アジアから日本人のプレゼンスを高めたい。タイ発、アジアのトップHRファームへの挑戦。
タイで、東南アジアの地域性・人間性を生かした組織づくりをする企業を経営している中村さん。日本ではなくあえて海外での挑戦を決意した背景には、学生時代の苦い体験と、ある言葉がありました。
中村 勝裕
なかむら かつひろ|タイの人事・組織コンサルティング企業経営
タイを中心とした人事・組織のコンサルティングを行うAsian IdentityのCEOを務める。
Asian Identity Facebookページ
語学を学ぶことが好きでした
私は中学・高校時代、将来やりたいと思えることが特になく、
「将来の夢は?」と聞かれても答えられないことがコンプレックスでした。
4歳から小学生までピアノを習っていて耳が良かったのか、発音などの聞き取りが得意だったので、
学校の科目の中では特に英語が好きで、毎日欠かさずラジオで英語を聴いていました。
その後、進路について考える時期になっても、やはり明確にやりたいことはなかったのですが、
自分の興味のないことを勉強するのは考えられなかったので、語学を学ぼうと考え始め、
より広い世界を見てみたいという気持ちもあり、東京の私立大学の外国語学部に進学しました。
入学後は、幼い頃にピアノを習っていて音楽に興味があったので、クラシックギターの合奏をするサークルに所属しました。
そして、楽譜が読めたり耳が良かったりと音楽に関する知見があり、また自分自身も興味があったため、
指揮者を担当することになったんです。
それまで、指揮者の経験は全くありませんでしたが、実際にやってみると、
高いリーダーシップや表現力を必要とする指揮者という仕事はやればやるほど奥が深くて、
気づいたときにはのめり込んでいましたね。
また、私はドイツ語を専攻しており、周りの友人たちが実際にドイツへ留学をしていたのですが、
私自身も、語学を勉強している身として、現地に足を運ぶのは当然だと考えていたので、
2年生の時に、ドイツに短期留学に行くことにしました。
海外へ行くことは初めての経験でしたが、元々語学は得意分野だったので、
行く前はそこまで大きな不安は感じなかったのですが、いざ現地で生活をしてみると、
委縮してしまい現地の人とうまく話すことができなかったんです。
結局ドイツに滞在している数か月の間は、言葉を話すことができるのに、
外国人とまともに話すことができず、そんな自分があまりに情けなくて
「自分は今まで何のために語学を勉強してきたのだろう?」
と、落ち込みながら帰国しました。これが初めての大きな挫折でしたね。
人の心を動かせるような仕事に
その後は、引き続きサークルの音楽活動に力を注ぎながら、クラスの先輩の紹介で、
NHKのドイツ語講座のアシスタントとしてアルバイトを始めました。
実際にやってみると、視聴者の人に「面白い!」と思ってもらえるような番組を作り上げることと、
指揮者として聴いている人を感動させる音楽を作り上げることの感覚が似ていて、非常に楽しかったので、
卒業後はNHKで働くことを夢見るようになったのですが、
就職活動の際に、面接の前に行われる筆記試験の段階で落ちてしまったんです。
正直、NHKで働くつもり満々だったので、その他の会社のことはあまり考えていなかったのですが、
やはり自分が好きだと思えることを仕事にしたかったこともあり、
指揮者のように人の心を動かすような、素晴らしい商品を持った大手のメーカー等を受けようと思いました。
また、世間ではちょうど外資系企業への就職がトレンドになりつつあったタイミングでした。
そこで、外国語学部で学んでいたことを売りにして、外資系企業の選考を中心に受けはじめたんです。
幸い、複数の企業から内定を頂くことができたのですが、
最終的にはヨーロッパ系の外資の食品メーカーに就職することにしました。
その会社は、人の心を動かせるような誰もが知っている商品を持っていましたし、
外資系でありながら、社員や仲間を大切にする家族のような雰囲気が魅力的だったんですよね。
仕事を通じて自己実現をしたい
入社後は営業として働き、先輩やお客様から仕事の基本を一から叩き込まれました。
例えば、片付けや飲み会の準備は新人がするという社会の基本的なルールや、地道にお客様先に通うことの大切さなど、
社会人として大切な姿勢をたくさん学びました。
最初の3年間は、横浜や小田原などの神奈川県の拠点で働いていたのですが、
4年目を迎えたときに東京の拠点に異動になり、それがきっかけで触れ合う情報の質や量が増えていったんです。
また、インターネットが普及し始めていて、私自身もネットを通じて社会人向けの英語を学ぶコミュニティに所属していました。
