誰もが使うサービスを生み出せる開発者に。日本を代表するエンジニアチームをつくる。
「インテリジェンスを技術の会社にしたい」と語り、チームを作り会社のルールを次々に変えていくために奮闘する大谷さん。エンジニアとして様々なキャリアを積み、より多くの人に届くサービスを自分でつくりたいと語る背景には、どんなものがあるのか。お話を伺いました。
大谷 祐司
おおたに ゆうじ|技術先行で新サービスの開発
インテリジェンスの新規事業開発部署で、技術先行の新サービス立ち上げに従事する。
IT勉強会・セミナーなどエンジニアのためのイベント情報検索サービスdots.
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変わったことが好き
私は山口県下関市で生まれました。
小さい頃から周りからは変わっていると言われることが多くありました。
人と同じことは嫌だと考えていて、教科書に書いてある答えも、
「他の導き出す方法があるんじゃないか」と考えるような性格だったんです。
中学生の時には生徒会長を務め、スクールシューズの廃止や「男子は坊主強制」といった校則を変えていきました。
無駄なことは好きじゃなかったんです。
高校生なると、久しぶりに会った従兄弟が髪を長くしている姿に衝撃を受け、
また教えてもらった「エックスジャパン」がカッコ良くて、ビジュアル系のバンドを組みました。
どんどんのめり込んでいき、毎日ギターを弾く日々でした。
みんなで一緒に曲を作ったり、演出を考えたりするのが楽しかったんです。
また、一派の人ウケはあまりよくないものの、ビジュアル系バンドのカルチャー自体が好きでした。
そして、将来はプロミュージシャンになりたいと考えるようになり、東京に上京することにしました。
ただ、親にも大学は出た方が良いと言われ、大学生活中は援助もしてもらえるので、
大学に通いながらバンド活動をすることにしました。
そんな理由で大学に進学したので、ほとんど授業には行かず、バンド活動に明け暮れていました。
自分でメンバーを募集してバンドを組み、渋谷や池袋、目黒にあるライブハウスに出演していきました。
パズルのようなプログラミング
しかし、大学4年生の時に、バンドは解散することになりました。
いわゆる音楽性の違いもありました。
また、不景気なこともあり、新卒を逃すと就職できないという空気が漂っていて、それによってメンバーが抜けることになったんです。
この時、私もプロミュージシャンを目指すのは諦め、バンドはライフワークにして就職をすることに決めました。
そこから、働ければどこでもいいと就職活動をして、
内定をもらえた、パチンコ店、ハンバーガー屋、システム開発企業の中で、親に勧められたこともあり、
システム開発企業でSEとして働き始めることにしました。
そこで研修を経て、プログラマーとしてのキャリアが始まりました。
研修を経て、客先の企業に常駐して基幹システムの開発・運用を行うようになったんです。
プログラミングはパズルのようで楽しいし、作ったものが誰かに使われるのが嬉しく、すぐにはまっていきました。
しかし、仕事はあまり面白くありませんでした。
例えば1ヵ月の納期で依頼された仕事を、私は開発速度が速かったので1週間程で終わらせることができたのに、
会社としては元々の納期分時間をかけないと報酬が減ってしまうので、「時間をかけろ」と言うんです。
それはなんて無駄なんだとは思いつつ、仕事の開発は早く終わらせて、
あまった時間で勉強したり個人的なシステム開発をするようになっていきました。
営業よりも開発がしたい
自分で開発したシステムやWebサービスはインターネット上で公開していて、少しずつお金にもなるようになっていきました。
そうやって積極的に動いていくと、自分のサービスを通じて色々な人と知り合うようになっていき、
学生の就職支援のボランティアなんかもするようになりました。
そして、4年程会社で働いた時、インターネットで出会ったリクルートの人にシステム担当として一緒に起業しないかと誘われたんです。
結局、その事業はリクルート内で立ち上げることになり、私もリクルートグループの会社に転職することになりました。
