情報格差をなくし、納得のいくキャリア選択を。「知らない」からできない選択をなくす。

全ての人が納得のいくキャリア選択をできるようにするため、就活生向けのメディアとスクールを立ち上げた高嶌さん。幼い頃から歯科医の道かアイスホッケーの道と、将来のキャリアで悩むことが多いものの、知らない情報があったから選べなかった選択肢も多かったそうです。そんな高嶌さんが独立を決め、新しい事業を立ち上げて目指す世界とは。お話を伺いました。

高嶌 悠人

たかしま ゆうと|就活生向けメディア・スクールの運営
就活生のキャリア支援サービスを提供する、株式会社カイカ代表取締役社長。

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歯医者かアイスホッケー選手か


私は「氷都」とも呼ばれる、北海道苫小牧市で生まれ育ちました。

父は開業医で家のしつけはとても厳しく、
勉強は当然のごとく、剣道、水泳、バスケ、野球など、その時々によって様々な習いごとをする生活を送っていました。
将来は歯科医を継ぐことを期待してもらい、色々なことをさせてもらったんです。

一方、私には妹が3人いて、1つ年下の妹はアイスホッケーをやっていました。
苫小牧ではアイスホッケーが学校の体育大会の競技だったり、そりを使って練習道具を運んでいる人をよく見たりと、
野球やサッカーと並んでメジャーなスポーツだったんです。
そして、妹の所属するチームにキーパーがいないという理由で、10歳の頃に私もアイスホッケーを始めることになりました。

優秀な選手である妹と比べられたり、練習では容赦なく妹にゴールを決められたりするので、最初は苦痛でしたね。

ただ、アイスホッケーは頭を使い工夫すれば結果につながるので、それが次第に楽しみに変わっていったんです。
例えばサッカーのキーパーだと、相手のシュートコースによっては「絶対に防げない」ことがあると思います。
しかし、アイスホッケーのゴールは小さいので、考え方一つで防げないことはないんですよね。
そして、実績も出せて、将来はアイスホッケーの選手になりたいと考えるようになり、
高校も全国で一番アイスホッケーが強い学校に進学しようと思っていました。

しかし、悩んだ結果、歯科医の道も選べる進学校に進むことにしました。

情報を知ることで変わる結果


高校でもアイスホッケーに打ち込み、18歳以下の日本代表に選ばれたりもしながら、3年生になり進路を考える時期になりました。

妹は16歳の時に最年少で日本代表に選ばれる程の選手で、私も妹と共にアイスホッケーの世界で活躍したいと思って、
高校卒業後は実業団に入ることも考えていました。

ただ、父からは歯科医の道に進むことへの期待を感じていまいたし、
顧問の先生に相談するとアイスホッケーの強い大学を勧められたり、担任の先生には偏差値の高い大学を勧められたりと、
私という一人の人間の進路を考えているのに、その人の立場によって勧めてくれる選択肢は全く違ったんです。

悩んだ挙句、結局、私は全ての選択肢を残せる手段として、
学部を卒業した後に歯学部に進学すると、6年ではなく4年で卒業できる学士入学制度があり、体育会もあった、
慶應義塾大学に進学することにしました。

慶應大学にはスポーツ推薦はないので一つひとつの部活に他大学のようなスター選手は多くないものの、
体育会の仕組みは非常に強固なものでした。
その中でも、「LEAP(Leadership Education Athlete Program )」と呼ばれる、
会社の組織運営の仕組みをスポーツに応用したプログラムは非常に勉強になりました。
これは、各部活の代表が集まり、歴代の先輩たちがリーダーシップや目標設定、行動計画の方法など、原理原則を教えるもので、
それによってスーパープレイヤーがいなくとも、仕組みの力で各部活を強くするというものだったんです。

私は1年生の時にこのプログラムに参加し、学年が上がると講師もさせてもらうことができました。
このプログラムの効果は絶大で、自分たちの成果にもつながるし、プログラムを受けた人からチームが強くなったと聞くのは嬉しかったですね。
情報を知っているかどうかが結果や練習の効率を左右するものだと、身をもって実感することができたんです。

また、このプログラムを創設した、中野森厳先輩という方にはよく人生の相談にのってもらいました。
この方との対話を通じて気づかせてもらうことは多く、人との対話がもたらす人生への幸福感を知ることができました。

知らない中での選択


そんな大学生活を過ごしていた3年生の時に怪我をしてしまい、結局、実業団を目指すことは諦めました。
そして、将来のことを考えた時、父の跡を継ぐことはあまり考えられず、
周りの友だちと同じように、就職活動をして企業に勤めることに決めました。

ただ、既に選考間近の時期に差し掛かっていて、自分が本当に行きたい会社はどこなのかを考える時間的余裕はありませんでした。
今まで進路選択に悩むことが多かったので、「キャリア」「教育」というキーワードがぼんやりと頭には浮かぶものの、
具体的な選択肢は分からなかったんです。

