次世代のために女性の意識改革を。子どもに夢を聞く前に、ママが夢を語るんです!

ママ起業家・女性起業家の支援や、認定試験の運営から実際にその資格を使って経済的に自立するための方法までサポートする協会の運営等を行う滝田さん。1人目の子どもが生まれた時に、鬱になりかけたご自身の経験からママ支援を始め、その活動領域をどんどん広げていらっしゃいます。小さい頃から「仕事は自分で起こすもの」と思っていたと語る人生のストーリーをお伺いしました。

滝田 加奈子

たきた かなこ|女性起業家支援
一般社団法人日本コミュニケーション育児協会 代表理事 わたしスタイル総研 代表
女性向けWEBメディア戦略コンサルタント
女性起業家コーチ

一般社団法人 日本コミュニケーション育児協会(JCCRA)HP
わたしスタイルLABO
ママ起業応援ナビ
オフィシャルブログ
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好奇心旺盛な子供時代


私は東京で長女として生まれました。

両親は教育熱心で、私がやりたいことはなんでも応援してくれました。
文化教養学園という文芸に力を入れている幼稚園に通っていたので、モダンバレエ、バイオリン、絵画などに取り組み、
習字、エレクトーン、ピアノ、水泳、英会話など、興味が湧いた様々な習い事をしていました。
ただ、大体1年位続けると、自分に向いているかどうかは分かってきて、
向いていないと思ったものは辞めていってもいましたね。

また、両親どちらの家系も商売をしていたので、自然と仕事は自分で起こすものだと思うようになっていきました。

そして、小学3年生の時、毎日通学中に出会う二人組の女の子の着る制服に憧れて、
私学である白百合女子学園への編入を目指すことにしました。
この時も親は応援してくれて、私はとにかく必死に勉強しました。
それこそ、トイレとご飯以外はずっと勉強していたんです。
その結果、4科目のテストも、30分ほどで終わらせてしまうほどで、無事試験に合格することができました。

そんな風に活発に過ごしていき、高校生になるとアメリカ留学もしました。
テレビで見る海外の生活に興味があり、本当はアメリカの高校に進学したいとすら思っていたんです。
留学を通じて、改めて言語はコミュニケーションの道具で、重要なんだと感じましたね。
それまで日本で勉強していた英語はあまり役に立たず、伝えるためにはどうしたら良いのか、とにかく考えていました。

また、高校3年間は「国語作文教育研究所」にも通っていました。
これは一種の物書き教室で、作文が苦手だった妹が通い始め、その最初の面談の話を聞いて私も行ってみたいと思ったんです。
その面談では、先生がりんごをテーブルに置き「なんだと思う?」と聞いてきて、
「りんごです」と答えると、「本当にこれはりんごなの?ちゃんと見てる?」と言われるんです。
物事は一面から見ても本質は分からない、上から横から中からなど、いろんな視点で見ないと本当の姿は見えてこないと。
そんな風に物事を見れるんだと感動して、その先生の下で学びたいと思ったんです。

卒業後は日本語教師の道へ


高校卒業後は、社会を様々な視点で見たいと思い、社会学部のある東洋英和女学院大学に進学しました。
ただ、ラクロスに熱中していき、勉強なんて殆どしない生活を送りました。
必死に練習して、入部当時は部内最下位を争うほどの不得手だったのに、
気づけばレギュラー常連になり、4年生の時には主将を務めるほどでした。

とは言え、流石に親は就職して欲しいと思っていたので、就職活動もしてみました。
そして、興味のあった出版社の試験を受けに行くと、バブルが弾けて就職氷河期だったこともあり、
会場には同じリクルートスーツ、髪型をした学生が大量にいたんです。
その状況に違和感を感じ、だんだんおかしく思えてきちゃって。
こんなことしなきゃ日本の会社は人を選べないんだって。
また、その中に自分が入っているのもバカバカしく感じられ、結局、採用試験を受けずに帰ってしまったんです。

そして、就職をしないなら昔学んでいた日本語という分野で仕事をしたいと思い、
大学卒業後は日本語教師の養成学校に半年程通った後、オーストラリアの公立小学校で日本語教師をすることになりました。

子どもが苦手だったので、小学校と聞いて最初は非常に不安でした。
しかし、子どもと接していくうちに、子どものストレートな反応が面白く、接するのが楽しくなってきたんです。
面白い時も、その逆の時も、とにかく素直に感情表現してくれて、それは大人と接するときには得られないものでした。

そして、1年程して帰国した後も、子どもに教える仕事がしたいと思い、子ども向けの英語教師をすることにしたんです。

一歩踏み出して、環境を変える


そこでは英語劇に向けての英語教師として働き、2年程楽しく仕事をしていきました。
しかしある時、このまま英語の先生を続けるだけで良いのか、会社組織で働いてみたいと思うようになり、
派遣社員として働くことにしました。
社団法人や大企業など色々な会社で働き、組織によってその文化は全然違うことを感じながら、忙しく働く日々を送っていきました。
そして、結婚して長男を妊娠したタイミングで仕事を辞め、専業主婦になりました。

