ゼロ単位から都知事を目指す!不登校・引きこもりだった私が夢を持つまで。

イベントや講演等、様々な形で若者同士の文化交流を場を作る活動をされている安西さん。現在は、人並み外れた好奇心と行動力を持つ一方で、過去には不登校や引きこもり、そして大学中退を経験されています。そんな、過去から現在に至るまでには一体どのようなストーリーがあったのでしょうか?

安西 直紀

あんざい なおき|若者同士の文化交流事業の企画・実行
「日台若者交流会 代表、日中の未来を考える会 日本側代表」「一般社団法人 全日本水鉄砲協会 代表理事」として、
国境の枠を超えて若者同士の文化交流の場を作ることに力を注いでいる。
また、政治家を志し、最終的に東京都知事になることを目指している。

安西 直紀 公式ウェブサイト(近日公開)

サイン・コサイン・クエスチョン


私は、躾の厳しい家庭に育ち、幼稚園の頃から塾に通い、私立の小学校に入学しました。

それが当然だと思っていたので、特に違和感などはありませんでしたが、
あまり勉強は好きではなく、むしろゲームが大好きでした。
また、性格は内向的で、クラスで発言をするタイプではなかった気がします。

特に数学は大の苦手で、高校生の時には、いわゆる「サイン・コサイン・タンジェント」の分野が全く理解できず、
もはや「サイン・コサイン・クエスチョン」という状態でしたね。(笑)

内容が理解できない、ということもありましたが、
私にはどうしても「サイン・コサイン・タンジェント」が日常生活や将来に役立つものには思えず、
勉強する意味そのものがわからなくなってしまいました。

そんな疑問を解消するため、人生の先輩である先生方に
「サイン・コサイン・タンジェントの意味が分かりません。これは人生で役に立つ勉強なのでしょうか?」
と質問をしてみたところ

「君の言うこともわかるが、今はとにかくテスト勉強を頑張りなさい」

と言われてしまったんです。

その答えを受け、私は自分の疑問に答えてくれず、
飛び越え理論で問題を先送りされてしまったような空しさを感じました。

その後も校長先生など、多くの先生方に同じ質問をぶつけたのですが、
結果は同じで、私はあまりの失望感から学校に行く意味を見失ってしまい、
不登校になってしまったんです。

当然、真面目で教育熱心な両親にはものすごく怒られ、
そんな両親に対して、私は自分が学校に行かない理由をうまく伝えることはできませんでしたが、
とにかく「あの場所には行きたくない!」と、強行突破を続けましたね。

その結果、出席日数が足りず、高校2年生の時に留年してしまったんです。

しかし、不登校とはいえ放課後や行事の時には顔を出していて、そのうちに好きな子ができたことがキッカケとなり(笑)
約2年間続いた私の不登校生活は終わりを告げました。

その後は、好きな子にカッコいいところを見せたい、という気持ちから、
部活を掛け持ちしたり、生徒会の役員になったりと、人生のリセットボタンを押したかのように
活発に行動するようになりました。

また、テスト勉強も1つのミッションとして捉えることで、
ギリギリで何とか卒業して、大学に進学することができました。

個人的鎖国政策


私は、小学校から高校までずっとエスカレータ式で進学をしてきたので、
多様な人たちが集まる大学では、面白い人と出会えることを期待していました。

ところが、いざ大学生になってみると、周囲は、
「○○の講義を履修すれば就活の時に有利」だとか、「○○会社なら安定している」だとか、就職のことばかりを意識して、
効率よく大学生活を送ることにしか興味がない人たちばかりでした。

そんな様子から、大学という場所はまるで「就職予備校」のようだと感じてしまったんです。

それでも大学の違う魅力を探そうと、色々な講義やサークルなどに入ってみたものの、
どうしても大学に通う理由を見出すことができず、
結局、2年間在籍した後、取得単位数ゼロで大学を中退しました。

当然、両親には「大学を辞めることは許さない」と言われましたが、
「辞める」という決意は固く、私は自分で決めたことは絶対に曲げない性格なので、
不登校の時と同様に、最終的には強行突破でした。

大学を中退したとはいえ、私は明確にやりたいことが見つかっていた訳ではありませんでした。

そこで、家の近くの図書館に通い、ひたすら所蔵されているマンガを読み、CDを聴き、
自分の人生について考える「個人的鎖国政策」を実行しました。
要は、引きこもりです(笑)

しかし、この「個人的鎖国政策」の間に、人生という与えられた時間の中で何をすべきか、自分と徹底的に向き合って、
本当に色々なことを考えました。

また、気がつくと図書館に所蔵されていたマンガ、約1000冊を読み終えており、
次に世界旅行のガイドブックや、歴史に関する写真本に興味を持ったんです。

最初は、マンガに続いて活字が少ない書籍、という消極的な理由でしたが、
だんだんと世界の広さを感じて、自分の知らない土地や歴史上の人物に対する関心が高まっていきました。

