「生まれた場所が違うだけなのに」という衝撃。傷つく子どもを無くすため、22歳で決めた道。

カンボジアにて「子どもが売られる問題」に取り組むNPOを運営する村田さん。大学の授業で初めて問題を知ってから、「新卒」という条件を選ばず、卒業後も一貫して同問題に取り組んできました。一体どんな思いが村田さんを突き動かし、今後どんな世界を描くのか、お話を伺いました。

村田 早耶香

むらた さやか|「子どもが売られる問題」に取り組むNPO運営
「子どもが売られる問題」に取り組む特定非営利活動法人かものはしプロジェクトの共同代表を務める。

特定非営利活動法人かものはしプロジェクト

インドでも、子どもが売られる問題をなくすために、活動をご支援下さる方を募集しております。

海外を身近に感じた中高時代


東京都調布市に生まれ、中学生頃から海外に関心を抱くようになりました。

元々、父が昔仕事で東南アジアに滞在した時に親切にしてもらった経験があり、
その恩返しにと、海外の留学生のホームステイを受け入れていたんです。
半年に1回は新しい学生が来ていたため、アジアの国を自然と身近に感じていましたし、
一緒に暮らす中で、国が違い言葉は通じなくても、自分と同じように家族が好きで、同じ人間なんだな、と改めて感じました。

また、父が録画した子ども向けのニュース番組で、国境なき医師団の活動を紹介するVTRを見る機会があり、
そこで、海外支援について初めて知ったんです。
ぼんやりとですが、

「先進国の技術や資金が途上国にいくと、すごく大きなインパクトになるんだな」

と感じましたね。

高校に入ってからも関心は途絶えず、
現代社会の授業の自由発表では、日本のODAや海外支援をテーマに設定しました。
その発表に向けて、外務省の方にお話を伺う等の調査を進めて行く中で、
なんとなくですが、

「これを仕事にしていきたい」

と考え始めるようになったんです。
そこで、卒業後は女子大の国際交流学部に進学することに決めました。

「生まれた場所が違うだけなのに」


大学は、学びたい学問で選んでいたため、1年生から地雷の研究等を積極的に行っていました。
そして、2年生になり、ある授業で、途上国における「子どもが売られる問題」を扱う機会がありました。

その授業では、ミャンマーの山岳少数民族の私と同い年ぐらいの女の子についての新聞記事が配られました。
彼女は、12歳で母親を失い、男の人から騙されて、生活のための出稼ぎに出て、
売春宿に連れて行かれてしまったんです。
そして、ひどい虐待を受けながら働かされHIVウイルスに感染してしまいました。
最終的には逃げ出すことが出来、NGOの保護施設に入ったのですが、
既に20歳の時点で病気は治らない状態になってしまっていました。

そして、そのインタビューでは、
「私みたいな人を増やしたくないから、日本の人に伝えて」と記者の方に伝えていたんです。
また、彼女は、警察になって取り締まりをするために、学校に行くことが夢だったという話もしていました。

それらのことが、自分と同じ歳の人間に、今起こっているんだ、ということは、
私にとって本当に衝撃でした。
たまたま生まれた場所が違うだけだと感じたんです。
なのに、一方では私がその日着ていたワンピースと同じ値段の1万円で人が売られていました。
その授業以来、

「これは酷い」

と自らこの問題を調べてみることを始めました。
すると、毎年180万人も被害者がいて、
児童労働の中でも、最も身体的・精神的に苦痛を伴う問題だということが分かったんです。

そこで、実際に現地を訪れようと、2年生の夏、東南アジアのNGOを訪問するスタディツアーに参加しました。
東南アジアの中でも、この問題が一番ひどかったのがカンボジアだったのですが、
法律が整っておらず加害者が野放しで、低年齢の子どもも被害を受けているという状況でした。

実際に私も保護施設を訪れてみると、ある6歳の少女と仲良くなりました。
彼女は12歳のお姉さんと一緒に被害を受けたとのことだったのですが、
すごく大人しくて心の優しい子で、私が帰る時に、

「今日は久しぶりに楽しかったから」

と、彼女の宝物である、クロマーという現地のスカーフのようなものを、私に渡してくれたんです。
子どもが売られる問題は、家族思いのいい子だからこそ被害に遭うという悲しい事実がありました。
彼女と別れた後、私は、これは絶対に許してはいけないという気持ちを固めたんです。

日本人の私が取り組まなければいけない


そこで、まずは本を読んだり勉強会に参加したり、情報収集を行いました。
すると、直近で、「子どもが売られる問題」について扱う、世界中の大臣クラスが集まる会議があることが分かり、
尚且つ、当事者に近い声を募るという主旨で、子どもと若者が参加できることを知ったんです。

