メディカルとフィットネスの境界線を埋める。人が健康で輝けるためのサポートを!

現在、都内のフィットネスクラブでパーソナルトレーナーとして働きながら、理学療法を学ぶ学生としての顔も併せ持つ澤渡さん。「メディカルとフィットネスの境界線を埋める」と語る裏にはどんなストーリーがあるのでしょうか。お話をお伺いしました。

澤渡 知宏

さわたり ともひろ|パーソナルトレーナー
理学療法士の学校に通いながら、
フィットネスクラブであるクオリア代々木公園で、パーソナルトレーナーとして務める。

クオリア代々木公園
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導く人でありたい、トレーナへの道


私は中高時代、弱小のバスケ部に所属していました。
それも、顧問の先生が全く指導をしてくれない、放任主義の先生だったんです。

そうした顧問に対して反感を抱いていたのですが、
先輩から指名されて部長になったこともあり、「顧問が指導しないなら自分がやるしかないな」と思い、
できるだけコーチ代わりになるように部員のひとりひとりのプレーを見るようになりました。

それから、プレーヤーだけでなくコーチという役割にも面白さを感じるようになったんです。

たとえば、シュート率の伸びに悩んでいる部員に対して、膝の屈伸をアドバイスしたことで、
目に見えるほどシュート率が上がったことがあります。

それがすごく嬉しくて、自分が教師として部活の良き指導者になりたいと考えるようになったんです。
高校卒業後は大学受験をして、将来体育の教師になることを決意しました。

ところが、受験した大学からは全て不合格が届いたんですよね。
唯一、大学編入へのバックアップが強い専門学校には合格していたため、
「教師になる」という目標を諦めることなくスポーツトレーナー専攻のコースで入学しました。

入学してからは、1人暮らしを始めた関係でお金が必要になり、アルバイトを始めることにしたんです。
そこで、どうせなら将来の自分に役に立つ仕事がしたいなと考え、
自分の学んでいることに近いスポーツクラブのインストラクターの仕事を始めました。

研修で基礎を教わり、いざお客様を相手にして働くようになってみると「この仕事、面白い」と思いました。

自分が身体のことを勉強し、それを直接伝えることで、
接するお客様の体が改善されていることを実感することができたんですよね。

それからは「教師」として人に何かを教えるのではなく、
目の前の人のありたい姿に「導く人」になりたいと思うようになり、
トレーナーとしての道を進むことに決めました。

仙台で得た出会い


学校を卒業してからも同じスポーツクラブで働き続けました。

仕事も落ち着き少し慣れてきたころ、他のクラブも知りたいと思うようになり、
体験などを使って200以上のジムを回るようになったんです。
そうしているうちに外の世界を見ることで今いる環境だけでなく、
新しい環境でチャレンジしたいと思うようになり、新しいスポーツクラブに内定をいただきました。

ただ、そこの会社が、経営不振で入社前に倒産してしまったんです。
それまでやっていたアルバイト先も辞めてしまっていたので、行く先がなくなってしまいました。

それでも、深夜の高速道路でのアンケート調査など様々な仕事をでつないで、
半年後にはなんとかトレーナーの仕事に戻ることができたんです。

戻ったときは、やっぱり自分はこの仕事が良い、と再確認しましたね。

新たな会社では正社員として雇われ、早々に仙台で務めることになりました。
そこで働くようになったある時、トレーナー仲間に「考えが似てる人がいる」と人を紹介されたんです。

私より一回りも年上の方で、仙台でプロバスケットボールチームのトレーナーをしている方で、
25、6歳のころに単身でアメリカへ行き、トレーナーの資格を取り、
日本でも様々な経験をしたからこそ今の自分があるのだと、経験を基に話をしてくれたんです。

お話を聞いて、魅力的な人こそ自分のやりたいことを素直にやっているなあと感じ、
自分もこんな人になりたいと思うようになりました。

震災・母の病気を経て感じた、無力感と信念


その方とお会いして数か月後、仙台にいるときに3.11の震災があったんです。
震災後に会社から移動命令が出て、私は横浜に転勤することになりました。

横浜で働くようになり数日後、知り合いから
「(先日お会いした)プロバスケットボールチームのトレーナーが、
チームを応援してくれている被災したファンへ恩返しするために、
ベッド1つを抱えて被災地で被災者のケアしている」と聞いたんです。

自分もトレーナーとして、現地に行って何かできないかと考えたのですが、
スキルを持っていない自分が感情だけ持って被災地に行っても、何もできないなと感じたんですよね。
悔しい気持ちと、そのトレーナーさんのように、専門的なスキルを付けたいと思いました。

また、ちょうど同じ時期に母が脳梗塞で倒れました。

右半身の麻痺や失語を発症し、自分なりにトレーナーとしての仕事を活かしてリハビリを行うも
全く上手くいかなかったんです。
自分は健常者にトレーニングを行うことはできても、
疾患を持った方にはリハビリも行うことができないということも思い知らされました。

それらの経験があってからは、人を助けるためには、お金が必要、仕事ができる必要があるし、
もっと自分の能力をつけたいと考えるようになりました。

更に、当時働いていた今でも尊敬する会社の社長がよく仰っていた、
「なれる最高の自分になれ」という言葉も重なり、
一旦は現場を離れ、フィットネスクラブへのコンサルティングなどの業務を行っていたものの、
現場へ戻り、健常者だけでなく疾患を持たれた方へも対応できるトレーナーになりたいと考えるようになったんです。

フィットネスとメディカルの境界線をなくす


それからは、疾患者にも確かな知識を提供できるようになるために、
医療の知識をも持つ理学療法士を目指して専門学校の夜間部へ入学することに決めたんです。

昼は、パーソナルトレーナーとして、フィットネスの現場で働き、
夜は学生として理学療法士になるために学校に通って学んでいます。

今後はトレーナーというこれまでの経験と、今勉強いている理学療法の知識を活かして、
フィットネスの現場で少しでもメディカルとフィットネスの境界線を埋めていきたいです。

今、日本は平均寿命に対して、健康寿命が-10歳という統計があります。

私はこの現実に対して、トレーナーとして1人でも多くの人が、長く、健康であり続けられるように
アプローチしていきたいと考えているんです。

フィットネスを行うことで、風呂場の段差を乗り越える脚力、お茶碗を持つ腕などを鍛え、
人間としていつまでも健康で輝ける生活を送れるお手伝いしていきたいと思っています。

今後も自分の信念を持って、
体や運動のスペシャリストとして皆様の健康をサポートしていきたいと考えています。

2014.09.30

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