自分を育ててくれたIT業界に恩返しを。次の世代のペースメーカーとして伝える思い。
「自分を育ててくれたIT業界に恩返しをしたい」と話す、スタートアップのCTO(最高技術責任者)の真砂さん。航空機の整備士だった真砂さんがどんな経緯でIT業界に転職し、この先に何を思うのか、お話を伺いました。
真砂 一穂
まさご かずひろ|ネイティブアド系スタートアップのCTO
企業のオウンドメディアの企画・運営の代行、オウンドメディアのポータルサイト、
記事のアドネットワーク等のサービスを運営するサムライト株式会社のCTOを務める。
サムライト
機械いじりが好きな少年時代
小さい頃から機械いじりが好きな子どもでした。
最初はNHKのドラマの影響でコンピューターに興味をもち、
一生懸命貯めたお金で廉価版の発売と同時に購入して以来、
みんながファミコンで遊ぶ中、私はずっとプログラミングをしていました。
何かを作り出している感覚を手軽に感じることができ、
画像を動かしているだけでも楽しかったですね。
その他にも、団地に捨ててある自転車を拾ってきて、バラバラにして組み立て直してみたり、
車をいじったりすることが好きだったため、
高校を卒業してからは、専門技能が学べる地元北海道の短大に進学することに決めました。
最初は、車の整備に関心をもって学校に入ったのですが、
実際に入学してからは、ロボットの制御等を行う運動解析の研究をするようになり、
教授の影響もあり、ものづくりの設計に関心を持つようになっていきましたね。
本当に忙しい学校だったこともあり、勉強に追われる毎日でした。
その後、就職活動では飛行機を作るエンジニアに憧れ、
旅客機の設計に携わる会社に就職することになりました。
ところが、ちょうどそのタイミングでアメリカの不景気が重なってしまい、
事業にも影響が出て、当初の配属とは異なり、
飛行機の整備を行う部署に入ることになったんです。
そこでは小型機の整備士として働くことになったのですが、
専門性が高い業務で、周りもそういった勉強をしてきている人が多く、
仕事に慣れるまではすごく苦労しました。
それでも、なんとか整備士の試験にも合格し、
実際に現場に立つようになってからは、大変ながらやりがいを感じるようになっていきました。
重責への不安と、IT業界への転職
ところが、ある時から、自分の仕事の重さを強く感じるようになったんです。
改めて命を預かっている仕事だということを考えると、ボルトナットを一つ締めるのにも責任が重大で、
なんだか、ずっと続けていくことに、負担を感じるようになってしまったんですよね。
仕事をしている時にドキッとする瞬間があり、
それまで普通にやっていたことがちょっと怖くなり、
いつしか、そんな重責から、機械をいじることが怖いと思うようになってしまいました。
そんな風に感じるようになってからは、
自分のダメさを感じましたし、挫折感がありましたね。
また、ちょうど親の体調が良くなかったことも有り、
実家に戻り、一度整備の仕事は離れ、友人の紹介で未経験でも大丈夫だったSIerに転職することにしたんです。
コンピューターが好きだったこともあり、27歳にしてIT業界で働くことになりました。
転職後は受託開発の業務に携わっていたのですが、
2年目でリーダーを任せてもらい、地上波デジタルへの移行の非常に大きなプロジェクトに抜擢してもらったんです。
そのプロジェクトが始まってからは仕事の忙しさもどんどん増していき、
2日に1回くらいしか寝ないような生活でした。
最終的には、無事プロジェクトを終え、社内では表彰もされて、やりきった感覚があったのですが、
体調が悪く、燃え尽きてしまった感もありましたね。
それからは、出張が多い働き方に疲れてしまったこともあり、
パッケージシステムを販売する会社に転職し、東京で住むようになりました。
次の世代への思い
その会社では何か困った時に呼ばれるお助け部隊のようなチームにいたのですが、
メンバーが非常に優秀で、チームの力を強く感じましたね。
チームビルディングを考えて働いた、初めての経験となりました。
その後、知人の紹介で別の会社に移りSEとして働くことになったのですが、
段々と、私が身を置いていたSIerの領域の業務がなくなっていき、
仕組み自体がなくなるんじゃないかという危機感を抱くようになったんです。
そうなると、自分のスキルセットでは、技術者として面白いことができなくなってしまうんですよね。
「これはまずいな」
と感じ、もう一度プログラミングを勉強し直すため、
会社を辞め、フリーランスとして様々な仕事に携わるようになりました。
その後、縁があってスタートアップ企業で働くことになったのですが、
SIerとの違いに驚かされました。
自社でものを作る方が面白く感じましたし、スタートアップの技術者は何でもできなければいけないので、
自分自身、力が戻ってきたなという感覚も持てるようになったんです。
そんな時、サムライト株式会社を創業した柴田と出会いました。
そこで、「広告」のあり方を変える事業のビジョン、仕掛けを聞いたんですが、
すごいなという驚きがあったんですよね。
「夢を語ってなんぼ」になりがちなスタートアップの中で、
大きなことを淡々と語ることに衝撃を受けたんです。
この人なら、さらっとやってしまうかもしれないと感じました。
ただ、チームには技術者がいないとのことだったので、
夜だけ手伝いにいくようになったんです。
そうやって働くようになったある日、サムライトに若いエンジニアが入社することになりました。
彼は才覚に溢れた人材で、気づけば、自分の経験や知識を伝えたいと感じている自分がいたんです。
元々、自らが培ってきたものを次の世代に伝えたいという思いがあったんですよね。
自分が苦労をしてきた分、下の世代には余計な苦労をさせたくないなと。
プログラマーという仕事は、できるまでやり続けてしまう分、
自分のようにモチーベーションの維持ができずに燃え尽き症候群になってしまうこともあると思うんです。
だから、そんな時に、ペースメーカーになってあげられたらという思いがありました。
そんな背景もあり、思い切って、サムライトに転職することを決めたんです。
IT業界への恩返し
現在はサムライトにて、ネイティブアドの事業を支える仕組みづくりにCTO(最高技術責任者)として携わりつつ、
自らがエンジニアとして培ってきたノウハウを伝えることに注力しています。
現在取り組んでいる事業は、スタートアップには珍しいような大きな仕組みを作りにいっており、
やりがいも大きく、本当に楽しく仕事をできていますね。
また、これからのキャリアは自分を育ててくれたIT業界に寄与していきたいという気持ちがあります。
正直、自分自身がプログラマーとして飛び抜けることは難しいと思うのですが、
自らチームを作って運営していく中で、伝えられることはあると思うんです。
今の世代は、コンピューターへの親和性が高く、優秀な人が多いからこそ、
エンジニアの基礎教育の手助けに携わることができればと思っています。
あとは、自分でコードを書くことは続けていきたいですね。
これからも、自ら現場で勉強しながら、エンジニアとして生きていきたいです。
2014.09.23