挑戦し続けて得た、失敗経験を伝えたい。
新規事業に取り組み続けた私の人生。

新卒で入った富士ゼロックスにて新規事業を立ち上げ続け、様々な失敗もしてきた経験から、「自分の失敗が若い人の役に立てば良い」と、コンサルティングを行う佐藤さん。その経験を踏まえて、大企業の中で新規事業は生まれづらいと語る背景には、どんなものがあるのか。お話を伺いました。

佐藤 博

さとう ひろし|IT企業向けコンサルティング
ヒロ・コンサルティングの代表として、自身の失敗経験を伝えるコンサルティングを行う。

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表現の裏にある思想


私は福島県で生まれました。父は公務員で転勤が多く、岩手、山梨、埼玉と引っ越していき、大学は早稲田大学の理工学部に進学しました。

大学に入った時にカメラを買ってもらってからは、写真を撮ることが好きで、将来は写真家の様に何かを表現したいと考え、プロの写真家の面接を受けたことがありました。その時、「クライアントから仏像の写真を撮影してほしいと言われたらどうするか」、と聞かれました。私はよく考えずに、「まず撮影しに行く」と答えたら、「君には才能がないから辞めたほうが良いよ」ときっぱり評価されてしまったんです。

人の心を動かすには背景にある思想や意思が大切で、まずはその仏像を撮ることで何を表現したいのかを考え、クライアントとすり合わせる必要があると言われました。

仏像と言っても、それぞれ作られた歴史があり文化があり、またその背景もある。それらを踏まえた上で、自分はどういう解釈をしたのか、だから朝なのか夜なのか、晴れなのか雨なのか、どんな表現をしたいかが先にないといけなかったんですね。

人を感動させる、動かすということは表面的なコトだけではなく、歴史も文化もあらゆる事を考え尽くして始めてプロの仕事なんだということを学ばされた出来事でした。

そして、就職をすることにして、いくつか届いた求人の中で、「モーレツからビューティフルへ」というキャッチコピーに惹かれて、富士ゼロックスに進むことに決めたんです。ものづくりも表現の1つとして興味があったからです。

会社を背負う気持ち


富士ゼロックスはコピー機の会社でした。しかし、面接時から「エレクトロニクスの新しいことをしないか?」と言われ、私はコピー機の次の事業を立ち上げる、新規技術の担当として研究所に採用されることになりました。

ただ、新規分野と言っても、新しい「商品」の開発を考えることが多く、そうではなく、新しいユーザーや社会のトレンドを追っていくべきではないかと、閉鎖的な研究所の中で感じていました。そして、3年位して上司が本社の企画部に移ることになり、私も連れていって欲しいと頼み、本社企画部に異動させてもらいました。

とにかくコピー機に変わる新しい事業を立ち上げなければと、会社を背負っているような感覚を持ちながら、試行錯誤の繰り返しをしながら、新しい方向性はどこにあるのか、それをさがして働きました。アメリカのゼロックス社の研究所で研究されていたパソコンの前進の機械で日本語の文書処理を担当したり、技術戦略として半導体技術の導入を進めたり、国が立ち上げた「第五世代計算機計画」と全く同じだけど名前の違う「人工知能」プロジェクトを立ち上げたりと、様々なことにチャレンジしていきました。

社内の中では色々動いたので軋轢を生むことはあっても、社内外のみんなに知ってもらえるのは良かったですね。新しい事業の種を探すのは仕事ではあるんですが、定められた業務をするというよりも知的に遊んでいるという感覚に近かったです。

40歳を過ぎた頃には、アメリカに進出したいと考えていました。アメリカにはゼロックスコーポレーションがあり、富士ゼロックスの商圏は日本などのアジア圏内と定められていましたが、アメリカの方が技術の発展も早いし、市場も大きいので進出するべきだと思っていました。

ただ、もちろんそんな簡単にはアメリカのゼロックスは認めてくれません。しかし以前から、シリコンバレーの会社に投資したり、ボストンの会社と共同研究をしたりもしていて、ゼロックス社の日本担当役員からは「ヒロ、アゲイン」と言われる程の問題児扱いされていました。(笑)逆に、そこまで個人的にも知られていたので、条件つきで何かしらのかたちで進出を認めるといった空気になっていったんです。

大企業での新規事業の限界


そして、ゼロックス本体があまり得意としていなかった小型プリンターをアメリカ市場に展開するために、富士ゼロックスの子会社(持株会社)、販売組織、研究所の3つをつくるところまでは、なんとかこぎつけることができました。ところが、いよいよアメリカ上陸後なんとかいろいろな事が立ち上がり始めたというところで、私はその子会社の担当から外されてしまったんです。

コピー機・プリンターをメインで扱う会社なので、新しいことをする人間はよく思われなかったこともあるのでしょうし、社内のポリオティクスも一杯有る会社でしたからね。ただ、それは本業にこだわりのある会社としてはある意味当然だとも感じましたね。

