働くと働かせるのフェアトレードを。ドロップアウトエリートが考える社会の変え方。

「労働市場のフェアトレード」への挑戦のため、人事コンサルタントとして働く傍ら、ライフワークとしてのプロジェクトも運営する稲葉さん。東京大学を中退してフリーターに、新規事業開発・起業を経て人事コンサルというユニークなキャリアを築いて来た先にどんな世界を見据えるのか、お話を伺いました。

稲葉 哲治

いなば てつじ|人事コンサルタント
人材コンサルティング企業に勤務する傍ら、エシカルアクセサリーブランドEDAYAのプロボノと、
男性の働き方や家族との関わり方をテーマとした、「『エシカル男子の会』をつくる会」を運営する。

「エシカル男子の会」をつくる会

エリートコースからのドロップアウト


3歳から東京で育ち、小学校4年生から塾に通い、中学は校風に惹かれた開成中学・高校に入学しました。

小さい頃から本が好きで、他の人格を味わえるような感覚に惹かれ、多い時は4件も本屋をはしごするような性格でした。特に、中学3年になり、大江健三郎がノーベル賞を受賞してからは、世界が一つひろがったような感覚がありましたね。

それ以来、大人に交じって大江氏が登壇する医学系の講演会にも参加し、高校を卒業後は、ノーベル文学賞の研究をしようと考え、彼の背中を追って東京大学に進学しました。

ノーベル文学賞は世の中の流れとリンクしていたこともあり、その変遷を追うことで人がどのように物事を見ているかを見ることができましたし、そうやって人の考えや認識を変えるような言葉と概念を世の中に提供できることを、純粋にすごいなと感じたんです。

ところが、学者になろうという思いを抱いて入学した大学では、周りの友人が昔からずっと同じメンバーだったこともあり、なんだかつまらなく感じてしまったんです。下手すれば小学校から同じ人だけと関わり続けるような生活に、「なんだよ、この人生」と嫌気がさしてしまったんですよね。また、昔からおじいちゃん子として育ったのですが、ちょうど、大学1年生の時に祖父母が4人とも亡くなってしまったんです。

それまでは、正直祖父母のために勉強をしようというモチベーションもあったのですが、そこで、呆然としてしまいました。

まるで、自分自身をもう一度生き直さなければいけないような気持ちになり、学校に行かずに新宿の街をうろうろするような日々を過ごしましたね。

そして、22歳で大学を中退することに決めました。親との話し合いの末、一応私大の法学部に籍を移し、法曹界を目指すことも考えたのですが、結局中退後はニートのような生活で、朝早く起きてテレビを見て、昼になると街をうろうろ歩くような毎日でした。

「なんとしかしたい」という気持ちで立ち上げた新規事業


そんな生活を続け25歳を迎えると、さすがにまともな収入を得なければという思いが募り始め、コンビニでアルバイトを始めました。そして、段々慣れてくると、フルタイムで社員のように働くようになり、他のアルバイトの学生とも仲良くなりましたし、何より、人に価値を提供して対価を受け取るという、ビジネスの面白さを感じるようになっていきました。

そんな生活を経て、28歳にして、そろそろ就職をしようと考えるようになり、漠然と本に関わる仕事がしたいと思い、出版社や新聞社に内定をいただくことができたんです。

ところが、そちらに進もうと考えていた矢先、アルバイト時代に繋がった方から、セゾングループの人材領域を扱う子会社の新規事業部に来ないか、と声をかけていただいたんです。自分にとってはこれが運命の出会いのように思えました。とにかくその方に魅力を感じ、背中を追いかけ、いつかは超えたいという気持ちが湧いたんです。

そんな背景から実際に入社を決めると、新規事業部に配属され、その方に「何でもやっていい」と言っていただき、バイト時代に経験したような、小売りや飲食店等の人材課題を解決するような事業を立案、運営するようになりました。

