営業が変われば経済も変わると思うんです。「まだこんなもんじゃない」と続けてきた人生。

クライアントの売上を上げるため、様々な営業支援を行う高橋さん。小さい頃は働くイメージを持てていなかったところから、誰かに「やり方を教える」仕事の楽しさを見出すようになるには、どのような背景があったのか。お話を伺いました。

高橋 兼三

たかはし けんぞう|売上を上げる営業コンサルティング
クライアントの売上を上げることを軸に、コンサルティングや業務のアウトソーシング支援、研修などを行う株式会社ビジネスコネクション代表取締役を務める。

株式会社ビジネスコネクション

働く実感が持てなかった


私は福岡県で生まれました。
小さい頃からやんちゃで、友だちと喧嘩ばかりしていましたね。
短気で喧嘩っ早かったんです。

運動が好きで、小学生の時に野球を始める一方で、図工などの手を動かすことも好きで、
将来は床屋さんになりたいかも、なんてぼんやりと思っていました。

そして高校生になると友だちの影響でバンドを始めて、ギターと歌に熱中していました。
バンドブームの中、BOOWYやZIGGYなどのコピーバンドをしましたね。
ミーハーで、今度は将来はミュージシャンになりたいと、願望程度でしたが思っていましたね。
また、人に何かを教えるのはずっと好きで、高校の時から家庭教師のアルバイトを始め、
学校の先生になるのも面白そうだと思っていました。
自分が何かを伝えることで、成績が上がったり、相手から反応が返ってくるのが好きだったんです。

そうやって、色々なものに興味は持っていたものの、結局どれにも実感は持てませんでした。
なんとなく大学には通うんだろうと思っていたし、私は父親がいなかったこともあり、会社で働くというのがどういうことなのか、
現実としてイメージすることができなかったんです。

ただ、狭いアパート住まいで、将来は母に一軒家を買ってあげたいと感じたことや、元々数学が好きだったこともあり、
大学は建築学科を選んだのです。

CDショップと一心同体


しかし、建築の勉強は、設計などをしても楽しいと思えなかったし、法律なども関わってきて難しく、どんどん興味を失ってしまいました。
そして、バブル真っ盛りだったこともあり、バイトでお金を稼いでは遊ぶ生活を送るようになりました。
飲みに行ったり、九州の温泉めぐりをしたり、遊びとバイトで忙しかったですね。(笑)

そして4年生になると周りのみんなと同じように就職活動を始めました。
ミーハーだったのでテレビ業界や、音楽業界、学部で勉強していた建築業界を中心に面接を受けていきました。
そして、最終的に、音楽の会社に就職しました。

その会社は音楽CDの流通の元締めのような会社で、レコード会社からCDショップへの流通ネットワークを展開していました。
レコード業界では、商品原価にマージンを乗せて流通させる方法ではなく、
CDの取り扱い量に応じて手数料が入るといった特殊な商流になっていました。
CDをたくさん仕入れてもらっても、売れなければ返品で返ってくる。
「売れなくても知りません」というスタンスが通用しない世界でした。
そのため、必然として、ショップを繁盛させないといけない。多くのお客様を集客して、販売促進をしなければならない。
このような宿命を抱えていたため、業界の営業マンは、CDショップと一心同体、小売のコサンルティングそのものでした。

商品の置き方やポップの書き方などで売れ行きが変わる。POSレジの購買履歴を分析して、改善を促す。
このような活動から効果も出たので、仕事に対する自信がどんどんついていきましたね。
そして会社でもその働きぶりが評価され、同期の中でも昇進は早い方でした。

昇進への壁と転職


13年程働いていた時に、新規事業に関わることがありました。
それは、音楽業界に特化したお問い合わせ受付のコールセンターを自社につくるもので、
システムの構築から業務オペレーションまで、全国の社内説明会を実施するなど、大がかりなプロジェクトに携わるようになりました。

