「発酵菌」と社会をデザインでつなげる。「蝶ネクタイの結び目」にいる僕のこれから。

「発酵デザイナー」として、「見えない発酵菌たちのはたらきを、デザインを通して見えるようにする」という仕事を行う小倉さん。まるで「蝶ネクタイの結び目」のように、これまでの全ての経験が統合され、かつ将来の可能性がとても大きな仕事だと話す背景には、一体どのような背景があるのでしょうか?

小倉 ヒラク

おぐら ひらく|発酵デザイナー
見えない発酵菌たちのはたらきを、デザインを通して見えるようにする、発酵デザイナーとして、
グラフィックにやアニメ・歌や踊り、展示会・ワークショップ・トークイベント等の活動を行っている。

HP

アートへの関心、そしてデザインへ


未熟児かつ免疫不全で生まれてきた僕は、小さい頃から東京の田舎で育ちました。
病弱な体質だったことに加え、親が出版の仕事をしていたこともあり、
幼い頃から、本を読むことが好きでしたね。

また、僕はいわゆる「なぜか絵を描くのが上手い子」だったので、
自分自身、言語とはまた異なる表現手段として、絵を描くことが好きでした。

そんな背景もあり、高校生になってからはアートの方面に進もうと考えるようになり、
卒業後は美大に進学しようと決めたのですが、
受験にも合格した後で、家庭の事情もあり、総合大学の文学部に入学することになりました。

大学時代は美大にこそ行かなかったものの、ライブペインティングをしたり、
CDのジャケットのデザインをしたり、クラブイベントのフライヤーを作ったりとアート系の活動を行い、
3年になると、初めてギャラリーで個展を開く機会もいただきました。

また、その個展の打ち合わせで知り合ったユーゴスラビア人の方に気に入ってもらい、
話をしているうちにパリで展示をしてみないか?という話をいただいたんです。
急に話が飛んだなという思いもありましたが、やってみようと思い、
ここにかけてくれと言われた電話番号に連絡してみると、
現地の方には、僕がパリに住むことになっていると伝えられていたんです。(笑)
もちろん驚きもありましたが、もともと、旅が好きで色々な国を周っていたこともあり、
そのまま1年休学してパリに住むことにしました。

現地では、毎日ルーブルに行って模写をして、そのユーゴスラビア人に絵を習ってという日々でしたね。
また、文化人類学をテーマに、大学の卒業論文も執筆を行いました。

ところが、その後、日本で働こうという思いのもと、4年生の春に休学を終えて日本に帰ってくると、
周りの友人から「就職活動」というものがあるということを事後報告で聞いて知ったんです。(笑)
その機を知らぬ間に逃してしまっていたことで、

「僕はもう普通の社会のレールは無理だな」

と感じましたね。

ちょうど、知人の紹介で上海で壁画を作るプロジェクトに誘ってもらったこともあり、
そのまま4年の夏はそちらに参加することにしました。

そのプロジェクトでは、初めて商業デザインに携わったのですが、
元々抱いていたアートではなく、デザインの方に関心が移っていきました。

先が見えない切迫感から企業内デザイナーに


その後、卒業してからは無職になったのですが、
自分が好きな旅をするように仕事もできないかと考えるようになり、
旅人が集まるようなゲストハウスを作ろうと考えるようになったんです。

そうして、無職なのに何十万円も借金をして、実際にゲストハウスの運営を始めました。
思いのほか繁盛して、自分自身の家賃や食費を賄えるようになり、
フリーのイラストなどの仕事をしていればそれで楽しく暮らせるようになりました。

しかし、人が増えたことで混乱も生じてしまい、
ある時、そのゲストハウスで知らない人が寝ているのを見つけて、
「誰だ?」と聞こうとするも、何語で声をかけていいのか分からず躊躇したことがあり、
その時に、

「さすがにやばいな」

と感じたんです。
その状況もそうですが、自分のキャリアが全く見えなかったんですよね。
3年後に自分が何をしているのか分からない切迫感があり、
社会と接点を持たなければという焦りから、一度どこかで働こうと考えるようになりました。

そこで、雑誌の裏の求人広告で見つけたスキンケア関係の会社でアルバイトとして働き始めたのですが、
まだ数人の会社だったこともあり、クリエイティブ周りは何でも任せてもらい、
その作成を通じて、ビジネスプロセスにも触れることができたんです。

最初は「社会と接点を持とう」というくらいのモチベーションだったのが、
気づけば、やるならとことんやろうという気持ちになっていき、
その会社で正社員として働かせてもらうことになりました。

ちょうど、会社自体の成長も著しい時期だったこともあり、3年間かけて数人から100人近くにメンバーが増え、
自分自身、デザインの仕事に加え、新卒採用やロジスティクス、カスタマー対応等も経験させてもらうことができ、
非常に勉強になりましたね。
経営者に近い環境で働くことができるのも、とても貴重な経験でした。

ところが、仕事に慣れてくると、もっとたくさんクリエイティブに携わりたいという思いを抱くようになり、
企業内のデザイナーではなく、独立しようと考えるようになったんです。

