「明日から、人生変わるよ。」TVにライブに介護まで、激動のおやじの物語。

「パパイヤ鈴木とおやじダンサーズ」というユニットでコンサートやTV出演と活躍する傍ら、平日はホームヘルパーとして介護の仕事も行う大津さん。高校を中退し、2度の上京で役者を目指していた大津さんに訪れた、人生を激変させるキッカケとはどのようなものだったのでしょうか?

大津年金手帳

おおつねんきんてちょう|おやじダンサーズ・ホームヘルパー
パパイヤ鈴木とおやじダンサーズとして、コンサートやTV出演等の活動を行う傍ら、
ホームヘルパーとしても勤務している。

パパイヤ鈴木とおやじダンサーズ

高校中退、上京、中途半端な日々


愛媛県松山市に生まれ育ち、地元の小中学校に通いました。そのまま高校も地元の学校に進学したのですが、女の子にモテることが頭の9割を占めるような、何も考えていない高校生でした。また、やんちゃな性格だったこともあり、2年生の時にあっさり退学してしまいました。

その後は、もう学校にしばられないため、自由を感じました。しかし、そんな生活も一ヶ月ほどで飽きてしまったんです。バイトをしていても、何がしたいか分からないし、大学生とは話が合わない。先がまるで見えませんでした。

そこで、矢沢永吉の自伝『成り上がり』を教科書に、東京に行くことを決めたんです。元々憧れがありましたし、東京に行けば成功するチャンスがあると思っていました。そんな思いと片道の切符だけを握りしめ、16歳の夏に上京しました。

初めての東京はとても新鮮で、人の多さと早さに、どう歩いてもぶつかっていました。(笑)しかし、なんの計画も無く上京してきているので、結局後楽園球場の近くで浮浪者と一緒に新聞紙で寝て、2日目からは、お金がないという現実が襲ってきました。

そこで、住み込みで働けるところを探し、以前からやっていた新聞配達の仕事を始めたのですが、それも辞めて仕事を転々とし、その日暮らしなんていうのも経験しました。

そんな生活を続けた結果、20歳になると行き詰まってしまったんです。結局、松山にいた頃と同じような暮らしだったんですよね。そこで、これは一度仕切り直さなければと思い、一度松山に戻ることに決めました。

2度目の上京で見つけた居場所


その後、地元に戻ると、意地を張って実家には帰らず、スーパーのアルバイトを始めました。すると、そこでの仕事が評価され、21歳のタイミングで、新しい店舗の店長を任せてもらえたんです。それなりのお金をもらえるようになり、それまでとは一転、順風満帆な生活が始まりました。

しかし、心の中には、「これでいいのか?」という気持ちがありました。

自分の中で、東京で何も残せなかったというのが引っかかっていたんです。それでいて、東京人ヅラをしているような自分が嫌だったんですよね。なんだかずっと中途半端で、自分をごまかしているような気がして、このままでは自分自身を生きられないと感じたんです。そこで、安定した環境を離れ、もう一度上京することに決めました。

23歳、2度目の上京では、前と違うことをすると決め、地元にいるときから関心をもっていた役者の仕事に挑戦することに決めました。バイトをしながらレッスンを受け、周りよりも年上でのスタートでしたが、必死でしたね。

そして、24歳で初舞台を経験しました。初めて浴びたスポットライトの光に快感を覚え、「ようやく場所が見つかった」と感じましたね。それからはとにかく役者に注力し、色々な世界の扉が開いていったような気がしました。初めて吸収したいという意欲が沸きましたし、それまでの何よりも長続きしたんです。

また、途中からは飲料メーカーの営業のバイトで生計を立てながら役者の仕事をする日々を過ごしました。

夢から趣味へ、最後の仕事


しかし、そんな生活を続け30歳を迎えると、ちょうどバイト先で正社員に誘われたこともあり、役者の夢は諦め、プロではなく趣味としてやっていこうと考えるようになりました。そして、4月1日から正式に正社員として就職をすることに決めたんです。

すると、入社前日の3月31日に面識の会った振り付け師の鈴木さんという方から、「どう考えても踊れなさそうな見た目の人を集めてダンスをする」というプロモーションビデオのオファーを貰ったんです。

私はダンスなどしたことがなかったのですが、それでいいからという言葉もあったので、映像に残るし、最後の記念の仕事にしようと、撮影に参加したんです。そして最後の仕事を終え、4月1日からは、営業マンとして正社員になり、仕事を始めました。

すると、新しい環境にも慣れ始めた5月に鈴木さんから電話がありました。そして、「CMが決まったよ。サザンだよ。20周年のCMだよ。」と言われたんです。話を聞いてみると、先日のPVを業界の様々な方面に送った結果、サザンオールスターズの桑田佳祐さんから面白いと言ってもらえたと言うんです。

