心の中に課題を抱えている人の力になりたい。私がアフリカでエイズ孤児支援を行う理由。

ウガンダやケニアのエイズ孤児の支援や、大人に向けたエイズの啓蒙活動を行NGOを運営する門田さん。 大学在学中に日本初のエイズ孤児に特化したNGO団体を立ち上げ、時代に合わせて生じる課題に取り組む背景には、どのような思いがあるのでしょうか。

門田 瑠衣子

もんだ るいこ|エイズ孤児支援のNGO団体代表
日本初のエイズ孤児に特化したNGO団体PLASを設立し、
現在はウガンダとケニアの2カ国でエイズの啓蒙活動や教育支援活動を行う。

特定非営利活動法人 エイズ孤児支援NGO・PLAS

いじめてる側も辛いんじゃないか


熊本県に生まれ、小さい頃から正義感が強い性格の子どもでした。
中学生になると、ヘアゴムの色で人を判断するのに違和感を感じて校則を変える運動をしてみたり、
自分が正しいと思ったことは大事にしたいタイプでしたね。
そして、そんな風に優等生的な部分があったため、中学2年生の時に学校でいじめられてしまったんです。

自分が正しいと思ったことをしていたので、いじめられた私はもちろん大変だったのですが、
次第に、「なぜ標的を決めていじめるんだろう?」とか、
家庭の問題など、「いじめている側だけが悪いのではないんじゃないか?」と考え、
いじめている側も辛い気持ちを抱えているんじゃないかと感じたんですよね。

そんな風に考えることは、自分がネガティブに感じないための自己暗示だったのかもしれないです。
それでも、高校に入ってからは、一番仲の良い友達が、家庭環境に悩みながらも、 人には当たらず、自分で変わろうとしていたこともあり、

「やっぱり人って変われるんだな」

と感じましたね。
同時に、誰かが自分らしく変わる手助けをしたいという気持ちが芽生え、
カウンセラーに興味を持つようになったんです。

そこで、卒業後はカウンセラーの勉強が出来る環境を探し、東京の大学に進学することに決めました。

国際平和に興味を持ち、ボランティアに参加


大学では、心理カウンセラーの資格が取れる学科に入学したのですが、
入学前の理想が大きくなり過ぎていたせいか、教授の語るカウンセラー像と自分の理想イメージにギャップを感じてしまい、
モチベーションが落ちてしまいました。

また、同時に履修していた平和学の授業で、フィリピンのバナナ農家の子供たちが農薬散布のために、
自分自身も農薬を浴びてしまっているという話を聴く機会があり

「自分が食べていたものってこういった犠牲の上にあるんだ」

とすごくショックを受けたんです。
それまで関係ないと思っていた外国の話が自分とつながったことで興味を持ち始め、
実際にフィリピンにボランティアに行ってみることにしました。

現地では、NPO法人のプログラムで孤児院を訪れたのですが、
訪れる前のイメージと異なり、皆明るくて人懐っこい子供たちばかりで、
子どもと関わることが楽しいなと思うようになりましたね。
それからは、帰国してからも学童でアルバイトをしたり、同じフィリピンのプログラムでリーダーを務めたりして大学生活を過ごしました。

そして、そんな活動を行ううちに就職活動の時期になったのですが、
企業説明会に参加し、色々な人の話を聞く中で、
漠然と、自分は就職しないだろうなという感覚を抱くようになったんです。

話をする方が皆同じように見えてしまい、仕事の仕方もアルバイトをしているのとあまり変わらないと感じてしまったんですよね。
多くの人が、これからそうやって働いていく中で、私はそれができないということに、
挫折感に似たような、少し悲しい気持ちになりました。

また、もっと国際協力について勉強したいという思いもあったので、
将来は国連で働くことも考えて、大学院進学を決意しました。

ケニアでエイズ孤児に出会う


大学院は、国際学研究科に所属し、もともと著書を読んで知っていた教授のもとで、
「人間の安全保障」の勉強をすることになりました。

実際に勉強を始めると、教授から、
「外部から入ってきた人には見えない物もたくさんある」という視点を教わったため、
一年目の夏休みに、地元熊本の町おこしのために来ていた、外国人ボランティアの受け入れを手伝ってみることにしたんです。