地域の一次産業との仕事が脚光を浴びる


そんな背景で26歳にしてフリーランスのデザイナーになったのですが、
同業のセオリーである、お客さんやパートナーシップを作ってからの独立という手順を踏まなかったため、
フリーになったは良いものの、最初は仕事が来なかったんですよね。(笑)

そんな状況にも関わらず、「自分の仕事」と胸を張って言うためにも、

「社会の役に立つことしかしない」
「経営者としか仕事をしない」
「代理店と仕事をしない」

というルールを決めたんです。
生意気にもそんな指標をもったことで余計仕事が入りにくかったのですが、
そのうち、東京ではない他県の地域産業のお店屋さんから連絡を貰うようになったんです。

一番最初は山梨県の醤油屋さんのデザインをし、
その兼ね合いで地方の一次産業のクライアントから声がかかるようになっていきました。

その流れで、一次産業や自然エネルギーなどに関わるプロジェクトをいくつもやるようになると、
震災以降、自分のやっていた仕事が認められるようになったんです。
危機に瀕した地場産業をどうしよう、地域の文化を守りたい、
という悩みを抱える方が自分を訪ねて来るようになったんですよね。

これには本当に驚きました。
正直、独立してからというものの、活動は日の目を見ず、
都会のメディアに関わる華やかな世界から島流しにあった人のような気分だったからこそ、
急に注目されたことはとにかく意外でしたね。

ミッションの移り変わりと、2度目の独立


そんな風に自分がプロデュースする仕事が増えていったこともあり、
同じような対象に関心を持つ仲間と、2012年に合同会社++(たすたす)という会社を立ち上げました。

この会社では生態系と地場産業の問題を解決する、というミッションを掲げたデザインファームとして、
それまでフリーでやってきた業務の延長に加え、更にデザイン前のリサーチの部分まで含めた業務を行っていました。

また、個人的に前職のスキンケアの会社時代から「微生物」に関心を持ち、好んで研究していたのですが、
2014年に、独立して最初に仕事をいただいた山梨の醤油屋さんと作った、
『てまえみそのうた』という、おみその作り方を広めるうたと踊り・絵本がブレークし、
『グッドデザイン賞』を受賞したんです。

元々は、自分自身の体調との兼ね合いから、発酵食品を摂らないと喘息になる生活だったことや、
一緒に仕事をしていた発酵食品のお店にいると匂いや空気が気持ちよく、

「もっと菌のことを知りたい」

と、純粋に研究していたのが、
そのブレイク以来、自分が発酵に詳しいということが知れ渡ることになり、
市民大学での講演やワークショップなど、僕個人の仕事がどんどん増えていったんです。

また、もともと独立の際に掲げた「社会のために役に立つことしかしない」という目標は、
震災後の「ソーシャルデザイン」という概念の普及によって多くの担い手が生まれ、
自分のミッションでなくなった感覚も抱くようになりました。

反対に、発酵や微生物に関しては、目に見えないながら影響力が大きいのに、
自分以外取り組んでいる人がいない状況だったんです。
地場産業を支えているのは発酵醸造メーカーが中心だったこともあり、
微生物の切り口から、ローカルコミュニティも見直すことができるんじゃないかという思いもありました。

そこで、僕は、一番自分らしい所はどこだろう、と悩んだ結果、
「発酵デザイナー」として、自ら立ち上げた会社から、再び独立をすることに決めたんです。

「蝶ネクタイの結び目」のような仕事


現在は、発酵デザイナーという肩書きのもと、
「見えない発酵菌たちのはたらきを、デザインを通して見えるようにする」という仕事をしています。

具体的には、発酵醸造メーカー向けに商品開発やその地域の町おこしの提案を行ったり、
発酵物を扱うイベントやワークショップの企画の実施を行っています。

菌は目に見えないですが、この世界で起こる様々な現象の大半に関わっている重要な存在です。
食だけでなく、医療や環境など、産業の大きな部分を担っているんですよね。
しかし、普通の人はアクセスできない分野だからこそ、デザインを翻訳機能としているんです。

『てまえみそのうた』を筆頭に、最近ではコミュニケーションや空間設計の領域までデザインを行っており、
続編の『こうじのうた』ではクラウドファンディングでの挑戦も行っています。

発酵醸造の世界は職人の世界でコミュニケーターが少ないこともあり、
「分かりやすく伝えること」に貢献することで、その可能性を社会に広げてくことに寄与したいですね。
今は食品が中心ですが、生態系や医療へと領域も広げていきたいですし、
活動はアジアに活動場所を展開していきたいという気持ちもあります。

21世紀は微生物・発酵の時代になると思うので、
その中で自分がどう関わっていけるかを考えて動いています。

ここ数年の僕の仕事を考えてみると、まるで蝶ネクタイのようです。
様々な興味が「微生物」という一点に結ばれ、それを突き詰めていくと、
食や環境、医療など多様な分野に広がっていく。
これまでやってきたことが統合されていて、かつ将来の可能性がすごく大きい仕事だと思うんですよね。




2014.11.08

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