人のために、社会のために。政治を通じて、社会を豊かにしたい。

京都で政治家を目指し、政治から社会を良くしたいと力強く語る山田さん。大学入学時は何をしてよいか分からなかったと言いますが、そんな山田さんを変えた環境とは。また、心が折れそうなほど厳しい現実に直面しても頑張り続ける理由とは。

山田 英孝

やまだ ひでたか|地域政党京都党 西京区支部長
「京都の京都による京都のための政治」をスローガンとした京都党に所属し、政治家を目指している。

京都党
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順風満帆な高校生活


私は名古屋で生まれ育ちました。

祖父は経営者で、食事の時によく政治や経営哲学の話などをしながら「誰かのために何かしなさい」と言っていて、
テストで良い点数を取ることよりも、人の役に立つことで褒められるような家でした。
そんな家庭環境もあり、小さな頃から「人に喜ばれることがしたい、人のためになりたい」という思いを強く持っていて、
将来は学校の先生になりたいと考えていました。
自分の経験してきたことを伝えたり、何かを教えたりすることで、人の成長に貢献したかったんです。

そして高校に入学してからは野球部の傍ら、ボランティア活動や生徒会活動もしていました。

ボランティア活動では阪神大震災で被災した中高生に奨学金の支援をするという取り組みをしていて
休日に街中や駅前で募金活動を行っていました。
募金活動では、一生懸命呼びかけるとそれに応えてくれる人がたくさんいて、
頑張っている人には周りの人は意外と優しいんだと、人の善意の温かさを知りましたね。
また、ただ声を出すことしかできない自分でも社会のためにできることがあるのだから、
みんなでやれば社会はきっと良くなるということを実感し、
不可能と勝手に決めつけるのではなく、とにかく何でもやってみようと思えるようになりました。

そして、高校卒業後は地元を離れ、社会科の教師になるため京都の大学へ進学し、
生まれて初めての一人暮らしを始めました。

殻にこもった自分


しかし、大学1回生の頃は、充実していた高校生活とは全く違い、本当に腐っていました。

それまでは「部活を頑張る」とか「受験を頑張る」とか与えられた役割や目標があり、ある意味ではそれを果たしていく生活でしたが、
大学生、それも一人暮らしで、食事や勉強、学校での活動など、生活の全てを自分で決めなければならない環境は、
私にとって今まで経験したことのない異次元の世界だったんです。
何をすればいいのか分からなくなってしまい、打ち込めることがない生活だったのですが、
漠然と成長したいという思いはあり、とても戸惑っていました。

そんな状況だった大学2回生の夏に、政治家の側で働くことのできる「議員インターンシップ」に出会ったんです。
元々、政治について関心があったし、夏休みの2ヶ月間集中して仕事ができる大きな成長機会だと聞いていたので、
政治家の仕事はどんなものか知りたく、また殻にこもっている自分を変えたいと思い、参加することにしました。

インターンを始めて最初のうちは、朝8時に出勤して事務所や周辺の掃除をしたり、1万枚のチラシをポスティングしたりと、
地味で厳しい仕事が多かったですね。
しかし、与えられた課題を1つ1つやり遂げると、
議会へ連れて行ってもらったり、市長に対する要望書を書かせてもらえたりと、
少しずつ議員の仕事に近いお手伝いをさせてもらえるようになり、
インターン生と言えど1人のスタッフとして、本気で政治に関わることができたんです。

結局、2ヶ月間ある夏休みの大半は出勤していましたし、その後も事務所に残って仕事を続けられる仕組みがあったので、
大学卒業まで働かせてもらうことができました。

また、そこで出会った人がきっかけで「住育」という住まいを通じてコミュニケーションを活性化させる取り組みを行うNPOに参加したり、
就職活動の時期になると、友達と一緒に就職活動支援団体を作ったりと活発に活動するようになりましたね。

気付けば意気消沈していた日々は吹き飛び、高校生の頃よりも充実した大学生活を送るようになっていき、
将来は政治の世界から社会を良くしたいという思いが芽生えていきました。