最初はとにかく驚いたものの、どう考えても嘘としか思えませんでした。しかし、実際に5月に初めての有給を使って指定された撮影に向かうと、しばらく経ってから、本当に自分たちがCMで流れていたんです。なんだか、驚きがいつまでも続いているような感覚でした。

「明日から、人生変わるよ」


そして、信じられないことに、次は8月に行われる、サザンオールスターズの20周年コンサートに出演しないか?という連絡を受けたんです。7月に話を聞き、迷わず有給を取得しました。

そして、迎えたコンサート前日、会場近くのホテルで、鈴木さんを含め、「おやじダンサーズ」と名前がついたメンバーで、晩酌がてら小さな前夜祭を行いました。すると、鈴木さんが「せっかくだからこれからも活動を続けよう」と切り出し、私たちも盛り上げ半分で、「いいですね!」と調子を合わせました。

すると、活動するなら芸名があった方がいいという話になり、鈴木さんは、以前から考えていた「パパイヤ鈴木」と名乗ることに決まり、鈴木さん改めパパイヤさんが1人1人芸名を決めていくことになったんです。

そして私の番になると、「営業マンだから『大津 手帳』にしようか?いや、何か足りないな。 お前の顔は福祉っぽいから、『大津年金手帳』にしよう!」と芸名が決まったんです。(笑)遊び半分で賑やかな夜でしたね。

そして、その後、パパイヤさんから一言、「明日から、人生変わるよ」という言葉をもらいました。

そして夜が明け、私が生まれて初めてダンスを披露することになったのは、5万人が集まる真夏の熱狂的なライブステージ、サザンオールスターズの20周年記念ライブのアンコール前の最後の曲、『勝手にシンドバッド』のステージでした。

桑田さんからおやじダンサーズを紹介されステージに出てから、緊張を飛び越え、5万人の人が色に見え、もう訳がわからないという感じでした。

30歳で諦めたはずの、舞台に立つという夢が、嘘のような形で実現し、本当に、最高の有給休暇でした。

介護業界への転身


その後は普通のサラリーマン生活に戻り、夏休みの思い出を抱えて仕事に復帰しました。しかし、冗談だと思っていたおやじダンサーズの活動が、本当に行われることになったんです。

それからは、月1回新宿でパフォーマンスを行うようになり、気づけば1000人もの人が集まるようになり、なんとCD発売に音楽番組出演と、活動の幅がどんどん広がって行ったんです。まるで漫画をめくるような生活でした。

しかし、既に有給を使ってしまっていたこともあり、正直会社に行きにくくもなりました。また、周囲からは応援してもらっていたものの、特別扱いもしてもらっていることに抵抗を感じてきていました。そして、ついに長期のコンサートツアーを行うことになってしまい、どちらかを選ばなければいけなくなってしまったんです。

その結果、私はおやじダンサーズを続けるため、仕事を変えることに決めました。

「一旦は諦めた夢ながら、やっぱりこれをやっていきたい」

という気持ちがあったんですよね。しかし、おやじダンサーズはタレント化しないように、2足のわらじが原則というルールがありました。そこで、次はどうしようと考えた時、思い浮かんだのは介護の仕事でした。

せっかく「大津年金手帳」という名前なんだからという思いに加え、前職が数字でしか評価されない環境だったことに対し、人と人が触れ合って感謝してくれる何かが欲しかったんです。おやじダンサーズではライブでお客さんと触れ合うことができるこそ、仕事の場でも、そういった距離の無いものをやってみたいと思ったんですよね。ちょうど、活動にも理解を得られた会社が見つかったので、転職を決めました。

いつまでもおやじダンサーズで


35歳で介護の業界に飛び込み、現在はホームヘルパーとして、平均80歳の方の安否確認や訪問入浴等のお手伝いをしています。

それまでは高齢の方と接する機会が全くなかったのですが、実際に行ってみると本当に感謝してもらえるんですよね。数字のやりがいでなく、感謝してもらえるやりがいがあり、自分の中にもこういう気持ちって残っているんだなと感じました。

そしておやじダンサーズとしての活動も変わらず続けています。少し前ではSMAPの中居さんと「しょうわ時代」というユニットを組ませてもらう機会もありました。他にも主に営業やコンサート、たまにテレビにも出演しています。ダンスと言っても誰もが見て楽しめるネタダンスという感じで、日々の練習も続けています。

今後も、人に感謝してもらえるようなこの2つの活動を続けていきたいですね。70歳になっても80歳になってもおやじダンサーズでいられたら幸せだと思います。また、47歳にしてようやく子どもができたこともあり、子どもに晴れ舞台を見せてあげたいという思いもありますね。

子どもが遊びに誘われた時に、「ごめん、パパのライブがあるから」と言ってもらえるようなおやじでありたいです。

2014.12.29

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