人の為、世界の為に、仕組みをつくる環境マンに!自分は何ができるのか?を問い詰めた答えとは。

NPO法人「銀座ミツバチプロジェクト」の広報を務める田中さん。「人の為、世界の為に」と語る穏やかな笑顔の裏には、自分は何ができるのかをひたすら考え続け、行動された背景がありました。そんな、田中さんが現在の活動に至る経緯、そして今後の目標について、お話をお伺いしました。

田中 章仁

たなか あきひと|地域に携わるNPO法人の広報
都市と自然環境との共生を目指し、銀座の屋上で養蜂を行うNPO法人「銀座ミツバチプロジェクト」で広報を務める。

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何もできない自分に対するもどかしさ


私は東京の練馬で生まれ育ちました。
どちらかというと、クラスの中では目立ちたがり屋タイプで、友達の輪の中心にいることが多く、
勉強も少しできる方だったので、自分に自信がある小学生だったんですよね。

そんな性格だったことに加えて親の勧めもあり、小学校卒業後は中学受験をして
第一志望の私大学付属の中高一貫校に進学しました。

ただ、中学に進学してからは、周りが勉強ができる子たちばかりで、
自分って大したことがなかったんだなぁと思ったんです。
その時、それまであった自分への自信がすっかり吸い取られてしまいました。

そうして、学校の友達を避けるかのように、学校の友達より地元の友達と遊ぶことが多くなっていきました。
そのまま附属の高校に進学したのですが、高校生になってからも地元の友達と遊んでいて、
大人な自分を演出して、麻雀をしたりギャンブルまがいな遊びをやったりしていたんです。

ただ、外では麻雀などをしてかっこつけるものの、
家に帰ってからはお母さんのご飯を食べているという自分が恥ずかしく、
結局ひとりでは何もできない自分に、フラストレーションが溜まるようになったんです。

それからは、自分というものを確立させたくて、哲学書など色んな本を読んだりもしたのですが、
確立しようと思えば思うほど、親がいないと何もできない自分を感じて、
その現実に耐えられなかったんですよね。

自分の無力さを知った、家出期間


そんな葛藤を抱き高校卒業を迎えると、このまま流れに身を任せて附属の大学に進むもんかと考え、
外部の大学を受験し、入学することに決めました。

そして大学に入ってからは、自分の力で生きるために家出をしようと考え、
1年間、アルバイトでお金を貯めて、大学2年生になる直前に家出をしました。
何も頼るものはなかったのですが、不安はなく、「世間を知りたい!」という好奇心だけでしたね。

家出をしてまず最初に向かったのは、本州の最北端にある青森県にある「恐山」でした。
とにかく何の縁もない、遠いところに行きたかったんですよね。
それまでの生活圏を飛び出して、積もり積もっていたフラストレーションから解放された気分になりました。

それからは、あらゆるアルバイトをしながら、全国各地を転々として生活を送っていました。
青森からずっと西に進んでいく中で、色んな考えを持った方と出会ったり、
全く知らなかった世界を垣間見ることができて、冒険でしたね。

ところが、そんな生活を送っていて大阪の梅田に滞在していた時、
運転していた車をガードレールにぶつけるという事故を起こしてしまって警察に身元確認をされたんです。
それがきっかけで、私の両親が捜索願を出しているということがわかり、東京に連れ戻されました。

家出をしていたのは合計1年ほどだったのですが、
その期間で自分は誰でもできることでしか稼げないということを痛いくらいに感じ、
自分がどれほどまで無力なのかを思い知りました。

そして、それからは知識をつけようと考えたんです。
ちょうど、インターネットが広く普及していたこともあり、これだ、と思ったんですよね。
インターネットを介せば世界の人と繋がれるし、
この世界を突き詰めていけば何でも知れるんじゃないかと感じて、
インターネットやコンピューターを学ぶために、一度入学した大学は退学し、
理系の大学に編入することに決めたんです。