実際に受け入れ側の目線を経験してみると、住人では気づけない熊本の良いところを発見してくれたり、
逆に、地元の習慣を知らないが故に現実的でない施策になってしまったりと、
良くも悪くも、

「やっぱり外部者は外部者なんだな」

と感じましたね。

そこでやっと、フィリピン滞在時に感じていた、
「外国人がフィリピンで行うボランティアに意味があるのかな」という違和感が、
スッと腑に落ちた気がしました。

そんな経験があったこともあり、教授の研究対象であったアフリカにボランティアに行くことになった際は、
日本人の団体ではなく、ケニア人主体の団体でボランティアを行いました。
それから何度かケニアのボランティアに参加する中で、
ある時、孤児院でを訪れる機会があり、そこでエイズで親をなくした子どもに出会ったんです。

それまで、エイズが問題だという話は聞きながらも、
現地で差別的扱いを受けていることもあり、実際に出会うのはその時が初めてでした。

実際にエイズ孤児を目の当たりにすると、

「やっぱりいっぱいいるんだ」

と実感するとともに、こども達と接する中で「何かしたい」という思いを強く抱くようになりました。
そこで、日本に帰国した後に、エイズに特化した団体が無かったこともあり、
同じような仲間を見つけて、団体の立ち上げることに決めたんです。

実際に団体を作ると、まず最初は、ウガンダに普通の学校に入学できなかったエイズ孤児のための青空教室があることを知り、
雨が降っても授業が出来る環境を整えるための改修を行うプロジェクトから始めていきました。

自分の活動が全員から歓迎されている訳ではない


そんな活動を続ける中で大学院の卒業が近づきながらも、
団体はこのまま続けようと決めていましたし、
進路に関しては、海外の大学院や博士課程を視野に入れていて就職活動はしていませんでした。

ところが、結局そのまま団体の活動が忙しくなったことで考えられなくなり、
卒業後は保険販売のバイトをしながら団体の活動を行うという生活を始めるようになったんです。
3ヶ月働いてお金を貯め、3ヶ月はアフリカに行く、という生活でしたね。

そんな活動を続けて2年が経ち、団体にフルコミットしていかないと、組織が回らないと感じるようになり、
業務的にも財政的にも、団体の活動一本に絞ることを決心しました。

一本化することへの不安はあまりなく、
むしろ、私たちが行う活動自体に意味はあるのかな、という懸念や、
自分の活動をついやして自己満足にしたくないという思いから、
もっと活動を進めていきたいという思いがありました。

また、ウガンダで学校の着工を始める中で、活動が必ずしも全員に歓迎されているわけではないということにも気がつき始めました。
例えば、近所の人は、エイズ孤児が通う小学校が建つのは迷惑だと思っていたこともあり、
学校が地域の中で孤立しないよう、必要性をわかってもらうためにも、
大人に向けたエイズ啓発も併せて行うようになりました。

心の中に課題を抱える人の力に


そんな風にエイズ孤児を支援する活動を続け、
現在は、団体も9年目を迎え、3つの小学校を支援し、
370人が学校に新しく通うことができ、2万7千人にエイズの予防教育を実施することができました。

エイズを取り巻く環境は大きく変わっており、
小学生については8割程度就学できるようになったのですが、
反対に、学費を支払い続けるのが難しく、卒業ができないという課題も生まれています。

そこで現在は、ケニアやウガンダの団体とパートーナーシップを組んで、
特に家庭環境が厳しい、シングルマザーに向けた職業支援やカウンセリングと啓蒙活動・教育を行っています。
今後は、親御さん向けに仕事を作るサポートを行い、
3年後には150世帯をサポートできるようにする予定です。

また、今後もエイズ・アフリカを取り巻く環境は変わっていくと思うので、
5年・10年スパンでは、その時に必要なことをしていきたいという風に考えていますし、
対象地域も増やしていく予定です。

エイズ孤児は、自分を責める傾向があると言われていて、中には

「一緒に死ねば良かった」

と考える子どももいるんです。
そんな状況をなんとかしたいという気持ちは、昔カウンセラーになりたいと考えていた時と同じですね。

これからも、心の中に課題を抱えている人の力になりたいと考えています。

2014.12.03

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