次第に、

「実際に世界を旅してみたい!」

という気持ちが強くなっていった私は、とにかく行動してみようと思い立ち、
語学が苦手なため、英語に堪能な友人を誘い、二人で実際に海外の旅に行くことにしました。

50か国の旅で感じた「体験することの重要性」


その後は、東南アジア・ヨーロッパ・中東・アフリカなど、
日本と海外を行き来しながら、様々な国へ行きました。

全部で約50か国の国々を周ったのですが、実際に沢山の国に行く中で、

「実際に足を運び、体験して感じることの重要性」

を強く感じたんです。

例えば、バクダットへ行った際はテレビの報道のとおり、
現地ではアメリカ軍の戦車が市街を走り、空には戦闘ヘリが飛んでいました。

しかし、その一方でイラクの人々は旅人である私に対して驚くほど優しく、
親切にしてくました。

私にとって危険な国の象徴であったイラクは、実際に足を運んだことで劇的に印象が変わりましたね。

この海外の旅を通じて、他人の意見や情報を鵜呑みにせず、
直接自分で足を運び体験することを大切にしていこうと思いましたね。

また、私はこの旅のなかで、世界各地でファイティングポーズをとり、
睨みを効かせた写真を沢山撮っていました。

日本人が写真撮影の時によくする、ピースサインの正反対のポーズを撮って集めていたんです。(笑)

また、およそ5年間続いた海外の旅で、様々な国の民族や文化に触れたことで
私はあらゆる面で積極性が増していました。

そこで、高校時代の恩師の勧めもあり、ファイティングポーズをとり、
睨みを効かせた写真だけを載せた写真本『睨むんです』を制作することにしました。

とはいえ、あくまで自費出版で、書店においてもらうには営業が必要だったため、
私は、日本中の書店をアポなしで直接周り、自ら営業活動を行うことにしました。

震災で感じた自分の無力さ


これまで、営業の経験は一切なく、世界を旅する時と同様、
最初はもの凄く不安な気持ちで、書店を周っていました。

しかし、実際にやってみると、書店員さんは思った以上に話を聞いてくださり、
高確率で『睨むんです』を平積みで書店に置いてもらえたんです。

これがキッカケとなり、その後は、アポなしで著名人の方々にお会いしに行ってみたり、
人の縁から『月刊 生徒指導』という教育雑誌で、自らの不登校経験を綴った
「不登校でもぜんぜんだいじょーぶ」という連載を持たせていただいたりもしましたね。

そうやって好奇心を持って行動することで、新たなキッカケを得て、
また更なる好奇心が生まれ、次なる行動を起こす、というサイクルが生まれていきました。

ところが、そんな好サイクルが回り始めてきた矢先、
2011年3月11日に東日本大震災が起こったんです。

私は自分の無力さを実感すると共に、何かせねばという衝動にかられ、
これまで培ってきた経験を元にして自分が出来ることを考えました。

そこで、世界各地を旅したことと『睨むんです』の出版と営業を経験したことによって、
私には人並み外れた好奇心と行動力が身に付いていて、
また、世界各国に友人ができ、中でも、中国の留学生の友人が沢山いることに気づきました。

加えて、群馬県の水上温泉で旅館を経営する高校時代の同級生からの情報で、
震災の影響で観光客が激減して町が疲弊して困り果てている、ということも知ったんです。

そこで私は、中国人の留学生と共に水上温泉に足を運び、地元の祭りに参加させていただくと共に、
日中の若者同士の交流を行う『〜日中友好親善〜 水上温泉おいで祭り参加ツアー』
いうイベントを企画して開催しました。

ゼロ単位から都知事へ


実際にイベントを実施してみると、留学生・地元の方々の双方から、
「とても良いイベントだった!」という意見を沢山いただくことができました。

この出来事をきっかけにして、
私自身は好奇心と行動力に加えて自信を持つことができました。

この『〜日中友好親善〜 水上温泉おいで祭り参加ツアー』が大きなキッカケとなり、
現在は、国境という枠組みを超えて、複数の団体を設立することができ、
今は、イベントや講演など、様々な形で、若者たちの文化交流の場を作ることに力を注いでいます。

私自身、約50か国の国々を旅して民族や文化の多様性に触れたことで、
沢山の学びや新しい発見がありました。

だからこそ、時代や社会の波に乗り切れずに悶々としている若者には、
国境を突破して多様な価値観に触れてもらいたいと思います。

はっきり言って、英語が出来ないとかは大した問題じゃないですよ。

そして私には、この先政治家を志し、最終的に東京都知事になりたいという夢があります。

不登校、高校留年、大学中退、引きこもり、フリーター、ニート…、
私は現代の落ちこぼれのライセンスはだいたい取ってきました(笑)。

今の時代を生き抜くことは実は難しいことだと感じます。

だからこそ、悩みを抱えている若者を見るとほっておけないのです。
この先の時代を生き抜いていく上で大切なものは何か。

この答えを探し出して世の中に提示することこそが、
「個人的鎖国政策」を経験した私が最も回答したい人生の宿題なのです。

日本の政治家の頂点は総理大臣ですが、
私は東京都知事の方がこの先の日本では実現できる政策が多いと考えています。

国と国とでは実現が難しいことでも、都市と都市、さらには個人と個人ならば実現できることは多いと思うんです。

「ゼロ単位で大学を中退した私が東京都知事を目指す。」

無謀な野望だからこそ、夢があると思いませんか?

私は、これから先も好奇心と行動力を持って、東京都知事という大きな夢に向かって、
精一杯邁進していきたいですね。

2014.10.04

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