ライフスタイル自体が自己表現。創造的生活の中でアートを通じて伝えたいこと。

滋賀で自然に根ざして暮らし、動物をメインモチーフとした絵画制作と、依頼を受けてのイラスト制作の2つの顔を持つ岡田豊さん。アートを通じて何を伝えたいのか、なぜこのライフスタイルを選択したのか?お話を伺いました。

岡田 豊

おかだ ゆたか|画家兼イラストレーター
画家「Yutaka Okada」とイラストレーター「upinde yutaka」の2つの顔で制作活動するアーティスト。
シンガポール、マレーシア、香港などの海外アートフェアや東京と京都で個展を毎年開いている。

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絵を描くことが好き


僕は京都生まれで、幼少期から絵を描くことが大好きな子どもでした。

小学生の時は、漫画の絵を真似て描いてみたり、
中学生になってからはグラフィティアートに興味を持って、
よく本屋の洋書コーナーに行っては資料になるような写真集を探したりしていました。
そんな風にアートが大好きで一刻も早く社会に出てクリエイティブな仕事をしたいと思っていたので、
美大への進学は考えず、少し特殊な京都の銅駝美術工芸高校のデザイン科に進学することにしました。

高校に入ってからは、早く自分の作品を多くの人に見てもらいたいという想いから、
1年生の終わり頃から毎週末大阪のアメリカ村へ行き、路上で自分の描いた絵を売り始めました。
路上ではそれなりの反応があり、アパレルショップから声が掛かってTシャツのプリントになったり、
2年生の時にはスカウトされて、 デザイン会社を通じて仕事もさせてもらえるようになりました。
その仕事は年間契約で京都のショッピングモールのメインビジュアルのイラストを描く仕事で、
高校生の僕にとっては大きく、報酬ももらえたので絵の仕事で食べていく自信を持つには十分で、
高校卒業後は進学や就職はせず、フリーとして頑張ってみようと思えました。

しかし卒業と同じ頃、そのショッピングモールの仕事の契約期間も切れてしまい次のイラストの仕事も簡単には決まらず、
とりあえず服屋や看板屋などで働きながらイラストの仕事も探すような生活が始まりました。

クリエイティブな空気感だった美術高校から突然一般社会に出て、同時期にストリートの活動も辞めたので、
突如アートと触れる機会が減ってしまい、内面から沸き立つものも見えなくなり、何を発信していいのか分からなくなってしまいました。

絵で生きていくための覚悟


ただ1、2年ほど経ち、もともと好きだった音楽のフェスなどに行きだすようになって、
働きながらもフェスでライブペイントさせてもらったり、絵で出店したり、フライヤー制作の依頼を受けたり、
制作活動も活発に戻り始めました。
イラストレーター名も「upinde yutaka」と名乗るようにもなりました。

この頃、音楽フェス仲間から受けた刺激は大きく、ライフスタイルや仕事観など色々考えるきっかけをもらえましたね。
そして自由な価値観は間違っていなかったと自信を持てるようになり、
社会から自立して、住む場所や環境などを自分で選べる生き方をしたいと思うようになりました。

僕にとってそれは絵で食べていく道だと確信していたのですが、 絵一本で生きていく覚悟や実感はなかなか持てずにいました。

しかし、夜に働いていたアフリカンバーの店長がよくアフリカに行っていて、
アフリカの人たちは明日も分からない厳しい環境を何とかサバイブし、
その中でも楽しいことを見つけ屈託のない笑顔で生活しているという話をしてくれ、
僕もこの満たされて平和ぼけしてしまった日本を一度離れ、その環境を体感すべきだと思ったんです。

それで25歳の時にケニア、タンザニア、アジアを1人旅することにしたんです。
ケニアでは、貧困層の声をレゲエで伝える「ラスタマン」と一緒に、
東アフリカ最大のゲットーと言われるキベラに行ったことが特に印象的でした。

そこは水道やトイレも整備されていなくて、日本人が普通に入ったら危険ないわゆるスラムだったんですが、
そこで懸命に生きる人たちの姿は強かで逞しく、個性に溢れていて、僕の目には輝いて見えたんです。
また、サファリで野生動物たちの姿も目の当たりにして、これが「いのち」を全うする姿なんだと感動したことは忘れられませんでした。

この体験により、良くも悪くもどんなに辛く経済的に苦しくなっても、
自分の好きなことをやり抜く覚悟や芯のようなものを手にしたような気がします。

過程も全てさらけ出せば良い


帰国後は、旅中に描き溜めた50枚ほどのスケッチ画を持ち個展をしながら日本全国を回る旅に出ました。
カフェギャラリーを中心に、全国10ヶ所を半年ほどかけて回ることができ、
この旅で人脈もさらに広がってイラストや壁画のオーダーももらえるようになり、
気づけば絵1本でなんとか食べていけるようになっていました。

そうやって少しずつ仕事も増えてきた頃、昔からのイラストレーター仲間と久しぶりに再会したのですが、
彼が以前はやっていなかった油絵を描き始めていて、その絵が力強く進化していることに驚かされたんです。
その作品はジャンルに関係なく色々な人を惹きつける魅力があり、
話を聞くと山川茂さんという80歳を越えた洋画家の巨匠に弟子入りしているとのことでした。

