多くの人を感動の渦に巻き込みたい。一冊の小説に導かれた人生。

感動を人に伝えるため、大手出版社に勤めながら小説家を目指して奮闘中の小北さん。多くの人に感動を届けたいと語る背景には、人生を変える一冊の小説との出会いがありました。そんな小北さんの半生を伺いました。

小北 翔大

こきた しょうだい|編集者
大手の出版社に勤め電子書籍制作に携わりながら、多くの人に感動を届ける小説家を目指して奮闘中。
90/きゅ~まるの共同創始者でもある。

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スポットライトが当たる場所を


私は京都で生まれ、東京で育ちました。

何でも自由にやらせてくれる両親だったので、小さな頃から多くの習い事をしていて、
水泳、お絵かき、体操、サッカー、ドラム、金管バンド、テニスなど、興味が湧いたものにはどんどん挑戦していました。

特に、友だちと一緒に何かするのが好きだったし、真面目だったのもあり、集団でやる習い事は一度始めたら小学校卒業までは続けました。
また、漫画をよく読んでいて、特に絵を描くことが好きでしたね。
他の習い事は練習を辛いと思う時もあったのですが、絵だけはそういう思いをすることが一切なく、気づいたら描いているというほど自然なものでした。

その後、中学に入ると小学校で習っていたサッカーの監督が非常に厳しく大変だったこともあり、
楽な部活に入ろうと思い、卓球部に所属することにしました。
しかし、実際に卓球を始めるとどんどんのめり込み、気づいたらクラブチームに入り、部長も務めるほどでしたね。
卓球は実力がついた分だけラリーが続くなど成長が分かりやすく、試合中に自分にスポットライトがあたっている時間も長かったので面白かったんです。

一方で、中学に入ってからはやんちゃな友だちが増えてきて、粋がるようになっていきました。
それこそ部活以外の時間は、自分の楽しいと思うことだけするようになり、我慢と言う言葉なんてまるで知らないような生活を送るようになったんです。

そして、高校に入ると部活には入らず、帰宅部としてだらだら過ごすようになっていきました。

Webと暴力とアイドル


しかし、高校1年生の夏、中学の時から仲良かったヤンチャな友だちに、些細なことがきっかけでボコボコにされてしまったんです。
友だちだと思っていた人にそんなことをされるのが悲しく、少し距離を置くようになったのですが、また呼び出されて集団リンチされてしまいました。

それまでは友だちといるのが好きで、一緒にいるのが楽しく流されてしまうことも多かったのですが、突然こんな目に会う環境はさすがに辛いと思ったし、
結局、友だちもいつかは離れてしまうかもしれないなら、もっと自分の人生も生きなければならないと感じたんです。

それからは、自分は将来何になりたいのかを考えるようになりました。
小学生の時以来、夢なんて考えたこともありませんでしたが、よく考えてみると、昔から好きだったテレビの仕事をしたいと思うようになり、
頭が良くなかったのでテレビ局に就職は難しいけど、好きな絵を描くことを活かして美術スタッフにならなれるんじゃないかと考えたんです。

そこで、美大を目指し、高校2年生の頃から御茶ノ水にある美術予備校に通うことにしました。
しかし、高校3年生の夏にYouTubeで「AKB48」に出会い、全てがどうでも良くなってしまって、生活の優先順位が彼女たちを追いかけるものに変わってしまいました。

なんというか、自分でも手が届くんじゃないかと思ってしまい、
秋葉原に行けば出会える気がするという理由だけで、美術スタッフや美大を目指すのを止めて、
秋葉原の隣の駅にある大学に進学することにしたんです。

最高のエンターテイメント


しかし、大学に入学してすぐに自分が応援していた子がAKB48を辞めてしまい、一気に熱が冷めてしまいました。
その後別のアイドルグループに熱狂したり、大学ではWebデザインやプログラミングなどひと通り勉強したりはしていましたが、
これからの人生をどうしていけばよいのか分からず、モヤモヤして苦しかったですね。

