都会も田舎もある暮らしを。「してあげる」から「やりたい」への変化。

「限界集落」と呼ばれる山梨県芦川町(旧芦川村)出身の保要さん。その芦川町(旧芦川村)で古民家を利用した宿を経営しています。「都会も田舎もある暮らし」を目指すようになったのにはどのような背景があったのでしょうか。お話を伺いました。

保要 佳江

ほよう よしえ|古民家を利用した宿の経営をするコンシェルジュ
「持続可能な村作り」という理念のもと、山梨県の限界集落、芦川町(旧芦川村)の魅力を伝え、
芦川を存続集落にしていくための「芦川ぷらす」を設立、運営している。

芦川ぷらす HP
古民家宿LOOF

芦川町(旧芦川村)から世界へ


2歳の時に、東京から山梨県芦川町に(旧芦川村)引っ越しました。
小学校へも歩いて1時間かけて通うような村で、8人の同級生と幼稚園から中学校までずっと一緒という環境でした。

そんな環境で育っていたある時、小学校の社会の宿題で関心を持った新聞記事をスクラップする宿題が出たのですが、
その時私は、世界には1ドル以下で生活している人がいるという記事を見つけ、
「そんな人がいるんだ」と驚いたんですね。
それ以来、中学生に入ってからも国際協力に興味を持つようになりました。

その後、中学を卒業してからは、村には高校がなかったこともあり、甲府市の高校へ通うことになりました。
その学校は1学年に40人のクラスが7つあるような学校で、村にはない楽しさを感じると同時に、
村に対して、不便さを感じるようになりましたね。
登下校のために、家から学校まで両親が車で送り迎えをしていたことも理由の一つでした。

そして高校2年生になって、学校まで原付で通える距離のところへ引っ越したのですが、
便利で色々な人がいる所へ行ってみたいという気持ちは変わらなかったので、
大学は、国際協力を学べる東京の大学へ行くことにしました。

そして、大学に入学してからは学内の留学制度で海外へ行こうと、
アルバイトをしてお金を貯めていました。
2年生の時には、フィリピンの孤児院を訪問するツアーに参加し、
3年生では念願の留学をすることができたんです。

日本人が少ないところへ行きたいという思いもあり、アイルランドを選択し、
1年間、語学を学びながら、お酒も強くなりましたね。(笑)

「限界集落に何かしなきゃ」という使命感


留学から帰ってきて、就職活動をの時期になったのですが、
「英語を使う環境にいたい」「就職活動したくないな」という思いがあり、
先のことは具体的に決めずに休学することにしました。

その後、実際に休学してからは、大学2年生の時に課外授業で行ったことがあった、
アジア学院という農村指導者育成の専門学校で、住み込みボランティアをすることに決めました。
その学校は、色々な国から人が来ていて、英語を使える自分にぴったりの環境だったんです。
主な活動としては、農業を中心に、自給自足の共同生活をしていました。

また、アジア学院はキリスト教系の専門学校だったので、毎朝のお祈りの時間があり、
その中に、担当を持ち回りするスピーチの時間があったんです。
そして、私にスピーチの順番が回ってきた時、地元のことを話そうと思って芦川町(旧芦川村)について調べていたところ、
芦川町(旧芦川村)が、人口の50%以上が65歳以上で共同体として機能しにくくなっている「限界集落」だったことを知り、とても驚きました。

また、同じ頃に、世界の問題に関心を抱く私に、

「自分の身近なことを変えられないようじゃ世界のことを変えることは難しい」

という言葉をかけてくれた友人がいたんです。
その2つのキッカケから私の中で、

「世界の前に、まず限界集落に何かをしなきゃ」

という使命感が強くおこり、村おこしに興味を持ち始めました。

そして休学を終えて、学校に通いながら、村おこしのための人材育成のセミナーに参加するようになりました。
三重県で開催されるセミナーだったので、月に1回東京から夜行バスに乗って、
都市と農村を結ぶコーディネータ-になるための知識を学び始め、
村おこしには農業が大切だろうな、と考えるようになっていきました。

