人や街の魅力を見える化して伝えていきたい。やっと見つかった自分らしい幸せな人生。

ビジュアライズプロモーターとして、人や企業の魅力を引き出し、整理した上で名刺やポスター動画の制作物作成まで一括で支援しているカワモトさん。昔は自分にばかり目が向いていてうまくいかなかったと語りますが、どのような苦悩を経て他人に目が向くようになったのか。お話を伺いました。

カワモト マサヨシ

かわもと まさよし|ビジュアライズプロモーター
ビジュアライズプロモーターとして、魅力を整理・可視化して伝えるための支援を行う。
また「一縁祭」実行委員長として、地元である広島県廿日市市を盛り上げることも画策する。

ファミリアクリエイト
一縁祭

東京に行きたい


私は広島県の廿日市(はつかいち)市で生まれ育ちました。小さな頃からスポーツが好きで、ずっとテニスをやっていたのですが、性格はおとなしい方でした。人見知りで、あまり大勢の場所で自分が前に出るタイプではなかったですね。

高校生の頃、それまでは地元の中だけで全ての生活が完結していたのですが、地元から出て東京に行きたいと思い、東京の大学を目指すようになりました。地元が嫌いというわけではなかったのですが、将来の選択肢があまりなく、地元の有名企業に行くことが幸せな生活という、ある意味見えてしまっている道から抜け出したかったんです。

将来は東京の大学を卒業して、地元に住んでいたら入れないような有名企業でバリバリ働いて、豊かな生活を送るのが自分にとっての幸せなんじゃないかと考えていましたね。

そのため、特に将来やりたいことがあったわけでも、強く勉強したいことがあったわけでもないのですが、高校卒業後は実際に東京の大学に進学することにしました。東京に行けば何かが起きると思っていたんです。

研究者から就職へ


ところが、大学に入ってからは研究が楽しく、どんどんのめり込んでいきました。私は理科系の学部に所属していて、科学が好きでその中でもウイルスの研究をしていました。生物の進化の過程を語る上で、生物の元となるDNAやウイルスは欠かせない要素なんです。免疫とウイルスがせめぎ合って、お互い少しずつ変化しながら生物全体も進化していく過程を知るのが面白く、そこからさらに将来はどのように進化していくのか研究するのにロマンがあったんですよね。

将来はこの研究を本格的にやりたいと思い、東京大学の大学院に進学し、研究者の道を歩み始めました。大学院では博士号をとり将来は研究者として生きたいと思って研究室にこもっていたのですが、学会の雰囲気などを知り、実際に研究漬けの生活を送ってみると、次第に一生研究を続けるのは自分の歩みたい道ではないと思うようになっていったんです。

そこで将来は研究者ではなく就職しようと思い、昔から考えていたとおり、バリバリ働ける大企業を中心に就職活動を行いました。この時広告業界にも興味があったものの内定をもらえず、大手電機メーカーに就職することにしました。

自分らしい人生


会社に入ってからはいわゆる激務で、朝早くから夜遅くまで働き、土日も出勤する日があるような状況でした。仕事の内容や職場の人間関係には全く不満はなかったのですが、今と同じルーティンを何十年も続けることは想像できず、1年目には将来独立することを考えるようになりました。

ただ、周りの独立している人は何かしら強みを持っていたのですが、自分にはそんな強みも、特別に実現したい夢もありませんでした。そこで、まずはスキルをつける必要があると考え、社会人2年目からコーチングを勉強し始めるようになったんです。

また、様々な勉強会やイベントに足を運ぶようになり、色々な人が「自分らしい人生」を送っている姿を見て、自分もこちらの生き方の方が合っていると確信に変わるようになりました。

そして3年ほど会社で働いたタイミングで独立を決意しました。不安はあったのですが、私が師匠として慕っている方に、「絶対お前ならできる」と背中を押してもらうことができ、自信をもって踏み出すことができました。

独立後、初めはコーチングのスキルと写真を組み合わせたサービスを始めました。コーチングの技術を使ってお客様の将来のやりたいことや目標を引き出し、そのイメージを写真として撮影していくサービスでした。

正直、写真なんてしっかりと学んだことはなかったのですが、「できる」と背中を押してもらえたことで吹っ切れましたね。

人の魅力を可視化する


その後もコーチングを軸に、スクール事業など含め色々なサービスを展開したのですが、大体いつも最初は物珍しさから人が集まるのですが、すぐに飽きられてしまうんです。

どんどんお金はなくなっていくので、不安だったし恐怖を感じていましたね。やる気が起きなくて一日中引きこもっていた日もありました。しかし、辞めてしまったら積み重ねてきたものが全てなくなってしまうので、諦めるわけにはいかなかったんです。

そこで、なぜうまくいかないのかを考えていくうちに、なんでも「自分」にフォーカスし過ぎなのではないかと気づきました。コーチングを軸にビジネスをしていくために、講師として前に立ったり、ブログを書いたり、自分自身をコンテンツにしていたのですが、よく考えると自分はそういった前に立つ人が持つべき「スター性」に溢れるタイプではなかったんですよね。

自分は前に立つよりも、研究をしていた背景もあり、情報を整理して周りの人にも分かりやすく伝えるほうが得意で、お客さんから求められているのもそっちだったと思ったんです。

それに気づいてからは、「ビジュアライズプロモーター」として、人の魅力を最大限に引き出して、広報していく仕事に注力するようになりました。良いものを持っている人やスター性を持っている人はたくさんいるのですが、その人たちが、それをうまく一般の方に伝えるのが得意かというと、必ずしもそうでもないんです。だから、私が話を聞き、魅力や伝えるべきポイントを整理して、どの手段でどうやってその魅力を伝えていくかを支援しています。

また、単純に魅力を言語化するだけではなく、写真や映像にまですることもできるので、名刺やポスター、動画などの制作物にまで落としこむ支援までできるのが強みとなりました。

地元をプロモートする


さらに今後は、自分が生まれ育った地元、広島の廿日市を色々な人に知ってもらい、盛り上げていけるような活動をしたいと考えています。

事業が不調の時に、やらなければいけないことに追われていて、改めて「やりたいこと」は何かを考えた時、「祭り」というキーワードが浮かんできたんです。今まで色々な場所で祭りを見てきて、そのエネルギーや活気に惹かれることが多かったんですよね。そして自分でも企画してみたいと思い、色々な人に相談するうちに、それなら地元でやったら面白いのではという話になったんです。

それから、地元廿日市で祭りを開催するため頻繁に帰るようになったのですが、今まで以上に、地元に良い場所がたくさんあることに気づいたんです。

そして2014年9月に「一縁祭」という祭りの第1回を開催しましたが、今後も地元を盛り上げるために、祭りだけでなく、様々なことを仕掛けていきたいです。特に、山の中にとても環境の良い研修施設があるので、そこでコーチング等の研修をすることで、東京から人を移動させて地域の良さを知ってもらいたいと思います。

地元や田舎に飢えている人って、東京などの都会にいる人たちだと思うので、私は東京にいながら地元を盛り上げるということに意味があると思っています。

やっと見つかった自分自身が人の役に立てる力である「情報を人に分かりやすく伝える」ことと、やっと見つかったやりたいことである「地元の支援」。これを両軸に、今後も地元や色々な人の魅力を伝えられるように支援をしていくことが、私にとっての自分らしい幸せな人生なんだと思います。

2014.09.26

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