新卒で入った会社は100人程度で、大きな会社がどうやって動いているのか、知りたいと憧れもあったんです。
新しい環境は、今までとは全く違うので驚きましたね。
何よりも、社員のモチベーションが高く、みんな自分がこの会社をもっと良くしようという思いに溢れていて、働くのも楽しくなっていきました。
ただ、事業のリーダーのような立場だったので、自分で数字を持ち営業もするようになり、
開発はメンバーのサポートなどが中心となっていきました。
しかし、私は営業はあまり向いていなく、またもっと開発の現場の仕事をしたいという気持ちがありました。
そこで、1年半程働いた後、個人でつくったシステムを利用してくれていたサイバーエージェントに転職することにしました。
インターネット広告の事業部で、本格的な開発チームを社内で作ろうというタイミングで、チャレンジングな事ができると思ったんです。
日本を代表する技術者になりたい
サイバーエージェントはスピード感があり、非常に働きやすかったです。
何百万円もするようなサーバーを買おうとした時も、「必要なんでしょ?」と即断即決でした。
ルールすら変えるときも動きが早く、すごい組織だと思いましたね。
また、数年すると子会社の技術責任者も任されるようになりました。
しかし、技術責任者として様々な人と会ううちに、自分自身のレベルの低さを実感するようになっていったんです。
世の中を大きく変えていくサービスをつくる技術者には、
全体を見渡してチームを作りつつ、自分自身技術に詳しくなり、その細部まで把握する力が必要で、
自分もそんな「日本を代表する技術者」になりたいと考えるようになりました。
また、自分が携わっていたサービスは企業向けのものばかりで、
もっと一般の人向け、BtoCのサービスもつくりたいと思うようになっていきました。
やはりBtoCだと世の中への拡大する時に爆発力も大きいし、誰もが知っているサービスの開発をしたいという気持ちがあったんです。
そして、サイバーエージェントは自分の実力に対して好待遇すぎて、
このままじゃ自分が甘んじてしまうと考え、転職することを決意しました。
そしてBtoCのサービスを作っているベンチャー企業で数ヶ月働いた後、人材企業のインテリジェンスに転職することにしたんです。
インテリジェンスは新規のサービス開発に力を入れ始めていて、その開発を進める開発チームが社内になかったので、
新しく立ち上げようとしていました。
ここでなら私の経験を最大限に発揮しながら、BtoCのサービスをつくっていけると思ったんです。
最強のチームで社会に価値を
それからはインテリジェンスで新規の部署を立ち上げ、最高の開発チームをつくるべく働き、
新サービスや、既存の転職サイトに付属するサービスの開発を行っています。
2013年からできた新しい部署で、「技術の会社」にするために日々奮闘しています。
それこそ、GoogleやFacebookの開発チームに負けないような組織にできればと思っています。
チームで動くからこそ、自分では想像もできなかったような成果につながるので、
今は自分の実力よりもレベルの高い人にもどんどん入ってもらっています。
みんなで成果を出す瞬間が楽しいし、活き活きと働いているチームメンバーの顔を見れると嬉しいですね。
そんなチームをまとめていくためには、自分自身がもっと成長する必要もありますね。
ただ、それまで社内にエンジニアチームがなかったので、スピード感があまり早くなかったり、
開発チームには不必要なルールもあったりするので、少しずつそんな会社の風土も変えていければと思っています。
そして、今後はどんどん新しいサービスを立ち上げていきたいと考えていて、
2015年には複数の新しいサービスを走らせる予定です。
その中で、特にBtoCの領域は力を入れていきたいですね。
また、会社の柱となる新しいサービスをつくることもそうですし、
最高の開発チームとしての組織作りを行っていきたいと考えています。
個人的には最近子どももできて、昔ほど自分の勉強の時間は取りづらくなってきました。
しかし、限りある時間をフルに有効活用して、
自分自信が日本を代表する技術者になり、また最強のチームで、
世の中の多くの人の生活に根ざしたサービスをつくっていけたらと思います。
2015.01.12