ある一定の成果を出したつもりではあったのですが、それが評価につながる事はなくその後、私の昇進は停滞していました。
会社に貢献したのになぜ・・・

ただ、私はその不満や怒りで腐るという事はありませんでした。
見返してやるという反骨精神の方が大きかったです。
「自分はこんなものじゃない!」という思い込みが激しかったんです。(笑)

その後も新たな新規事業に携わることができ、音楽業界だけでなく、コールセンターや通販の経験も積むことができたので、
そういう意味においては他の社員に比べ恵まれていたと思います。
結果を出しても、認められないという理不尽さはあったものの、
反面、自分自身の自信や成長につながっていき、そこから視野が大きく広がっていきました。
そして、「自分はこんなものじゃない!」という思いが、とうとう社外に向かっていきました。

転職をするか、自分で会社を作るか、考えるようになっていきました。

自分はまだこんなもんじゃない


そして選んだのは転職でした。
前職で好きになったコールセンターの仕事を、本業としてやっている会社へ入社することにしたんです。
そのコールセンターの会社では営業として、通販企業など様々な企業に対して、
コール業務をアウトソーシングしないかと提案する仕事をしていました。
そんな中、クライアントから個別に通販の集客や販促の相談を受けるようになり、それをきっかけにコンサルタントとして独立する事を決意。
3年ほどでコールセンターの会社を辞めることになりました。

独立後トラブルもあり一時的にクライアントが1社もないという状況もありました。
本当に様々な人に頭を下げて仕事をもらえないか走り回るものの、全然受注できないんです。

なんとか業務委託としてアルバイトのような仕事を依頼してもらったり、短期の仕事をふってもらったりして食いつないでいきました。
人に助けられる日々で、まさにその日暮らしの生活といった感じでしたね。

その後、一緒に仕事をしたいと言ってくれた仲間が会社に入ってくれたものの、思うように売上を伸ばすことができず、
最終的にその仲間も去っていくことになりました。
現実的に、「自分も転職してサラリーマンに戻った方がいいのか・・・」そんなことも頭によぎりました。
でもやっぱり「自分の仕事」は楽しいから、自分でやりたい。評価は社内でなく社外から受けたい。
そして、「後悔しないよう、やれるところまでやろう!」と決意し、がむしゃらにマーケティングしクライアントを探し求めました。
お昼もまともに食べず、時間を稼ぐため走って移動してましたね。(笑)

いろんな方法を試して失敗していく内に、失敗しなくなり、徐々に仕事もとれるようになりました。

営業を通じて経済を活性化する


今は、クライアント企業の売上を上げるため、様々な分野でお手伝いしています。
その方法がコンサルティングなのか、研修(人材育成)なのか、テレアポなのか、最適な解決策を提示していきます。
あくまで私たちは「アポが○○件取れた」ということではなく、「売上にどう貢献したか」を意識していることが強みです。
やっぱり、お客さんの売上が上がった瞬間が1番嬉しいですね。
おかげさまで、今では相手先から依頼がくることも増えてきました。

そして今後は会社として雇用にも目を向け、しっかりとした組織として動いていきたいです。
ただの損得としての会社でなく、社会性とか、経済とかその辺の意識をもった経営をしていきたいと思っています。

また、私たちが行っている営業支援は、世の中をよくする仕事だと思っています。
営業が上手くいけば、会社の業績があがり、経済が活性化します。
売ってる側も楽しいし、仕事に対するモチベーションが上がる。
売れないとモチベーションはあがらないですよね。
営業がうまくいけば社員も会社もハッピーになるんです。

だからこそ、その営業がうまくいく仕組みを提案していきたい、自分はこんなもんじゃないという思いから、
今は、自分の力で世の中の営業をなんとかしたいという思いへ、社会貢献につながるという確信に繋がっていきました。

あの頃、腐らず、あきらめなかった事が今につながっていると思います。
これからも多くの試練が待っていると思いますがこの精神を持ち続け、クライアントのために尽力していきたいと思っています。

2014.12.17

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