アフリカ布を通じて、現地の生き方を伝えたい。 生命をつなぐこと自体が喜びなんです。

アフリカの布を使った手作りの服や雑貨を販売している小林さん。服を売ることが目的ではなく、服を通じてアフリカの文化や生き方を日本の人たちにも知ってほしいと語る背景には、どんなものがあったのか。小林さんがアフリカで暮らして感じたことを伺いました。

小林 純子

こばやし じゅんこ|アフリカ布を使った服・雑貨の販売
アフリカの布を使った手作りの服や雑貨を販売する。
Mama Africa

真夏のメリークリスマス


私は神奈川県の逗子で生まれ育ちました。
母親が英会話教室の先生をやっていたこともあり、英語や海外というものが身近にありました。

小学生の頃、12月にニュージーランドに行ったのですが、これが衝撃で将来は留学することに決めたんです。
真夏のクリスマスで、タンクトップにローラースケートのお姉さんが「メリークリスマス!」と話しかけてきて、
こんなの絶対に日本じゃ経験できないと強く憧れたんですよね。

そして高校2年生の頃カナダに留学しました。
ただ、英語があまり得意でなかったので授業も理解できず、いつも終わった後に今日は宿題はあるのかと先生に聞いていましたね。
英語ができないし、アジア人ということもあり、違う人種の自分に引け目を感じることもありました。

カナダは1年で帰国して、大学4年生の時に今度はアメリカに留学に行くことにしました。
アメリカの大学では、日本とは違い一般教養の中にアート系の授業がたくさんあったので、
そっちに興味が湧いてきましたね。
小さい頃から図工の授業が好きだったんですが、
アーティストとかミュージシャンになる人は別世界の住人だと思っていて、まさか自分がなれるなんて思っていなかったのですが、
アメリカは日本よりもアートが身近で、今からでもこういう道に進むのもありだと感じました。

そして日本に帰国後、数年後にはまたアメリカでアートを学ぼうと思い、
とりあえずお金を貯める必要もあったので、英語を使い続けられそうな旅行関係の会社に就職することにしました。

アフリカとの出会い


その会社はアフリカと中東を専門に扱っていたので、仕事で南アフリカに行く機会がありました。
正直、それまでアフリカに興味なんてなかったのですが、アフリカは私にとって居心地が良い場所だと気づいたんです。

アフリカは人付き合いがフラットなんですよね。
カナダでもアメリカでも、アジア人ということで若干引け目を感じたことがあったのですが、
アフリカではそれを感じなかったのです。

アフリカは様々な人種の人や混血の人がいて、
アパルトヘイトの名残か、人種に対してはそれぞれが「違う人」という認識は強いのですが、
違うことが前提で人と付き合っているという点で、関係性が分かりやすく、
不平等であることも実は当たり前のように感じられたことが逆に気楽でした。

その居心地の良さからどんどん興味を持ち、このアフリカに関わる仕事を続けたいと思ったのですが、
旅行ツアーを企画して代理店に営業する仕事を一生やりたいわけではないと感じていて、
その会社自体は2年半ほどで辞めることにしました。

とはいえ、何をすれば良いか分からず、10ヶ月間考えるためにニートをしていました。
その間、仕事で見た以外のアフリカの一面を知りたいと、南や東アフリカを回ったりもしましたが、
自分のスキルではできることも少なかったし、
どんな形でアフリカと関わりたいのか明確には見えてこなかったんです。

そんな時、たまたま南アフリカの旅行会社が日本人スタッフを募集していたので、
現地で働けるチャンスだと考え、その会社で働くことにしました。

生命をつなぐ喜び


その南アフリカの会社では日本人旅行者向けのツアーを企画していたのですが、
やはり仕事に違和感を持ってしまったんです。

企画された旅行では、綺麗に繕われた観光客向けの一面しか見ることができないんですよね。
旅の本当の価値はそういう一面を見ることではないと感じていて、
色々な場所に行き、自分の目と感覚でその地を確かめ、
少し嫌なことがあっても、それも含めて実際に体験することが大事なんじゃないかと思っていたのです。

そのため、2年間働いた後、会社を辞めることにしました。
特に次に何をするかを決めていたわけではないのですが、ずっとアフリカの南にいたので、
ガーナやマリやコートジボワールなど西アフリカの国々を回ることにしました。