そこで、19歳の私はその会議に応募し、選抜を経て、会議に参加する機会を得ることが出来ました。
それからは、実際に会議で有意義な提言ができるよう、有識者の方を周り、
先進国の政府から途上国に出している支援を、この問題にもっと支援をして欲しいという2点を伝えたんです。

本当に、出来る限りのことをして会議に臨みました。
結果、参加した子ども・若者は主体的に参加したという評価を受ける結果となりました。

しかし、これできっと子ども達は助かるだろうと思ったのにも関わらず、
会議が終わった成果を見て、個人的には取組みがあまり進んでいないように感じました。

会議の最後に定められる成果文書で、次回に向けた具体的な行動の約束が入らず、
前回会議よりも、前に進んでいないように思いました。

「問題はひどくなっているのに、取り組みは追いついていないんだ」

という悔しさがありました。
そして日本は特に対策が遅れていて、問題の加害者にあたる国だったんです。

気づけば、日本人がこの問題に取り組まなければいけないんじゃないか、
というような危機感を抱く自分がいることに気づきました。

そこで、まずはこの問題を1人でも多くの人に伝えようと活動を始め、
20歳の時に協力してくれる仲間が集まり、「かものはしプロジェクト」という団体を立ち上げることにしたんです。

22歳の決断


その後、仲間と一緒に団体の活動を通じて問題を伝えていったのですが、
大学の卒業が近づいてくると、その後の進路について悩むようになりました。

それまでは、あくまで学生の活動という位置づけだったのですが、
社会人になってもこの活動を続けることに、不安があったんですよね。
日本の社会構造的に、新卒で企業に入社しないとその後のキャリアが築きにくいということもあり、
失敗はできないという感覚がありました。
だからこそ、一度就職した方が安全だと感じたんです。

しかし、同時に、

「自分が就職したら、この団体は無くなるかもしれない」

という危機感もありました。
何より、メンバーに恵まれていたこともあり、
こんなチャンスはもう来ないという感覚があったんです。

そこで、私は卒業後も就職せずにこのプロジェクトに携わることを決めました。

ただ、やはり親族全員から反対を受け、
親からは勘当を言い渡されてしまいました。

そして、そんな迷いを抱えたまま、1ヶ月1人でカンボジアに滞在する機会があったのですが、
改めて考えてみると、目の前にいる子ども達が教育を受けられるか否かは「機会」次第だと再認識したんです。

それまで、日本に置ける常識で、「良い服を着て良い仕事をして」というのが自分の幸せだと考えてきました。
しかし、この活動に携わり、人の可能性を引き出すことの素晴らしさを知ったんです。
逆に、お金があっても幸せになれるとは限らないと感じたんですよね。

そう感じてからは、気持ちが固まり、家族を一人一人説得して回り、
大学を卒業後、就職はせず、現地の拠点設立のためにカンボジアに渡りました。
22歳のことでした。

傷つけられる子どもを無くしたい


その後、2004年にNPO法人格を取得し、
問題の原因に当たる貧困を解決するために、大人に仕事の機会を提供する「コミュニティファクトリー事業」を開始し、
現地の工場で作った生活雑貨を、現地の高級土産品として販売を始めました。

また、子どもを売る売春宿や買う人を逮捕するために、
カンボジアの内務省、国際機関や他NGOと協力した、警察支援(LEAPプロジェクト)や、
親を亡くしたり、病気の親を抱え、売られる危険にさらされた子どもを守るための孤児院支援を行い、
売る側、買う側両方の側面から問題の解決を行っています。

そういった活動を通じて、今後も引き続き、傷つけられる子どもの数を減らしたいと思っています。
性的虐待は「魂の殺人」と言われ、自尊心を傷つけてしまうんです。
だからこそ、強制的にそういったことをさせられてしまう人を一人でも減らしたいです。
実際に、強制的に働かされている子どもの被害者の数は、カンボジアでは減ってきているようなので、今後はインドでも活動を実施していく予定です。

大学生で問題を知り、活動を続けてきたこともあり、
被害を受ける人が減ったという話を聞いたときは、
本当にやってきてよかったなと感じましたね。

また、現地での支援事業を受けて生活がすごく変わったという人に出会い、

「弟を学校に行かせることが出来るようになった」

という話を喜びながら伝えてくれた時はすごく嬉しかったです。

また、日本でも数多くの方がサポーターやボランティア等の支援者としてプロジェクトに関わっていただいています。
寄付をいただくことももちろんなのですが、そういった素晴らしい方々と人生で関わりを持てたことは、
お金に換えがたい財産だと感じます。

だからこそ、これからも支援していただける方と、
傷つく子どもを無くすために取り組んでいきたいと思っています。

2014.12.30

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