教育は就職するためにあるんじゃない。「お勉強禁止」と掲げた、その理由。

「お勉強禁止」というコンセプトを掲げ、プログラミング研修や新卒研修の提供を行う谷藤さん。12回転職して様々な力を身につけたり、雇用を変えるため人材事業に熱を持って取り組んだりする背景には、全て、忘れもしない中学入学直後に感じた、日本の理不尽な教育を変えたいという思いがありました。そんな谷藤さんのお話を伺いました。

谷藤 賢一

たにふじ けんいち|研修講座の提供
プログラミング研修や、新卒教育研修などを行う株式会社C60の代表取締役を務める。

C60
『いきなりはじめるPHP ~ワクワク・ドキドキの入門教室~』
『気づけばプロ並みPHP~ショッピングカート作りにチャレンジ!』

将来を振り分けるツール


私は東京で生まれ、小さい頃から昆虫や宇宙が好きな理系少年で、 「なぜ」と理由が説明できないことは嫌でした。

両親は戦中、戦後と大変な時代を生きてきたこともあり、非常に厳しい人でした。
中学校に入りたての5月、中間試験を控えた時にテレビを見ていると、「テスト前に何をやっているんだ!」と激しく怒られました。
私には意味が分かりませんでした。
テストとは現在の実力を測るもので、無理して点数を上げるのは卑怯だし、できなかったところをチェックして後で埋めていくのが学問だと思っていたんです。
しかし、両親にはそんなことは通じず、このテストが高校を決め、大学を決め、就職を決めるのだから、黙って言うことを聞けと言われてしまいました。
目の前の勉強が将来を振り分けるだけのツールに過ぎないこと、そんなの納得できるはずがありませんでした。

結局は両親に従う以外の道はないものの、日本の教育のあり方に疑問を持つようになった瞬間でした。

そしてこの頃、友だちに勧められてパソコンを初めて触りました。
言葉では言い表せない衝撃で、こんな面白いものが世の中にあるんだと興奮し、毎日その友だちの家に行き、プログラミングにはまっていきました。
また、高校生の時に『パソコンソフトでど~んと儲ける本』という書籍を読みました。
この本では、自分たちでソフトウェアを生み出して稼ぐ方法が紹介されていて、
社会のセオリーである大企業に入るだけが人生ではないことを知り、ベンチャーで独立すると決めたんです。

終身雇用を前提とした教育


大学ではちゃんと学べる環境があると期待して進学をしたものの、
世の中がパソコンやソフトウェアの時代に変わりつつあるのに、何十年も前の教科書を使って昔の技術を学んでいる現実に、愕然としました。
ただ、ここで辞めたら負け犬決定、それは避けたい。であれば最低の成績で卒業してやると決めたんです。

そして入学して間もなく、学生課に貼られた求人票に、他の仕事は時給800円程度の中、1000円を超えるものがあったんです。
「こんなの堅気じゃないに決まってるじゃん」「絶対怪しいよなぁ」と友達が指を指して笑う中、
私はこれはシステム(IT)ベンチャー企業の求人に違いないと思ったんです。

そして「危ないからやめとけよ!」と制止する友達を振り切って求人票に書いてあったマンションオフィスに行きました。
玄関から出てきたのはオールバックでスーツ姿の強面の男性。
「やっぱりみんなの言うとおりだった、人生ここで終わりか・・・」と思いました。

しかし、話してみるとその人はバリバリの営業マンで、思った通り、創業メンバー3人で経営する、ITベンチャーだったんです。
迷うことなくプログラマーとして働かせてもらうことになり、 夕方は大学から直接会社へ行き、
夜中まで仕事をして、アパートに帰って朝まで学校の課題をする、 そんな忙しい生活が始まったのです。

創業メンバーの方々に会社を立ち上げた思いなど色々なことを語ってもらい、非常に充実していましたね。
その中でも、終身雇用という制度は、右肩上がりの経済成長を続けながら、かつ人口ピラミッドが維持されないと続かないという話は、
中学1年生の中間テストのときに感じたあの違和感を説明するのに十分でした。
終身雇用を前提として、会社に入ることがゴールになっている今の教育が、やっぱり間違ってると確信を持てましたね。

また、これから確実にやって来る不安定な時代の中では、大きな組織に身を預けるのではなく、自分自身が安定する人材になるしかないと思いました。
そのために、独立して自分で生きていける力が必要だと思ったのです。
バブルの入り口でもあり、大変な時代に生まれてしまったと思いましたね。

そして、「どんなに良いシステムを開発しても、ビジネスには営業が必要」と教えてもらったこともあり、
卒業後は独立を前提に、ITと営業を中心に、様々な企業に転職していこうと決めました。

派遣事業の可能性


大学卒業後、お世話になったその会社に就職する選択肢もあり、それは非常に心地良い道でした。
しかしある意味「楽な選択」でもあり、自分を甘えさせてしまうのがイヤで、あえてガラッと環境が変わる道を選ぼうと、
まったく別の少人数のシステム開発会社に就職をしました。

3年勤め、以後は当初の予定通り、1つの会社で独り立ちできるレベルまで働いては転職するということを繰り返しました。
システムの次は営業、都会の次は地方、大企業の次は小企業といった具合に、自分がまだ経験していないスキルをつけられるような選択をしていったんです。
いよいよ夢を実現しようと、26歳の時に仲間と起業した会社は大失敗、多額の借金も負い、もっと実力をつけなければと痛感したのでした。

