る会社で編集者として働き始めました。やはり小さい頃に感じた「本を作りたい」という気持ちは持ち続けていたんです。そして、英語の教師だった父のつてで入ったこともあり、私は英語教材の担当になりました。

正直、元々はドイツ語が得意で、最初は英語にはあまり興味はありませんでした。また、憧れていたかっこいい上司が辞めてから来た新しい上司とそりが合わず、不良社員としての生活を送っていました。仕事は素早く正確に片付けるけど会社は嫌いで、社長の大っ嫌いなひげを生やして出社したりと反抗的だったんです。

しかし、教材作りをしていくうちに、徐々に日本の英語教育の問題を実感するようになっていきました。教材を作る時は、契約しているイギリス人とアメリカ人の先生に内容を校閲してもらっていました。すると、いくら説明しても、真っ赤な修正が入って返ってくるんです。そこで、実際にイギリスで使われている英語教育の本を読んでみると、日本の英語教育はイギリス発の英語教育とは全く異なることが分かりました。そして、日本の人に本当のことを知らせなければと思うようになり、勝手に500ページにも及ぶ文法書を書き進めるようになっていったんです。

そして、その文法書はある時社長の目に止まり、面白いと言ってもらえて販売されるようになっていったんです。しかも、アメリカ人に校閲をしてもらうと、「直すところはない、完璧だ」と言ってもらえ、自分は間違っていなかったんだと、大きな自信を持つことができたんです。

『コモンセンス』創刊


その後は社長に気にかけてもらえるようになり、様々な難解な仕事をさせてもらいました。ある時は「学習教材をボタンひとつで作れるような仕組みを作れ」と言われ、コンピューターなんてまだ一般的でないのにもかかわらず、取り組むことになりました。

そして、天才システムエンジニアの人とチームを組み、学習ドリルを作るための自動編集システムを開発しました。あらゆるドリルの型を覚えさせ、必要となる教科ごとの「要素」を入力した紙を読ませると、人の手による編集が不要でドリルを作れるようになったのです。

さらに、学習教材の会社だったのに、経済雑誌を出すと言われ、室長に任命されました。それまで経済の「け」の字も知らなかったのに、いきなり学者のところに行き、難しい理論を教えられて、「これを記事にしてください」と言われて。正直、何度聞いても分からないし、鬱になりかけたこともありました。しかし、そうやって創刊した『コモンセンス』は瞬く間に世界的な雑誌となり、創刊号は30万部売れました。

さらに、「紙の時代は終わる」との社長の鶴の一声で、英語学習のソフトや通信教育講座を作るようになり、大学受験向けに、2日で1100単語覚えられるソフトを作り、講座をやったら大当たり。それからは、講師としてそのソフトを使った講座で全国を回るようになっていきました。

自分の名前で勝負したい


そして大学受験の次は、社会人向けだと、今度はTOEICの講座を作ることを考えるようになっていきました。そのためにはまずは自分でもTOEICを受けてみることにしました。ただ、仕事が忙しすぎて勉強する時間は取れず、前日の夜にやっとテキストを開き、「ああ、これは無理だな」と諦めてしまったんです。しかし、翌朝「TOEIC攻略10箇条」というのを思いつき、700点は取れるだろうとテストに臨み、実際にスコアは740点でした。

すると、「その話面白いから、本にしてみないか?」と知り合いの編集者に言われ、原稿を書き、つてのあった出版社に持ち込んでみることにしたんです。それを編集長も面白いと言ってくれ、本を出版することになりました。

ただ、私は働いていたし、自分自身雑誌の編集にも携わる会社だったので、匿名の出版にするかと聞かれて、「いや、実名で出します」と答えてしまったんです。

元々、会社に属する個人ではなく、自分自身の名前で勝負してみたい気持ちがありました。最初に会社で文法書を書いた時、校閲をしてくれたアメリカ人に、「君の著作物なのに個人の評価にならないなんてクレイジーだ」と言われていたこともあり、いくら成果を上げても個人での成功にはらないことに、少し違和感も持っていたんです。

そこで、作家として個人で挑戦していくことを決意しました。ただ、作家として食べていくには、月に1冊は本を出さないと食べていけないとも言われていました。その時、毎月は無理でも2ヶ月に1冊は出せるだろうし、その内年に3冊ヒットが出れば生活は何とかなるだろうと試算していました。

それから17年で134冊の本を出版し、ペースとしては想定した2ヶ月に1本以上出版してくることができました。

心は自由だ!


独立してから、2回ほどもう仕事がなくなるかと、危機に陥ったこともあります。しかし、有難いことに途切れずに出版の依頼をもらうことができ、10年連続で10万部以上販売する実績もつき、今では月に1冊のペースで出版をしています。

書く本は「英語」をテーマにしていて、最近では本の書き方を教える教室なんかも始めました。ただ、私の中にある伝えたいことは一つなんです。「心は自由である」これだけです。

英語も普通のテキストだと「こうしなければいけない」というどこか窮屈さがある中、私の本で目指しているのは、私が大学生時代に窮屈さを感じながら生きていたところから「青空に出た」感覚を持ったのと同じ心が晴れる体験を、英語習得の中でも伝えたいんです。

本を書く教室でも、本はこう書かねばならないという固定概念を解きほぐし、自由に書いて良いんだとクリエイティビティを実感してもらえる瞬間が嬉しいですね。実際に、春には本を出版するなんて考えてもなかった人が、3ヶ月ほど学んだ後秋には出版することもあります。私も、自分が毎月1冊本を出しているので、信頼してもらえているようです。

今後は、私自身としては本を300冊出版し、さらに著者を1000人育て上げていきたいと考えています。また、究極の夢として、ネイティブのアメリカ人にも、同じような開かれた感覚を味わってもらえる本を作りたいと考えています。そのために、今年ニューヨークに飛び、足がかりをつける予定です。禅の概念を小難しく伝えるというよりも、「クリエイティブな本の書き方」のような書籍で、「こんなに自由なんだ」と感じて欲しいです。

そして遠い将来は、また演奏家としてリコーダーを吹いてみたい気持ちもあります。突然の転調のようにも見えるけど、私の次の楽章として人生を表現したいんです。

そうやってこれからも私は縛られずに、心は自由であることを噛み締めながら生きていきます。

2015.02.03

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