夢までの距離はこんなに近かった。表現者として、人にきっかけを与えたい。

華やかな世界で表現者として活動されている一方で、小さい頃はシャイで暗い子供だったと話す鈴木さん。そんな彼が、「誰かの人の人生のちょっとした一部になって、自分がきっかけを与えたい」と思うようになった背景を伺いました。

鈴木 大介

すずき だいすけ|モデル・ミュージシャン・演者
東京を拠点として、モデル・ミュージシャン・演者として活動中。アーティストとしては、「D」という名前で活動している。

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大好きだった家族


僕は名古屋で、4人兄弟の末っ子として生まれました。

兄は、僕と11歳離れていて、よく面倒を見てくれました。
Mr.Childrenが好きでバンドをやっていた兄は、僕にギターや歌を教えてくれましたし、バスケや野球といったスポーツも教えてくれました。

しかし、10歳の頃に両親が離婚してしまい、僕は、姉と母と3人で暮らし始めたんです。
母は働きに出ていたので僕はいわゆる鍵っ子で、家に帰っても誰もいなくていつも1人でいたし、
また、離婚をしてから僕の周りの人は父のことを厳しく言うこともあり、それを聞くのが嫌で徐々にふさぎ込むようになってしまいました。

そして、家庭で暗くなっていくと、それは学校生活でも現れるようになり、転校したてということもありいじめの対象になったんです。
家でも学校でも居場所がなく、自分の命を絶とうと考えたこともありました。

そんな頃、仲の良かった友達に誘われて、小学校の野球チームに入ることにしたんです。
やり始めるとすごく熱中してして、毎日200回くらいバッドを振っていたんですけど、
初めてホームランが打てた時の快感は忘れられないですね。
野球に熱中することで、寂しかった気持ちが少しずつ癒やされていったんです。

踏み出せない夢


中学校でも野球部に入り、毎日厳しい練習がありましたが、たまにある休みには部活の仲間とカラオケに行っていました。
そんなある時、僕が歌うと、「歌うまいね。歌手になればいいじゃん。」と一番仲の良かった友達に言われたんです。

そう言われて、僕は初めて自分には歌が上手いという特徴があることを知り、もっとみんなに歌を聞いてもらいたいと思いましたが、
特に音楽の道へ一歩踏み出すことなどはなく、いつかやれたらいいなと思っているだけでした。

高校に入っても野球を続けていきましたが、次第にプロ野球選手になるには実力が足りないと感じるようになり、
卒業後はみんなと同じように大学に進もうと思い始めました。

そして、ちょうど高校3年生で部活を引退した頃に、服が好きな姉がダサい服を着ていた僕を見て、きちんとした服を着なさいと、服屋へ連れて行ってくれたんです。
この時初めて、自分が着る服について考えましたし、これがきっかけでおしゃれが好きになったんですよね。

そして、友達とバンドをやろうかという話も出たのですが、結局受験が忙しくなってその話は流れてしまい、
特にやりたいことはなかったのですが、なんとなく良い大学に行こうと思い、大学に進学することにしました。

本気になってくれる人


大学生になってサークルなどには入らず、一人でギターを引きながら歌を歌ったりもしていましたが、
僕がはまっていたのは、古着屋を巡ることでした。
名古屋には大須という地域があって、そこにはたくさんの古着屋が集まっているのですが、あるお気に入りの店ができ、毎日のように通うようになりました。
そして次第にその店のオーナーとも親しくなり、プライベートでも遊ぶようになりました。

オーナーは一緒に飲みに行ったりして、僕が小さい頃に考えていたことや悩んでいたことの話をすると、本気で泣いてくれるような人でした。
オーナー自身も少し複雑な家庭で育ったので、自分のことのように思ってくれ、
僕のような1人の若者に対して本気で向き合い、一緒に考えてくれたのがすごくうれしかったですね。

また、それだけではなく、僕が中途半端なことをすればしっかり怒ってくれるし、
何か嬉しいことがあれば一緒に喜んでくれ、自分がやりたいことをやるようにと後押しまでしてくれ、
きちんと僕のことを見て接してくれていると感じることができたんですよね。

この時、辛い思いを経験してきた人たちは、本当の意味での優しい心を持てるんだと感じたんです。

夢までの距離


そしていつしか、なんとなくボイストレーニングに通い始めるようになったのですが、
大学3年生になった頃にボイストレーニングの先生から、モデルをやってみないかと誘われたんです。
人前で注目されるのは好きだったし、なかなかできる仕事ではないので、やれるものなら是非やってみたいと思い、
芸能事務所のマネージャーさんを紹介してもらい、モデルとして活動するようになりました。

初めての仕事は雑誌の撮影でした。
それまで写真を撮られることなんてないので、カメラを向けられてポージングすることは想像以上に恥ずかしかったし、自分を切り替えるのは難しかったのですが、
自分が写った雑誌が、あっという間に世の中に出て、人の目に触れるのには驚きと感動がありました。

その時、テレビとか雑誌に載るなんて夢のように遠いと思っていた距離は、「こんなに近かったんだ」と感じたんです。
そして、ちょうど就職活動を始める時期でしたが、
モデルをやりたくてもやれない人がいる世界で、こんなチャンスはまたとないし、
挑戦できる環境があるのであれば、できる限り踏み出さなければダメだと思ったんです。

また、良くしてくれていた古着屋のオーナーは、僕が歌やギターが好きだということも知っていたので、
その古着屋で開催されるアニバーサリーイベントで歌うことを提案してくれ、初めて人前で歌を歌ったんです。
非常に緊張しましたし、完璧ではありませんでしたが、
終わってみるとすごく楽しかったし、もっと多くの人に見てもらいたいと感じましたね。

そこで、就職はせずに表現者として生きていくことを決意し、東京に上京することにしました。

自分の表現から与えられるもの


今は、モデル事務所に所属してモデルや舞台役者として活動する傍ら、個人的にシンガーソングライターとして音楽も始めました。
ただ、モデルも音楽もどちらも同じ軸を持っていて、僕は表現を通じて人にきっかけを与えたいと思っているんです。

今までの人生を通じ、こうして自分の夢に向かって充実した日々を過ごせているのは、全て周りの人がきっかけを与えてくれたおかげです。
そして、家族や、古着屋のオーナーや、ボイストレーニングの先生からもらってきたように、
今度は僕がきっかけを与えていく番だと考えています。

やりたいことがあるけど、世間の目に押しつぶされて踏み出せない人ってたくさんいると思うんですが、
僕はそんな人たちを巻き込んでいけるような台風の目のような存在になりたいんです。
そのために、僕自信が挑戦していき、自分の表現をその人の人生のちょっとした一部になれるように、自分自身を高めていかなければと思います。

今後は自分の表現を広げていくために、舞台やダンスなどの現場にもどんどん行き、
違う分野の人達からも吸収していきたいです。

今はまだあまり人の目に触れる仕事は多くないので、オーディションも受け仕事も増やしていきたいし、
直近では映画への出演や、ワンマンライブで100人以上のお客さんに来てもらうことを目標にしています。
見てもらってなんぼの世界ですから、露出は増やしていきたいですね。

そして、多くの人に認めてもらえる自分流の表現で、人の人生ににきっかけを与えていけたらと思います。

2014.12.05

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