知識をつけることで取り戻した自信


それからは、コンピューターの勉強に没頭しました。
自分でアルゴリズムをつくったり、複雑なネットワークのモデルをたくさんつくりました。

自分の力で、0から1をつくっている感覚はすごく心地よかったですね。

そうして、コンピューターに関する知識に対しては人よりはできるという自信を持つようになり、
大学卒業後はIT企業に入り技術職として働くことにしました。
そこでは、Webのシステムのプログラミングをしたり、
クライアントの依頼に応じて、あらゆるサイトを作ったりしていました。

そんな仕事をしながら、ある時、私はただ単純に、クライアントの依頼に応じて、
サイトを量産させているだけだったなぁと感じる場面があったんです。
クライアントから、「(私が開設した)サイトは、どのくらいの人が見ているのか」と聞かれたのですが、
純粋に知っていなくて、その質問に答えられなかったんですよね。

それから、技術だけでは面白みがないと思いながら、
何のために仕事をすれば良いのかもわからなくなってしまい、会社を辞めることにしました。

まるで中学生の時のように、それまでの自分の自信を失ってしまい、空っぽ状態でした。

第二のキャリアとして、企業からNPO法人への転身


そんな私を見かねてか、NPOを立ち上げていた父から、一緒に働かないかと声がかかったんです。

父は、「銀座ミツバチプロジェクト」というNPO法人を立ち上げていて、
銀座のビルの屋上でミツバチの飼育を通じて、銀座の環境と生態系を感じながら、
採れたハチミツを使って街の人たちと商品のタイアップを行ったり、交流する活動をしていました。

ちょうど会社を辞める時に、
そんな父から、「ここでならお前の知識が活かせるんじゃないか?」と声がかかったんです。
NPOは人とモノはたくさんあるけれども、情報とお金の仕組みが整っていませんでした。

ここでなら、自分の情報の知識も活かしながら、
色んな人と出会いながら、お金の仕組みについて学べると感じたんですよね。
なにより、必要とされていること自体が嬉しく、NPOに所属することにしたんです。

人の為、世界の為に仕組みをつくる環境マンに!


そうして、情報を発信する広報担当になって働くようになりました。
早速仕事を始めたものの、遠いところから私たちの活動を観に来てくださる方々に対して、
自分たちの活動をしっかり話すことができずに、
がっかりさせて帰らせてしまうことがあったんです。

それが悔しくて、もっと自分個人の能力として、発信面を鍛えたいと思うようになったんですよね。
それから、人前で話す場を意識的に多く持つようにしたり、
外に団体の活動を発信する際にも、ただの情報だけではなく、
感情を加えたりして共感してもらえるような発信をすることを心がけるようになりました。

そうして、見学に来てくださる方々を増やし、自分たちの活動をしっかり伝えるようになり
見学に来た方々の評判を通して新聞などのメディアが取り上げてくださったり、
紹介で大学講義の機会をもらえるようになりました。

IT会社に勤めていた時は、モノをつくることしかやっていなかったのですが、
この団体に来てからは、企画から実行まで全部自分がやっていくことになり、
それがすごい楽しいと思えたんですよね。
また、活動を通して様々な人との出会いがあって、
色んな価値観に触れる面白さも感じるようになりました。
それまで自分の世界に入り込むことばかり考えていたのですが、
一気に視野が広がったような気がします。

現在、銀座ミツバチプロジェクトでは、
屋上養蜂、屋上緑化、都市農村交流の3つをメインとして活動しています。
私はこの活動を通して、人の為、世界の為に仕組みを創る環境マンになりたいなぁと考えているんです。

団体への貢献はもちろん、銀座の方々の交流する場を設けてひとつでも多くの環境を創ったり、
地域の交流ツアーを行って、地方の活性化などもどんどん促進させていきたいと考えています。

地域に対してだけではなく、来る2020年の東京オリンピックは、
そんな銀座の魅力を世界の方々へ発信するチャンスだと思っているんですよね。
私自身が活動を通して感じる銀座の魅力を多くの人に伝えたいですし、
それまでにまた新たな仕組みをつくって、世界中の方々を楽しませられる銀座をつくりたいと思います。

2014.11.05

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