そんな心境だった大学2年生の時、ふと漫画ばかりではなく小説を読んでみようと思ったことがありました。
実は、小学3年生くらいの頃、父から横光利一の『上海』という小説を読むように言われて読んだ時、全然面白いと感じられず、
それ以来「小説はつまらないもの」と固定観念があり、全編を通じて読むことは敬遠していたんです。

しかし、この時はどうせ読むなら世の中に評価されている本を読んでみようと思い、
芥川龍之介賞受賞作である、村上龍の『限り空く透明に近いブルー』を読んでみたんです。
正直な感想として、全然面白さが分からなかったのですが、なんでこの人の本が世の中にこんなに評価されているのか知りたく、
もう一冊『コインロッカー・ベイビーズ』を読んでみることにしたんです。

すると、今まで見てきたテレビや漫画など、全てのエンターテイメントの中で最高だと思えるほど面白いと感じたんですよね。
誰もが抱える心の葛藤や破壊衝動のようなものが見事に言葉で表現されていて、ちょうど自分の心境と重なる部分も多く心に響いたんだと思います。
そして、私もこのような感動を誰かに伝えることをしたいと考えるようになり、
また、こんなにもの感動を生み出せる村上龍に嫉妬し、小説家を目指すことにしました。

デザイナーから編集者へ


それからは家に篭ってひたすら本を読み、自分でも小説を書きコンクールに送るようになりました。
しかし、送った小説は連絡を返してもらえることもなく、最低限の評価ももらえらないレベルだったんです。

そのため、とても自分が小説家でやっていける自信も持てなかったので、働きながら書く時間を作り小説家を目指そうと思い、
就職活動の時期を迎えると、Webデザイナーとして働くためIT企業を受けることにしました。
大学でのWebデザインは頑張っていたので実力にも自信があり、
どうせ働くなら日本人に一番見られているサイトを運営している大手IT企業に入りたいと思っていたのですが、最終面接で落ちてしまいました。
正直合格する自信があったし、他の会社は途中で辞退していたので、また将来が見えなくなってしまいました。

その後、改めて小説家になるのならば力のある人たちの側で勉強しながら働くのが良いと考え、
デザイン系の大学を出ている自分が働けるのであれば、出版社で働きたいと思うようになりました。

そして、ほとんどの出版社は採用が終わっていたのですが、たまたま二次募集をしていた出版社があり、縁あって採用してもらえることになったんです。

感動を伝える最上の手段を


今は出版社の電子出版部で、編集者見習いとして電子書籍制作の現場で働いてます。
文章の校正やニュースリリースを書いたり、得意分野のデザインを活かして装丁・装画のディレクションをしたりしています。
会社の中では電子書籍は新規事業のような扱いなので、何でも自分たちでやらなければならずやることは多く、非常に充実しています。

仕事はもちろん責任をもってやっていますが、勉強させてもらっている感覚も強いですね。
作家さんや先輩のすごいところは盗んで、人の心を動かす小説を書けるよう力をつけていきたいです。

ただ、最近は小説という表現方法にこだわる必要はないかもしれないとも思っています。
私が生涯取り組んでいきたいことは「人に感動を伝えていくこと」で、それが私にとっては村上龍の小説が一番の衝撃だったので小説という表現でいこうとしていますが、
小説と出会った時のように、これからの人生でそれ以上に良い表現方法と出会う可能性もあると思っています。

その出会いは、経験や人との出会いがもたらしてくれるものだと思っているので、今はそういう場を増やすようにしています。
また、人との出会いを増やすためには自分自身を際立たせる必要もあると思っているので、
自分たちで「90/きゅ~まる」という同世代の人を集めたイベントなども開催しています。

いずれにせよ、小説も書き続け、自分の可能性を広げてより良い方法が見つかったらその表現方法を使い、
多くの人に感動を届ける仕事をしていきたいと思います。

2014.12.03

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