この西アフリカの国々は、また南アフリカとは全く違い、多くのことが学べました。
どの家庭も先祖代々受け継ぐ家業を仕事としていて祖先のスピリットを持ち続けているので、
今の自分が生きていること、今までの生命をつないでくれたことに、あたりまえに感謝をしていて。
だから、子どもを育てるということ自体が喜びであり、
日本のように「生まれたら生活が苦しくなるかも」なんて考えないんですよね。
しかも子どもが生まれても、ママたちは自分の楽しみは持ち続けていて、
子どもを産むことは、何かを犠牲にすることじゃないんだと実感できました。

また、子どもを育てるのは女性の役割でお金を稼ぐのは男性の役割と明確に住み分けられていたり、
食事の時も肉を捌くのは男性で調理は女性がするなど、それぞれの身体的な特徴にあった分担がされていて、平等とは何かも考えさせられました。

さらに、アフリカでは服を作る時みんなテーラーメイドで、
まずは好きな布を選んで、それを仕立屋に持っていき自分の体に合う服を作るのですが、
この文化にはまってしまいました。
個性的な派手な布ばかりなんですが、とにかく気に入った布があれば買い漁ってましたね。

そんな生活を半年ほど続け、ワールドカップ観戦に南アフリカに戻った後、2010年に日本に帰国しました。

アフリカンベイビー


そして日本に帰ってきた時に、アフリカンベイビーを妊娠していることが分かりました。
この時、アフリカでの生命の考え方に触れていたこともあり、
素直に自分が生命をつなぐ役割としての使命を全うするために、産もうと思えたんです。

そして妊娠していると仕事に就くことも難しかったので、アフリカで買いためた布で服を作ることにしたんです。
少し前から自分の服は作っていたのですが、仕事になるかわからないものの販売してみようと思い、
2011年4月頃からイベントなどで販売を始めました。

最初はこんな派手な柄の服に興味を持ってくれる人がいるのか不安でしたが、
意外に色々な人が店の前で立ち止まってくれたり、話しかけてくれたりする人がいて、
中には買ってもらえる人もいたので、少しずつ自信もついてきました。

そうして少しずつお客さんからのニーズも分かってきて、
せっかくアフリカに関わるなら何か現地のママたちの支援もできればと思い、
最近ではケニアのシングルマザーの職人が作ってくれた服を販売することも始めました。
私一人ではたくさんの商品を作れないので助かるし、
アフリカでは女性の働き口は少ないので、作ってもらったものを日本で販売すれば経済的な支援にも繋がりますからね。

今後はそうやって現地のママと繋がって、日本に商品を送る仕組みを整えていきたいと考えています。

アフリカ布を通じて伝えたい


ただ、今後も手作りのアフリカの服や雑貨を日本で販売していきたいと思っていますが、
服を売ることが目的ではないんですよね。
私は服を通じて、アフリカの考え方や文化を、日本の人にも知ってもらいたいんです。

アフリカから日本に帰ってきた時に、みんなの顔が暗いことに衝撃を受けたんです。
日本の人たちは、なんとなく自分の中で大切なものへの優先順位を見失って、
目の前の仕事が中心になっちゃっているような感じがして。
日本は豊かな国だし、何でも揃っているし、何にでもなれる可能性があるのに、
逆に自分がやりたいことを見失っているんじゃないかと思ったんです。

アフリカってインフラも整っていないので、不便なことがたくさんあるんですよね。
でもだからこそ生きていくためにみんなで協力するからコミュニケーションも生まれるし、
工夫するので智慧を振り絞って生きているし、火をおこしたり水を汲みに行くことで身体的にも鍛えられていくんですよ。
その結果、便利じゃなくても生きていることが、心身ともに健康で幸せを感じられる人が多いと思うんです。

そういったアフリカの生き方があること、生命をつないでいるという幸せがあることを、
日本の人たちにも伝えていけたらと思っています。
アフリカの暮らしや生き方が正しいかどうかは分かりませんが、
そういう生き方があることを知った上で、自らの人生を選択できる人が増えたら、
もっと日本の人たちの顔も明るくなるんじゃないかと思っています。

これからもアフリカの布を軸に、自分が惹かれた考え方や生き方を表現していきます。

2014.09.29

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