環境によって人は変わる


しかし、 行政の仕事として使われる税金が、市民がどれだけ苦労して働いて生み出されているのか、
その価値も知らずに税金を使う立場の政治家になることはできないと思ったんです。
また、議員インターン先の政治家の方も民間企業出身で、自分も政治家として活動する上でまずは営業力や企画力などをつけたり、
人材育成の仕組みなど民間企業の方が進んでいる部分を学んだりする必要があると感じていました。

そこで、「社会の問題点を解決する」という企業理念に共感し、
パソナグループという人材企業に入社することにしました。

そして、入社後は東京本社の人事部に配属となり、自社の新卒採用に携わるようになりました。
元々は営業をやりたくて入社したのですが、採用活動を通じて大学生と関わるのは学べることも多く、
また若者の将来に強く危機感を感じるようにもなりました。

と言うのも、関わる学生は二極化していて、自信がある人とない人、やりたいことが見つかる人とそうでない人、
敷いては内定を獲得できる人とできない人の差がどんどん開いていると感じたんです。

私は自分の経験を若い人に伝えていくことがライフテーマであるので、
仕事の傍ら1年に1人ずつですが、そういった自信のない学生が就職できるまでエントリーシート作成の相談に乗ったり、面接の練習をしたりして、
希望に合った就職ができるように支援も始めました。

また、会社の先輩がやっている児童養護施設を出る高校生の就職支援のNPOにも参加したのですが、
そこで出会う子供たちは、会社の採用で会う子たちとはまた違ってギラギラしていたんですよね。
施設に入っている子たちなので、親がいなくても自分で何か道を開こうという思いや、
社会の中で必死に生き抜いてやるという力強さを持っていたんです。

どんな環境で生活するかが人の考え方に与える影響は大きいんだと感じましたね。

京都という地で


そして、大学卒業時に考えていた5年間という期間を終えたので、
2014年8月に会社を休職して、京都で本格的に政治家を目指し始めました。

今後も東京一極集中が続けば、地方の人がみな東京に行ってしまい地方文化は廃れてしまうのではと問題を感じていたし、
また、東京は何でも揃っているので生活は便利でしたが、どこかギスギスしている感覚があったのですが、
京都は文化や自然の豊かさを感じることができたので、心を落ち着けて生活できる気がしたんです。
それで、大学時代に過ごした、大好きなまち京都でゼロから政治の世界へチャレンジしたいと思いました。

そして政治家を目指し活動を始めたのですが、街頭演説をすると暴言や唾を吐きかけられることもあり、
心が折れそうになりましたし、このままやっていけるのか不安になることも何度もありました。

しかし、勤務地の異動に伴う引継ぎ業務を終えた妻が本格的に応援してくれ、
徐々に市民の方から「頑張ってね」と反応をもらえたり、
議員インターンシップで出会った同志とも呼べる仲間が週末に一緒に手伝いをしてくれたり、
少しずつですが活動を支えてくれる人が増えてきたんです。
そうやって自分に共感して応援をしてくれている人からたくさんのエネルギーをもらい、
今まで以上に頑張れるようになりました。

今後、個人としては政治家になることもそうですが、その先には京都ならではの政策を市民と考えていく政治を実現し、
真の「住民自治」ができるような社会を目指しています。
私が所属している京都党はまだまだ小さい規模の「ベンチャー政党」です。
だからこそ、京都に根付いた地域政党として、様々な市民の意見を拾い上げていくボトムアップ型の政策提言ができると考えています。
若い自分たちだからこそできるやり方で政治を変えていきたいですね。

ただ、実際は選挙があっても投票率も4割ほどと少なく、市民と政治が遠いものになってしまっているので、
政治家や議会がどんな仕事をしているか、分かりやすく説明する活動にも力を入れています。

そうやって市民に近い政治家になり、政治から世の中を良くして行くことを目標に活動をしていきます。

そして、今後も自分の経験が人の役に立つようなことを続けていき、
多くの人に親しんでもらい、前向きなエネルギーを与え続ける生き方をしていきたいです。

2014.11.02

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