ところが、入社した年にリーマンショックが起こり、自分が直前までいたような、小売業の従業者等の環境が非常に苦しくなってしまったんです。

「なんとかしたい」と強く感じ、辛くて眠れないような気持ちが続きました。

そこで、それまで行っていた普通の人材事業ではなく、流通・小売りの採用教育やシフトづくりまで行えるような事業を、小売り業を抱える鉄道会社と提携して実施することにしたんです。

しかし、ちょうどそのタイミングで本社が合併したこともあり、私はそのまま社内ベンチャーを持って別の会社に移ることになりました。

起業への挑戦と、残った繋がり


親会社が変わってからは、社風も変わったことで雰囲気に適応するのに時間がかかりましたが、事業としては、所沢に自らの事業所を持ち、とにかく仕事漬けの日々でした。系列のコンビニの従業員とのやりとりを直接行う仕事だったこともあり、夜中2時・3時に電話が来ることは日常茶飯事で、お風呂にも電話を持って入り、寝ていてもすぐに電話に出られるようになりました。(笑)

正直、普通の人であれば気がおかしくなってしまうような環境でしたが、それでも自分らが「なんとかしたい」と感じて始めた事業だということもあり、モチベーションは全く下がりませんでしたね。

ところが、自分としてはより事業を広く展開していきたいという思いがありながら、会社の折り合いがつかなくなっていき、どうしようか迷うようになってしまったんです。ちょうどそんな時、知人が独立するから、と私を誘ってくれたこともあり、迷わず一緒に起業することを決めました。

35歳までには一度どこかで起業したいという思いがあったんですよね。少し早かったですが、33歳にして、その挑戦を行うことになりました。

新しく立ち上げた企業でも、働き方というテーマへの関心は途絶えず、若者向けのキャリア支援を行おうと決め、ちょうど就職活動の開始時期が変わるタイミングだったこともあり、それまでとは異なる形での説明会等を開催してみたんです。

ところが、中々収益につながらず、お金のためにはやりたくないことをしなければいけないというジレンマを感じるようになっていきました。そして、最終的には、「起業自体を目的に独立したわけではない」と考え、意地を張らなくても良いのではないかと思うようになり、会社を退職することに決めました。

それからも人材領域に関わりたいという気持ちは変わらず、事業会社の人事を経て、人事コンサルの企業に転職しました。また、事業自体はうまくいかなかったものの、起業した時に関わっていた学生とのつながりから新しいプロジェクト等を紹介してもらい、本業と並行して、パラレルキャリアでいくつかの活動に取り組むようになったんです。

働くと働かせるのフェアトレード


現在は、ライスワークとして人事コンサルで働きながら、ライフワークとして、「EDAYA」というエシカルなアクセサリーブランドのプロボノや、学生が社会と関わりを持つためのプロジェクトの手伝いを行っています。

また、自分でも、男性の働き方や家族との関わり方をテーマに自ら立ち上げる、「『エシカル男子の会』をつくる会」というプロジェクトを今まさに立ち上げようとしています。会社にいても、学生でも、社会をちょっとずつ変えられる、そんな生き方のできるような「新しい男性」=「エシカル男子」を増やしていきたいという思いがあるんですよね。

また、これまで人材領域の課題に取り組んできた経験から、「働くと働かせるのフェアトレード」という大きな目標があります。

今の時代、働く側は少しずつ変わってきていて、彼らに向けた提案は多様化しています。しかし、企業側の変化は遅く、働かせる側への提案もあるものの、両方の立場をブリッジしたものにできていないと感じるんです。

そんな中、自分は両方の立場をつなげることが出来るからこそ、「働かせ方の多様化」に取り組みたいと思っているんですよね。

具体的には、新しく立ち上げる「『エシカル男子の会』をつくる会」で働く側へアプローチし、ライスワークである人事コンサルティングを通じて働かせる側である企業にアプローチできればと考えています。

そういった取り組みをすることで、世の中の弾力性がもっと上がっていき、色々な生き方をしている人たちがたくさんいるような世界になればいいなと思うんです。

2014.11.29

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