借金の返済が遅々として進まなかったころ、
「派遣で働けば、元エンジニアなんだから時給1800円はもらえる」と友人から言われたのです。
時給1800円!? そんな馬鹿な話があるかと思いましたね。

しかし、実際に派遣社員として登録してみるとそれを超える2000円という時給で働くことになりました。
以前の経験を活かした仕事で、しかも毎月がボーナスのような収入で、借金はあっという間に返済しました。
そしてある時、その派遣会社で営業として働かないかと誘ってもらったんです。
起業の失敗原因だった法人営業力の甘さを克服したいと思っていたし、
エンジニアの派遣部門だったので、エンジニアの気持ちがわかる私はピッタリだったのです。

フリーターは優秀


派遣業界で働き始めてすぐに、今後、終身雇用が崩壊すれば、
派遣という働き方は日本の雇用を支えていき、社会を変えるすごいサービスだと気づいたのです。
派遣で働きながら別の職を探したり、主婦の人たちが自分のスキルを使ってパートよりも高待遇で稼いだりすることで、雇用が安定的に流動化すると思ったんです。
ただ、私は独立をしたかったので、その後もまた自分が派遣される立場に戻ったり、他の会社に転職したりしていました。

そんな生活をしていた2003年、その派遣会社へ営業としての復帰の話が進みました。
自分でITベンチャーを起こすのか、それともシステム開発をしている人をサポートする側に回るのか、悩みに悩みました。
食事も喉を通らないほどでした。 そして、私の決断はサポートする側に回ることでした。

派遣会社に復帰してからは、法人営業をしつつ派遣社員との面談もし、教育事業にも携わっていきました。
その教育事業とは、未経験者にシステム開発の教育をしてから企業に派遣する画期的なものでした。
しかし学歴が高くて有名企業出身者を囲い込むという会社の戦略に違和感を覚えていました。
出身校や出身企業と、エンジニアとして優秀かどうかに何の関係があるんだって。

それからは、業務外でニートやフリーターの支援をするNPOの勉強会やシンポジウムに行くようになりました。
すると、就職氷河期や家庭の事情などで、望まずフリーターになってしまっただけなのに、
まるでダメ人間とばかりにレッテルを貼られてしまった優秀な若者達が社会で這い上がれずに約30万人も燻っていることが分かったんです。

そこで、その教育事業に力を入れるため、営業から人事への異動を願い出ました。
IT未経験のニートやフリーターにIT教育をして派遣することを始め、
これはテレビ取材が来ると部署内でも宣言しており、実際1年後に本当に取材が来てテレビ放映されました。

日本の教育のあり方を変える


元々私は、この事業を広めていくことで、雇用のあり方が必ずしも新卒一括採用である必要がなくなり、
その結果、就職することを目的とした日本の教育も変えられると、社会変革を目指して熱を注いでいました。
しかし、サラリーマンの立場では限界を感じ、独立することにしたんです。

いよいよ高校時代から夢見た独立。
仲間2人と一緒に準備を進め、お客さんも既にいたので初年度からかなりの売上見込みが立っていました。
会社を登記し、オフィスも構えました。あとは3人で会社を辞めて始めるだけ。
そんな矢先、2008年秋、何かがおかしい・・・ リーマン・ショックでした。
採用市場は一気に凍結され、 提携話もキャンセル。 気が付けばお客さんはゼロ。
仲間とは一旦別行動、私1人だけで会社を辞め、その後1年間必死に営業をするも糸口は掴めず、夢だったはずの自分のオフィスで地獄の消耗戦の日々でした。

そこへ一筋の光が見えました。私の支援したある若者の涙です。
高いお金を払ってプログラミングの勉強をしているのに講師に放置されて辛いと言うのです。
実際に現場も目撃してしまい、プログラミングは感激の涙はあっても悔し涙はあり得ないと、眠っていたエンジニア魂が燃え上がりました。
そして、人材業務は一旦停止し、純粋にプログラミング教育を行う事業を始めたのです。

そして、今では人材の支援をしつつ、教育に力を入れていて、プログラミング研修や企業向けの研修を行っています。
著書『いきなりはじめるPHP」もおかげさまでベストセラーになりました。
一貫しているのが「お勉強禁止」というコンセプトで、
とにかくまずはやってみて、 できなかったところ、分からなかったところを聞くというスタイルでやっています。
またプログラミング研修の時は、分からなかった部分は、できるだけ他の参加者に教えてもらうようにしています。
教えることは学びが多く、それを講師が奪ってしまうのはもったいないですから。
また、企業向けの研修等は、自分の思い出話にならないよう、学問的に研究されていることしかやらないようにしています。

さらにこれからは、子どもの教育に力を入れていきたいとも考えています。
そこで、つくば市に家を立て、その1階で私塾を開く予定です。
実は10年ほど前にも私塾をやろうとして失敗しているので、今回はリベンジでもあります。

私のミッションは、自分自身が感じた日本の理不尽な教育を変えることなので、
これからも色々な方法で挑戦を続けていきます。

2014.12.25

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