その後、周りが就職活動の時期になっても、私はあまり本腰を入れることはしなかったのですが、
一度だけ行ったセミナーで、ちょうど農業分野で面白そうなことをやっている会社を見つけ、
面白そうだと感じたこともあり、インターンをした上で、そのまま就職することに決めました。

その会社は農業の流通を変えようとしていおり、野菜に対するブランド価値をつけて、
農家が報われる仕組みを作ろうとしていたんですね。
元々、いつかは村おこしのために独立したいと思っていたので、修行のつもりで働き始めました。

村おこしはやめよう


就職してからは、レストラン運営に関わっている飲食部門に配属され、
そこでは生産者の思いを伝える場所として、農家から仕入れた農産物を使いながら、
接客や企画を行うようになりました。

そして、その部署の研修で農業の研修に行くことになったのですが、
その研修で、自分の作業のミスが原因で、モロヘイヤの出荷を遅らせてしまう失敗をしてしまったんです。
それ以来、私には農業は向いていないなと感じるようになり、
農業に従事するのではなく、経営者のような新しい雇用を作る側にまわろうと思い始めました。

正直、仕事はとても大変な環境でしたが、店長になるという目標があったので、なんとか続けていましたね。
また、義務を果たせば、何でも挑戦できる環境の会社だったので、
私もポイントカードを作ったりメニューを作ったり、裁量を持って色々なことに挑戦していました。

そんなある時、たまたま久しぶりに友達と芦川町(旧芦川村)に帰った時に、村の中に古民家が作られていたんです。

そこで、仕事で携わっているモデルを参考にして、
芦川の名産品を使って、フレンチが食べられたら面白いなと思い、
古民家の囲炉裏で食べるフレンチということで「囲炉裏フレンチ」というイベントを企画、提案したんです。

しかし、イベントを開催し始めてから、村おこしはやめようと思いました。

私は村おこしを通じて芦川町(旧芦川村)を変えたいと思っていたけど、
私の力で村を変えることはできないし、村の人も変えたいとは思っていないと気付いたんです。
そこで、地域の人が感じている問題を、自分のやりたいことを通して解決していこうと思うようになりました。

そして、私にとってやりたいことはなにか考えたときにたどり着いたのは、
「田舎も都会もある暮らし」の実現でした。

私は生まれ育った芦川町(旧芦川村)のような田舎の良さも、大学や仕事で過ごす都会の良さも両方知っていたので、
私自身はもちろん、将来子育てをする時のことを考えても、
「田舎も都会もある暮らし」の中で育てていきたいと思ったんです。

田舎も都会もある暮らしを


そんな背景から、現在は地元の芦川町(旧芦川村)で古民家を使った宿を経営しています。
実は芦川町(旧芦川村)って、東京からも山梨県の他の観光名所からも近い場所にあるので、
外国人観光客や都会に住む20代女性をメインターゲットにしています。

来た人には、普通の観光・旅行では出来ないような体験を提供することで、
少しでも田舎での暮らしを身近に感じてもらえればと思っています。
実際に、芦川町(旧芦川村)を訪れる人は観光スポットを求めている人は少ないので、
トレッキングをしたり、ぼーっと歩いたりする人が多く、
マップに載っていないような隠れたスポットをお勧めすることもあります。

これからは、田舎にも住みたい人と、その人のための宿を増やしていきたいです。
田舎から人が出て行ってしまう理由の一つとして、職がないことが挙げられるので、
田舎に住みたい人のために雇用を生むことが出来ればと思っているんです。

私自身も、宿のコンシェルジュとして、古民家で料理や掃除など、いろいろなことをやり、
自ら生活をしていけるビジネスを築いていこうとしている一方で、
仕事がないときは、出来るだけ東京にいるようにしています。

また、もっと将来的に見たときに、海外でも何かできればいいなと強く思っています。
何かを「してあげる」のではなく、自分が何か「やりたい」ことをすることで、
相手にもプラスになればと思いますね。

2014.12.06

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