スタディツアーを通して、自分らしい人生を!私の人生の分岐点になった、海外経験とは。
「MOTIproject」という海外スタディツアーのコーディネートや、コーディネーターの育成を行う福室さん。何事に対してもまっすぐ頑張る人生を送ってきたと感じながらも、途中で誰からも必要とされていないと感じてしまう、大きな壁にぶつかった時期がありました。そんな福室さんを変えたインドでの経験、そして現在の活動についてお話をお伺いしました。
福室 まなみ
ふくむろ まなみ|海外スタディツアーの普及、コーディネーターの育成
MOTIproject 代表、国際スタディツアー協会 理事長としてスタディツアーの普及、コーディネーターの育成を行う。
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世界はなんて素晴らしいんだ!肌で感じた海外の魅力
私は幼いころから、物事をはっきりと言ってしまう性格でした。
それが原因だったのか、小学校のころにいじめられたりして、もっと強く生きなきゃという気持ちがありました。
中高はバスケットボール部に入り、自分が努力した分認められる感覚が楽しくて、
部活一筋で練習に明け暮れていたのですが、
怪我をしてからはテレビで観たバンドに憧れて、自らバンドを組んで歌うようになり、音楽の世界にのめり込んでいったんです。
人に見られることの多いキラキラした世界が楽しかったんですよね。
高校卒業後はそんな感覚でファッションデザイナーを目指し、服飾系の専門学校に進みました。
ただ、入学してみたものの、学校に馴染むことができずにアルバイトや恋愛が中心の生活を送っていました。
就職を考える時期になった時、このまま何も考えずに就職するのは嫌だと思い、
突拍子もなく、「海外に行って、考えよう」と思い立ったんです。
それから、なんとなくの憧れで、イギリスのチェルトナムという地へ1ヵ月間の留学をしました。
親は私がやりたいことを応援してくれるので、すぐに納得してくれたのですが、
当然、学校の先生からは、反対され、「学校に通ってる暇がないんです!」と訴えて飛び立ちました。(笑)
そんな風に始まったイギリスでの日々は、毎日が刺激に溢れていて、冒険のようでした。
語学学校の授業が終わってからの放課後、1人で地図を頼りに、バスに乗って色んなところに行き、
行く先々で、英語が話せない私を助けてくれる人との出会いがある冒険でした。
そんな私を面白いと言ってくれて仲良くしてくれる人たちともたくさん出会い、
世界はなんて素晴らしいんだろうと心から感じたんです。
また、私が通っていた学校に世界地図が貼ってあったのですが、その地図上で右端にある日本を見て、
その中で生きている自分はどんなに小さかったんだろうと、衝撃も受けました。
もっと多くの人が海外の面白さを知って気軽に海外に行ったら良いのになぁ、とも思いましたね。
それからは海外の魅力に引き込まれ、韓国、マレーシア、フィリピンなど、色んな国へ行きました。
どうして自分はこうなったのだろう
海外に行くことはアクティビティとして好きだったのですが、職業として考えることはなく、
当時テレビドラマで観たウエディングの仕事に憧れて、卒業した20歳のころ、ウエディング会社に就職しました。
ただ、毎日「お前は何もできない」と言われた上に会社に泊まることもあるハードな環境で、
一区切りついたところで会社を去り、それまでのストレスから解き放たれたかのように、海外へ行こうと思ったんです。
まずは情報収集のために留学斡旋会社へ行き、担当の方にどういう国に行きたいかなどを話していたのですが、
海外渡航の手段と国を提案してくれて、ここに行った人はこんな感想があって、価値観がひっくり返るだろうとか、
どれもワクワクする話ばかりで、様々な未来を見せてくれたんです。
そのカウンセリングが終わって会社を出てから、「私、ここで働きたい!」と思ったんですよね。
しかし、すぐに行動に移し、面接を受けてみたものの、落とされてしまったんです。
それでも諦めることはできず、会社近くのカフェで働いて、社員さんとのつながりをつくろうとしたり、
社長にメールを送ったり、手紙を書いたりしてアピールし続けました。
そして、その努力が報われて、20歳のときに最年少で入社を果たしたんです。
それから、晴れてその留学斡旋会社で働くようになったのですが、
やればやるほど数値が出る営業がものすごく楽しくて、
契約を取れた時の喜びはこの上ないほどでした。
そんな風に仕事にのめり込んでいったのですが、次第に営業成績ばかりを気にするようになっていきました。