ところが、子どもが生まれてからは軽い鬱状態になってしまったんです。
産後2ヶ月程度は外出できず、喋れる大人といえば夫だけ。
初めての子育てで不安も分からないこともたくさんある中、どんどん孤独感にさいなまれていくんです。
また、体力には自信があったのに、抱っこのし過ぎで両手どちらも腱鞘炎になるほど肉体的にも厳しく、
お母さんてこんなに大変だったんだと、改めて実感しましたね。

そして、だんだん夫に依存するようになり、さすがにこのままではまずいと、
家の近くの区が運営する子育て広場に足を運んでみることにしました。
外に出るのすら非常に勇気を必要とする状態だったものの、とにかく環境を変えなければと思ったんです。
すると、そこでは大人と喋ることができるし、
自分と同じように悩んでいるママや、ちょっと先輩のママと話すことで、不安を取り除くことができたんです。

その後、子どもの1歳の誕生日パーティーをきっかけに、地域のママたちと子育てサークルを結成しました。
これは、あくまでママたちが楽しみたいことをするものでした。

親の心が満たされていない状態だと、子どもの心も満たされるはずないんですよね。
辛い状態が続いてしまうと、ともすれば虐待してしまうかもしれない。
そんな不安を持っている人も多いので、ママが自分自身楽しいことをして、自分を満たしていくための場だったんです。

資格を取ったその先のサポート


一方で、私はやっぱり仕事は自分で起こすものだと思い、40歳までに起業すると決めていました。
そして、下の娘が1歳半の時に自分が35歳になっていて、
あと5年しかないと、起業の準備や情報集めを始めることにしたんです。
子どもを預けながら参加できるママ起業家向けのセミナーに行ったり、
ベビーマッサージの資格や、児童英語教師の資格も取ったりしていきました。

そして、娘が3歳の時に、ベビーマッサージの資格を使って独立することに決めたんです。
試験を受けた感触で合格すると思っていたので、合否が出る前から集客を始めていました。
しかし、同じくベビーマッサージの資格を受験した同期の中で、仕事として始めたのは私だけだったんです。
みんな独立を目指していたはずなのに、資格を取ったは良いものの、
どうやってお客さんを見つけて独立すればよいか分からないと。

よく考えたら、認定資格の団体は、資格を取るところまでしか面倒を見ていなくて、
その資格をどうやってお金に変えるかは教えてくれないんです。
特に女性は色々な資格を取る人は多いのに、取っただけで終わらせてしまう人も多い。
だからこそ、私はこの問題に取り組むために、日本コミュニケーション育児協会を立ち上げました。
この協会では、ベビーセラピーなどの認定試験の運営をして、
資格取得後にどうやって集客するか、どう生業にするのか、その方法までサポートすることにしたんです。

さらに、協会の会員向けに提供していたノウハウをより多くの人に知ってもらうために、
2012年に「ママ起業応援ナビ」というサービスも始めました。
起業と言っても色々なかたちがあり、それこそプチ起業なんて呼ばれるものもあります。
制度的には起業もしやすくなっていますが、「私は子育てしかしてこなかったから」と自己肯定感の低い女性も多く、
そういう人に、背中を少しだけ押してあげられるような情報を提供したいと思ったんです。

女性の意識改革を


今は、さらにママ起業応援ナビから対象を広げ、女性起業家を対象に、
「わたしスタイルLABO」と呼ばれるサービスでも展開しています。
これはママ起業家よりももう少し事業的に進んでいる女性起業家が対象になり、WEBマーケティングを中心に支援をしています。

今後、私たちがしていくべきことは、「女性の意識改革」だと考えています。
世の中、政治的にも経済的にもどんどん変化して、女性の社会進出が叫ばれています。
実際そのための環境整備も進んでいます。
しかし、環境が整っても、今のままじゃ女性の社会進出は実現しないと思うんです。

未だに女子大生に将来の夢を聞くと、「専業主婦」と答える人がかなり多いんですよね。
あえて強い言葉を使うならば、経済的に自立しようとする意思も、覚悟もない。
もちろんそれが悪いことではないけれど、離婚や死別などで、突然夫がいなくなることもあるので、
経済的に独立する力をつけておくことは必要だと思うんです。

ただ、「専業主婦になるのが女性の正解の道」という世代で育ってきた親御さんに育てられているので、ある種当然なんです。
だからこそ、子どもが変わるためには、まず親が変わっていかなければいけなくて、
私は自分の活動を通じて、一人でも多くの女性が自分らしく、かつ経済的自立をできるようにしていきたいんです。

子どもに夢を語ってもらう前に、まずはママから夢を語るべきなんです。
そして、その背中を見せていくことが子どもの意識にも影響を与えられる唯一の方法だと思います。

私は自分の子どもたちが大人になった時、自立して、夢を大いに語ってほしいし、語れる社会を残してあげたいんです。

そんな社会を実現するまで、ママや女性を支援する活動を続けていきます。
私自身、自分の夢を語って、どんどん挑戦していき、その姿を子どもたちに見せていきたいですね。

2014.12.21

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