ハードワークを経験した自分が感じたヨガの力。走り続けた先に見えた、新しい道とは。
「昔からこれだと思ったものに対しては、一切揺るぐことなく突き進むタイプ」と語る、風見さん。大きな挫折から、無気力状態の大学時代を経て新人賞を受賞する営業マンに。そんな風見さんが目指す、今後の目標についてお話を伺いました。
風見 ひかり
かざみ ひかり|ビジネスパーソン向けヨガ講師
大手ネット求人広告会社を退職後、ビジネスパーソン向けヨガ講師として活動中。
企業の福利厚生の一環として主にビジネスパーソン向けにヨガを指導する。
もっと広い世界を見たいと思ったんです
私は、茨城県の坂東市に生まれました。
千葉県と川を挟んだところにある、茨城の外れにある町です。
3姉妹の長女だったのですが、性格はものすごく人見知りでシャイでした。
ただ、幼稚園の劇の発表で人前に立つときは、
人が変わったかのように楽しげに演技するような子だったんですよね。
そんな性格だったためか、6歳のときに突然、「バレエを習いたい!」と親に言ったんです。
人見知りだった私の発言に親もびっくりしながらも、教室に通うことになりました。
それからバレエ生活が始まり、週2回ほど、
千葉県にあるバレエ教室まで通い、レッスンを受けることになりました。
それ以来、踊っている間、全然違う自分になれるバレエが大好きになっていきました。
その後、中学生2年生の時、
次の年に「くるみ割り人形」という演目の主役を演じることが決まったんです。
それから本格的にレッスンを受けるために、表参道にある教室にも通うようになりました。
そこの教室に通うようになってから、たくさんの大人や様々な考え方を持つ人たちと出会いました。
それを知ってから、ふと地元に対して閉鎖した空気を感じるようになったんですよね。
地元に留まらずに、もっと広い世界を見たいと思ったんです。
それから高校は県外で、大学受験に縛られずに
自分のやりたいことができる大学の付属高校に進みたいと考え、
日本女子大学附属高校に進学し、親元を離れた寮生活を始めました。
人生をかけた挑戦、死に物狂いの日々
入学後、新入生歓迎会で、「OH*TAKARAZUKA」という部活の講演を観ました。
そして、その公演で生き生きとした先輩の姿に感動し、私も入部することに決めたんです。
活動内容が、宝塚の舞台を完全コピーするという部活だったため、
入部後、友人と宝塚歌劇団の公演を観に行くことになりました。
その公演の感想をひとことで言うと、「こんな世界があったのか!」というものでした。
公演終了後、感動を通り越して、今まで見たことのない世界に、放心状態になったんです。
ちょうどその公演の娘トップを務めていた方が、私の高校の先輩で、
舞台の上で輝いてる姿に半ば洗脳されたかのように魅了されて、
「私もこの舞台に立つんだ」と心に決めました。
それから寮に帰る間、
親に「私、宝塚に入ることに決めたから、今後のお金の支援をお願いします」と電話をしたんです。
そしてすぐにその翌日から、宝塚音楽学校への受験のためのレッスンに通い始めました。
ただ、音楽学校への受験資格は高校3年生までがあるのですが、
親からは翌年の高校2年生の受験が最初で最後のチャンスということで了承を得られたんです。
それから声楽、バレエ、ジャズダンスの教室に通うようになり、宝塚を目指す日々を送りました。
毎日、死に物狂いでレッスンに通いましたね。
私は元々歌が下手で、母からも人前で歌っちゃいけないと言われるほどだったのですが、
必死に練習をして、人前で堂々と歌えるほど上達したんです。
目の前にある、大きな目標に向かって、毎日がむしゃらに走り続けました。
目指すものを見失った、無気力状態
そして、2年生の終わりの春に受験をしたのですが、結果は不合格。
それまでに味わったことのない悔しさでした。
それから、親との約束はあったのですがダメ元で受験のチャンスをもらえないかお願いしたんです。
ただ、親元を離れてまで大学の付属校に通わせてもらい、さらに金銭面でこれ以上迷惑はかけられないと思い、
親の言うとおり、宝塚への道を諦めることに決めました。
そして、高校3年生に進級してからは、部活の他に応援団の団長などをやったのですが、熱量もなく、
大きな目標を見失って胸にぽっかり穴が空いた状態でした。
そんな状態で日々を過ごしていたのですが、
次第に、どうして私は親に受験の説得をしなかったんだろう、とも考えるようになり、