そこで、翌年に本番の就職活動をすることに決め、この年は練習と割りきっていくつかの企業にエントリーすることにしました。
そして、練習するなら最終面接まで経験したいと考え、相性の良さそうな企業を先輩に聞き、勧められた広告代理店を受けてみました。

すると、中でも電通を受ける就活生には、スポーツ選手を目指していた人や、怪我で諦めた人など、自分と似ている境遇の人がたくさんいたんです。
そこで、この環境は自分と合うと考え、内定をもらい入社することにしました。

ただ、自分がやりたいことに関しては深く考えていなく、
周りも大企業や外資企業に就職する人が多かったので、これが「普通の選択だ」と思って決めてしまった節もあり、
入社してからはそんな自分に違和感を覚えてしまいました。
そして、やはり自分は何がやりたいのかを考える時間が必要だと考え、
また、そのメンタリティで働き続けるのも会社に迷惑になると、1年ほどで退職することにしました。

納得できる選択のために


その後、歯学部への学士入学試験の勉強をしながら、自分の将来について考えることにしました。
歯医者として仕事をしながら、ライフワークとしてキャリアを支援するのもありかと思ったのです。

ただ、その社会人向けの学士入学では、MRや薬剤師などの医療従事者が、仕事をする中でその職種や環境でできることに限界を感じて医学部や歯学部を目指す人が多い中、
「親が歯医者だから」という理由で将来を選ぶ自分への違和感は拭えませんでした。

そして、改めて自分の人生を振り返り、価値観を見つめた時に残ったのが、
「誰しもが平等に、納得のいくキャリアを選択できる」というキーワードでした。
幼い頃からどんな人に対しても平等に接するように育てられたこと、
自分の人生においてキャリア選択で悩むのが多かったことが、価値観に強く影響していたんです。

その中で、大学受験の時も就職活動の時も、情報を「知らなかった」から選べなかった選択肢が多く、
必要な情報が手に届かない状況、情報格差をなくす必要があると考えたのです。
逆に、大学の時にLEAPで情報を知ることで、結果が変わる経験をしていたのも印象的でした。

そこで、特に、多くの時間を使ってキャリアのことを考えられる就職活動中の大学生向けに、
納得の行くキャリア選択するために必要な情報を提供したいと考えるようになりました。

そして、そのミッションに適合した、ガクーという会社に転職することにして、就活生向けの塾を運営していました。
そこは就活予備校のような場で、必要な情報を提供したり、対話の中で学生自身の方向性を見つける手伝いをしたり、
それこそ具体的な面接対策など幅広い支援を行っていきました。

私は大阪校の立ち上げに携わったり、本を出版したりして、より多くの学生に情報を届けることを目指していました。
しかし、リアルな塾だとどうしてもアプローチできる学生数に限りがありました。
また、私の地元のように、情報がほとんどない地域での格差をなくしたいと考えていたものの、
学生の多い大都市でなければ学校運営は難しい実情もあったんです。

そこで、WEBメディアによってより多くの人に情報を提供したいと考え、3年ほどで会社を辞めることにしました。

情報格差をなくす


そして、その内容を落とし込んだ事業計画書を片手に転職活動をした結果、
自分で立ち上げるのが一番目標達成に近そうだと感じ、2014年11月に独立しました。
ただ、それまでは就活塾などの対面での活動ばかりでWEBに詳しくなかったので、
WEBメディアの実績を出していた株式会社イードと業務提携して、事業をスタートさせることにしたんです。

そして、私たちは「MyCareerCenter web(マイキャリアセンターウェブ)」というメディアと、
「MyCareerCenter(マイキャリアセンター)」というリアルのスクールの2つの事業を立ち上げました。
どちらも根底にあるのは、全ての人が納得のいくキャリア選択を行うことができるようにすることです。

情報というのは、自分が属するコミュニティによって偏ってしまいがちなものです。
私も大学受験の時には実業団で選手になってから企業で働くなど、キャリアの積み方が分からなかったし、
慶應大学時代にはベンチャー企業やNPOで働くということは選択肢にすらありませんでした。
地域では都会の情報が入りづらく、地元の友だちから東京で行われる企業説明会に代理で参加して欲しいと言われたこともあります。
そうやって、コミュニティ毎にどうしても発生してしまう情報格差をなくすことが私たちの使命だと考えています。

また、メディアでやり方と情報を知るだけでなく、実践する場として対面で話すスクールの価値も大きいと考えています。
自分のことを本気で考えてくれる人との対話の中で生まれるものは偉大で、頭の中にあるものを一緒に言語化していくこともできます。
そうやって、スクールでは人の温もりを持ち、悩む学生と向き合うことを大事に守っていきたいです。

とは言っても、私1人で会える人の数には限界があります。
なので、将来的には教材やノウハウなどをフランチャイズのような形で、
同じような志を持つ人たちが各地に点在するモデルも考えています。

そうやって、全ての人が納得のいくキャリアを選べるような社会をつくっていきたいです。

2014.12.10

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