企業は本業に最適化したカタチで統治する仕組みを作り、思想を統一し、組織をつくるもので、その中に新規事業へのチャレンジなんて異端は入り込めないんですよね。 実際のところ、別の価値観をもう1つ立ち上げるのが新規事業なので、大企業で新規事業部がうまくいくはずがない、ほとんど無理なんだと実感したんです。

そして、今までは会社を背負ってきたけど、その道からも外れてしまい、今後は自分自身に、多角的な視点を身につけていこうと考えるようになりました。

子会社を外されたあと、幸いにも私はシリコンバレーでの駐在を続けることができる役割の担当となり、現地のベンチャー起業に入り込んでの駐在というポジションを得ました。そこでも毎日遊んでいる感覚でしたね。暇だったので(笑)、現地の色々な会社の人や、ベンチャーキャピタリストの人たちと知り合う事ができて、その中で現地の目線でビジネスを考えたり、日本向け販売の手伝いをしていました。

現地でのボランティアも一生懸命やりました。ちょうどネットが普及し始めの時でしたから、現地の学校にネットを張ったり、ブラウザを立ち上げたりという支援をして、PTAから感謝されたりという経験もしています。

起業家たちのエネルギー、ビジネスモデルを創っていく力を間近で感じ、やはり新しいことをやる時は、このようにベンチャー企業という新しい入れ物をつくることが重要だということを徹底して学びましたね。5年程様々な経験をさせてもらい、日本に帰国することになりました。

発想を転換する


帰国後しばらく経った後、1999年に外部から来た副社長が新規事業を進めることになったので、私も手伝うことにしました。

アメリカにある私がつくった研究所の人にネタがないか聞いたところ、小型のメールやインターネットに使えるサーバーを紹介されました。一度本社の企画部の検討では落ちたものでしたが、これに目をつけ、実際に使える品質なのかテストをした上で、本格的に事業化するためのプロジェクトが動き始めました。これを使って中小企業のインターネット化を促進する事業ができると思ったんです。

しかし2ヶ月程社内メンバーで話し合いビジネスを考えるものの、まともなアイディアは出てこず、結局、プロジェクトチームを一旦解散して、外資系のコンサルタントを雇ってビジネスモデルを構築することにしたんです。この時、日本の会社は商品をつくるのは強いものの、ビジネスモデルを考えるのは苦手なんだと改めて実感しましたね。

富士ゼロックスは機械売りの会社なので、ものを売るのは得意ですが、形の無いサービスを売るのは苦手です。その現状を踏まえてビジネスモデルを考える時、どうやったら売りやすいかと改善することを発想しがちですが、そうではなく、例えば、通信するだけの空の箱をつくって、通信先でソフトウェアの機能でサービスを提供すれば良い、など発想の転換ができるかどうかが大事なんです。

実際、本当はインターネットの接続先でメールサーバーなどを提供するものも、本来必要はないけど、通信用のボックスをつくることで、販売がやり易くなり、事業が一気に伸びたということもありました。

失敗を活かしたコンサルティング


2007年、シリコンバレーの企業の日本法人の社長を引き受けるため、定年も見えていたこともあって、富士ゼロックスを退職しました。その会社は、アメリカの本体企業がM&Aされて整理することになり、その後は自分の経験を活かしてコンサルタントとして活動をするようになりました。

私は会社員時代に、仕事でおそらく300億円以上の投資をしてきたので、実際、他の人以上に失敗もしてきました。海外のベンチャー企業に投資をして失敗したこともあるし、人を見極めずに裏切られてしまったこともある。そんな失敗経験を伝えていくことが、若い人のビジネスのヒントになれば良いと思ってやっています。なので、コンサルタントと言っても全然かっこいい感じではないんですよね。

また、ずっと新規事業に携わってきた経験からも、ビジネスモデルを考えることに関しては少しお手伝いができます。海外から日本向に商品展開を行う支援などもしています。

ちょっと話題は変わりますが、ここ数年、ゼロックス、Yahoo、IBM、HP、GM、ペプシコなど、名だたる大企業に女性CEOが増えてきているんです。ということから、アメリカの女性CEOの戦略構築やその展開に注目していて、日本とどこが違うのか、どう日本にも適用させたら良いのか、できるのか、などと考えています。

私の考えでは、男性は単純な1つ尺度(売上とか利益率とか)の判断基準でないと判断がしにくいのに対して、女性は色々な価値基準をミックスさせて、感覚的に正解を導き出す力に優れているように感じます。この複雑化する社会の中で、そういう多様性の中での判断力が求められていると感じていて、うまく日本社会にも適用できればと思っています。

また、個人的には古琉球についても興味を持っています。琉球は15−16世紀に貿易が盛んだった国です。しかし、人口はあまり多くない小国がどうして中国大陸や東南アジアの国々などとも対等な立場で交易ができたのか。そこに、今の日本の外交や新たな経済成長の在り方を考えるヒントがあるのでは考えているのです。

そうやって色々なことからヒントを得ながら、見つけたことを今後も若い人たちに伝え続けていけたらと思います。





2014.12.19

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