僕のイラストは着色作業をパソコンで行うことが多いので仕事が増えるとその分パソコンと向き合う時間が増え、
絵描きになりたかったイメージとのギャップを感じ始めていただけに、油絵というジャンルはとても新鮮に感じました。
そして何よりイラストとは違い、その絵画的追及は、ジャンルや世代に関係なく多くの人の心に直接届くように感じたんです。
そこで早速伊豆に住むそのお師匠を紹介してもらうことにしました。

初めてお会いした時、お師匠はジャンルが違うにも関わらず僕のイラストに対する指摘が非常に的確で、やっぱり凄い人だと思いましたね。
また「先生と呼ぶと僕を越えられなくなるから絵描き仲間として”ムッシュ”でいいよ」とフランス時代のあだ名で呼ばせてくれるほどの人格者でもありました。
そのムッシュの絵に対するパッションとプロ意識の塊のような人柄に惹かれ、
その場で弟子入りさせてほしいと申し出て、了承してもらいました。

それからは、小さな倉庫のような部屋を寝床に貸してもらい、 朝から晩までムッシュと背中合わせで絵を描いては見てもらい、
技術や理論を一から教わりました。

そして弟子入りして間もなく、ムッシュから絵の具代を稼ぐためにも半年後には個展を開くように言われました。
それまで油絵なんて触ったこともなかったのでさすがに自信もなく、まだ早いんじゃないかと相談したところ、
「自分の絵が完成する時なんて一生来ないのだから、過程も全てさらけ出せば良い」と言われたことで、個展を開く決心ができました。
その初個展は京都の地元で開催し、みなさんの応援のお陰様でほぼ完売し、晴れて画家人生をスタートすることができました。

創造的自給自足生活


そんな生活を2年続けた後は、高校卒業時から付き合っていた彼女と結婚し、
伊豆の山の上にある空き家を借りて新生活を始めました。
この頃には絵を描くことと同列で、生活すること自体も自己表現の一つだと考えるようになっていて、
既成品だけを使って暮らすのではなく、生活自体も創造していく「創造的自給生活」を目指し、
畑で野菜を育てたり、薪を割ってストーブの火をおこすような自然のサイクルに近い生活をしていました。

そんな中、2011年に東日本大震災が起こり放射能への懸念もあったので、
子育てなどの将来も踏まえてホームタウンである関西に戻ることにしたんですが、
ふと、どうせ荷物をまとめて引っ越すなら、一度海外で生活して視野を広げ、英語も学びたいと思い立ってしまったんです。

この頃から年に一度はマレーシアのアートフェアで発表する機会を得ていたので、
元々非言語のコミュニケーションツールでもある絵画だからこそ、もっと海外でも勝負したいという想いは強くなっていたし、
ちょうど30歳になる頃で、ワーキングホリデーのビザを取得できる最後の歳と言うこともあり奥さんに相談したところ、
彼女は行かないものの単身で行くことは許可してもらい、10ヶ月ほどオーストラリアで生活と制作をさせてもらいました。

僕の活動はずっと奥さんの理解に支えられていて、もう頭が上がりませんよ。(笑)

アートを通じて伝えたいこと


今は滋賀県の琵琶湖の見える山の麓の家で、
伊豆での生活同様、薪を作ったり、猿よけの柵を作って小さな畑を耕したり、
味噌作りやびわの葉のエキス作りなんかを楽しみながら、自然に感謝した暮らしと制作活動をしています。
滋賀には琵琶湖があるせいか、自然と共存した暮らしをしている人が多くて、
月に数回はマーケットが開かれてオーガニックな野菜や小麦、手作り雑貨などが手に入り、
自然の知恵の情報交換もできるので、本当に良いところに越せたと思っています。

東日本大震災以降は今までのライフスタイルを見直す人も増えてきましたが、
これからの子どもたちにもこの地球が心地良い環境であるように、
「持続可能なライフスタイル」が求められる時代が来ていると切に感じますし、
そんな想いを当たり前に生活の一部に取り入れている人たちがこの滋賀にもたくさんいます。

こんな滋賀のイケてる価値観をアートというツールを使って発信していくお手伝いをできればと思っています。

また、言語の壁を越えられるアートの良いところを活かして、
今発表しているシンガポール、マレーシア、香港をはじめ活動の場を世界に広げて色々な価値観の人たちとも出逢っていきたいです。

最近はフクロウの絵を良く描いていますが、彼らは自然への敬意を作品に昇華してくれるモチーフで、
自然界からのメッセンジャーとして僕たちに癒しと自覚を促す存在となってくれています。
絵画作品の大抵は都会の方が買って下さるので、
都会の空間にも自然の息吹きが流れればと思っています。

画家としての絵画制作も、依頼を受けて描くイラストレーターとしての制作も軸にあるのは同じ感覚です。
その表現の集合体として、念願でもある絵本の制作もこれからやりたい夢のひとつですね。
いつになるか分かりませんが…(笑)

2014.10.28

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