受験に落ちたこと以上に、もう1回あるチャンスに向き合わなかった自分に後悔ばかりしていました。
受かった子や、次の受験に向けて頑張っている姿を見る度に後悔し、引きずっていましたね。
そのまま附属の大学に進学してからも、無気力状態が続きました。
体育会の競技ダンス部に入っても全くモチベーションが上がらず、1年ほどで辞めてしまいました。
周りの友達はみんな何かしらのサークルに所属したり、交流の輪を広げていっていたのですが、
私はそんな気も起こらず、内部進学の昔からの友達とばかりいましたね。
1人でいるときは、いつも人生をかけて頑張ったときの挫折や、説得しなかった自分に対して、
色んな感情が込み上げてくるような日々でした。
そんな時期を送りながらも、大学3年生になり、就職活動の時期を迎えると、
さすがにこのままではまずいな、と思うようになりました。
これを機に色々と自己分析をして脱出しよう、という気持ちでしたね。
改めて考えてみると、両親が自営業をやっていたことを見ていたり、これまでの自分を振り返ると、
自分がひとつの組織で長くやっているイメージが掴めなかったんです。
なんとなく、1人でやっていく方が私には合うだろうし、そうなるんだろうなぁと考えました。
ただ、何で独立していくのかわからなかったですし、特にやりたいこともなかったので
将来、自分が何かやりたいことができたときに、すぐに実行できる力や判断力を持てる会社に行きたいと考え、
直感でそうした考えを実現できると感じたネット求人広告を取り扱う会社に入社することに決めました。
結果として得られた自信、新たな発見
入社してからは、とにかく仕事に没頭しました。
配属部署は、同期は1人もおらず、ベテラン社員の方ばかりの部署だったのですが、
毎日怒られながらも、必死にくらいついていましたね。
それまで無気力状態だった自分からしてみれば、考えられないようなハードワークな生活でした。
そして、半年後にシンボリックな活躍をした新人に送られる「社長賞新人賞」を受賞したんです。
私を育ててくれた上司に対してものすごく感謝しましたし、
何より成果として残せたことが嬉しかったですね。
その後、部署異動がありながらも目の前の仕事に必死に取り組みました。
それから2年目になったころ、1年目の教育担当になったりと、
少し自分の将来について考える余裕ができるようになった時期に、
身体を動かすことをしようとヨガを始めました。
最初はなんとなくやってみた程度だったのですが、すごく身体がすっきりして、気持ちがよかったんですよね。
ちょうど私の周りに、ハードワークで肉体的にも精神的にも疲れている人や自分を見失っている友人がいて、
もっとシンプルに、自然体にいたらいいのにな、と考えていたこともあり、
直感的に、ビジネスパーソンとヨガって相性が良いんじゃないかな?と思いました。
そこで、ヨガについてもっと詳しくなろうと、歴史や起源から調べるうちに、
「ヨガは体や健康に良いだけでなく、精神的にもとても良いものなんだな」とわかってきたんです。
それから、約9か月かけて全米ヨガアライアンスの資格を取得しました。
そして、これが自分のやりたいことだと感じ、会社を辞め、ヨガで独立しようと決めたんです。
強みを活かして、新たな挑戦へ
そして、社会人になって4年目の、今年の10月に、
大学卒業から今までお世話になった会社を退職しました。
これからは企業に対して、ビジネスパーソン向けのヨガを展開していくことを目標として、
自分自身の経験と実感を信じて、仕事に対するモチベーションや集中力を高めるお手伝いをしていきたいです。
独立を決めてから、それまで自分のやりたいことを発信するのはあまり好きではなかったのですが
意識的に色んな人に自分のやりたいことを伝えていきました。
そうして、とある企業の人事の方をつなげてもらい、その会社で「朝ヨガ」講師として活動を始めるようになったんです。
それまで営業マンとして培ってきたスキルが、活きたなと思いましたね。
今は1社でも多くの企業でヨガを取り入れてもらうために動いているのですが、
将来的には、ヨガの講師としての成功体験をたくさん積んで
ヨガの資格を持ちつつも活かせてない人たちに、何か糸口を提供できるような存在になりたいです。
自分の強みを活かしつつも、
新しいスタート地点だと思って、またがむしゃらにやっていきたいと思います。
2014.10.18