そして、気持ちに結果が追い付かない状態になってしまい、
それが相手にも伝わり、歯車がうまく回らなくなってしまったんですよね。
ハードな生活が重なったこともあり、朝病院で点滴を打ってから出勤するという日々を過ごしていました。
ただ、その時新規ツアーの担当をしていて、仕事を休むことはできず、
精神的にも肉体的にも自分を追い詰めるようになり、
ある時会社に行けなくなった時には病院から軽度のうつ病と診断されたんです。
それからは、家に出ることさえできないまでに落ち込み、
どうして自分はこんな風になったのかと、常に泣いていました。
会社の上司からは、「そんな状態になったのも、全て自分のせいだ」と言われて、心底落ち込みましたね。
そんな私を見かねた現在の夫からの意見もあって、会社を辞めることに決めたんです。
必要とされない絶望感と、インドで見つけた新たな自分
それ以来、私は誰からも必要とされていないんだと感じ、
何に対してもやる気が起こらず、無気力状態でした。
ただ、そうした毎日を重ねていく毎にお金は減っていく一方で、500円でどう生きるかということを考えていました。
そのまま借金も増えて、お金が必要になり、仕事を探さなくてはいけない状況になったんです。
その後、道端でスカウトされた不動産会社で働いたこともあったのですが、合うと感じることが出来ずに退職し、
ネットで見つけた、アジア各国にボランティアプログラムを提供する会社で働くようになりました。
そこで、早速インドのプログラムを任されることになり、
上司から「お客様に薦めるためにも一度現地に行った方がいい」と言われ、インドに行くことになったんです。
そうして向かったインドで、マザーテレサ施設のボランティアや、現地を散策するうちに、
日本では絶対に見ることのないであろう人々の生活や文化の違いを見て、好奇心がくすぐられたんですよね。
数年ぶりに、「楽しい」という感情を思い出し、生きていること自体が素晴らしいということを学びました。
やっぱり、現地に行かなければわからない、感じることのできない感情があると強く感じたんです。
日本にいるであろう、現状に対して辛い思いをしている人たちも必ず変われるだろうと思いましたし、
現地に行かなければわからない、感じることのできない感情があると強く感じたんです。
そうして次第に、海外に行く日本人をサポートしようと考えるそれが次第に自分の使命なんじゃないかと思うようになりました。
スタディツアーという最高の旅のスタイル
帰国後、会社に戻ったのですが、社長と意見が合わず、外でやるしかないと感じて25歳で独立しました。
それまでの知識を活かして、独自でインドツアーを作り、
作成したホームページで発信することから始めたのですが、その2ヶ月後にお問い合わせがあったんです。
その方とカフェで会って、インドについて、私なりの経験や魅力を伝えて、契約をいただくことが出来ました。
それからは、口コミでツアーが広がり、ある時、大学生からスタディツアーのコーディネートを頼まれたんです。
団体ツアーは初めてな上に未知なことが多く不安はあったのですが、
仕事を選ぶ余裕もなかったのでツアーを組み、36名のツアーに添乗しました。
最初こそ不安があったものの、それは、予想以上に印象に残るツアーでした。
同じことをしたのに、1人1人感じることは違っていて、36人の経験ができたんですよね。
楽しみながら、学べる上に、人の数だけ感動も倍だったんです。
また、参加者から今度は自分たちがコーディネーターとして、
この国の魅力を伝えていきたい!と言ってもらい、
大学生に、コーディネーターとして必要な知識を教えることになったんです。
インドの歴史から、その地の人たちの認識、
日本はどう見られているかなど、あらゆる方向から一緒に学んで、ツアーを作りあげました。
それから、毎年スタディツアーを組み、インドだけでなく様々な国のツアーを作り、
次第にツアーの価格も上がり、法人として提供するようになったんです。
現在は、株式会社motyjeelを立ち上げ、
大学生に向けたスタディツアーの企画から運営までのサポートと、
国際スタディツアーコーディネート協会の理事として
スタディツアーの普及とコーディネーターの育成をする活動行っています。
この活動を通して、私自身が人生の分岐点となったように、
ひとりでも多くの人が自分自身と向き合い、
本当の自信を持って生きていけるようなお手伝いをしているんです。
その為に、必要な生きる事、仲間の大切さ、現実の自分と向き合う事を
スタディツアーを通じて伝えていきたいと思っています。
2014.11.15