そこではメルマガを発行して生計を立てている人や、本を書いている人、サイトの運営をしている人など、
ネットを通じて自分らしい働き方をしている方がたくさんいて、大企業に終身雇用される以外の生き方があることを知りました。
更に、世間はいわゆるベンチャーブームで、自分と同世代の人が経営者として脚光を浴びていて、その様子を見ているうちに
「もっと仕事を通じて自己表現をしたい」
と考えるようになりました。
ちょうど社内の風通しを良くするプロジェクトに関わっていたこともあり、組織の変革について学びたいと思っていたので、
人事組織コンサルティングを行うベンチャー企業に転職し、様々な企業の組織変革や人材育成のプロジェクトに関わるようになりました。
お客様への価値提供のためにとことん仕事をし、自分自身も成長しなければついていけないような、
非常にハードな環境ではありましたが、働いている仲間が皆生き生きとしていて、
人間くさいウェットな組織がとても好きでしたね。
やってみないとわからない世界
約5年半の間非常に充実した日々を過ごしていたのですが、コンサルティング業務を行う中で、
改めて経営者の重要性を感じるようになり、より経営に深く関わる仕事をするために、
社会人向けのビジネススクールなどを展開する企業に転職することにしました。
そこでは様々な事業に関わりながら、経営について多くを学んだのですが、そこで改めて
「経営には正解がない」
ということを実感しましたね。
もちろん、セオリーを学ぶことはとても大切ですが、必ずしも理論通りの意思決定が成功につながるわけではなく、
結局は自分で正解を作っていくのが経営であるということを知りました。
そんな中、33歳の時に会社のシンガポール拠点の立ち上げの公募があり、
元々興味を持っていた海外ビジネスに挑戦するなら今しかないと思い、チャレンジしてみるとこにしました。
現地では、当然誰も私たちのことを知らず、何もかもゼロの状態からのスタートでしたが、
幸い英語でのコミュニケーションは問題なく取れましたし、人事組織コンサルタントの経験で、
人と関係を築くことを楽しめるようになっていたので、地道に人脈を作っていくことができました。
そうやって地道な営業活動を行っていく中で、とあるシンガポール人の方から、
「これまでたくさんの日本人を見てきましたが、あなたのようにシンガポール人と関係を作れる人は初めて会いました。
あなたは“New Japanese”ですね。」
という言葉を掛けていただいたんです。
10年前にドイツ留学をしたときに、外国人に話しかけられずに悔しい思いをしていたので、
もうその時の自分ではないんだと感じ、とても感慨深かったですね。
また、海外で働いてみたことで、国や地域によって最適な組織のあり方は変わる、という問題意識を得ました。
加えて、何もない状態からビジネスを立ち上げる経験をしたことで、
経営の「自分で正解を作っていく」という楽しさを体験しました。
そこで、アジアの環境に最適な組織というものを自ら会社を立ち上げて追及していこうと思い、
独立をする決断をしました。
日本人のプレゼンスをあげていきたい
その後、東南アジアで人事・組織コンサルティングを行うAsian Identityという会社を設立し、
タイのバンコクを拠点として、現地の企業に人事・組織コンサルティングのサービスを多言語で提供しています。
私は、前職でシンガポール拠点の立ち上げを行った際に、タイにも度々足を運んでいました。
そこで、タイ人のエンタメ・デザインなどには非常に個性があり、
ある程度の発展を遂げているシンガポールに比べて、タイは今後、様々な可能性を秘めていると思ったんです。
また、これまで東南アジアは安価な労働力の供給地とみなされ、
現地の人材を「生かして伸ばす」という概念がやや欠けていました。
そして、本来組織運営はローカルであるべきものなのに、コンサルファームは欧米の企業が多く、
同じアジアの目線で支援できるプレイヤーが足りないと思っていました。
だからこそ自分がアジアに現地化をし、アジア企業として、東南アジアの組織作りを支援していることに価値があると感じています。
そしていずれは、自らの組織自体も 「すごくいいアジア人チームだよね」と言われるような理想的な組織を作り、
アジアのトップHRファームとなることを目指していきたいと思っています。
また、日本に対しても思いがあります。
一般的には、日本は商品や技術は優れている一方で、リーダーシップのレベルが不足していると思われています。
そういう意味では、世界で勝負する日本人の一人として 私自身が海外で挑戦することを通じて、
日本人のプレゼンスを高めることに貢献してきたいですね。
2014.11.14