結局は自分との戦いなんです。音楽で挑戦し続けて見つけた、私の生き方。

大型テーマパークのショーでプロの打楽器奏者として10年以上活動しながら、打楽器奏者のための貸しスタジオも運営されている守屋さん。音大のピアノ科を目指していた幼少期から、打楽器奏者を目指すまでの背景、そしてこれから挑戦してみたい新たなことについて、お話を伺いました。

守屋 美宣

もりや みのぶ|プロ打楽器奏者・貸し音楽スタジオ運営
プロの打楽器奏として、マリンバを中心に大型テーマパークのショーやスクールコンサートで演奏を行う傍ら、
打楽器奏者のための貸しスタジオ『МINOBU STUDIO』の運営を行っている。

マリンバ&パーカッション貸スタジオ、守屋みのぶの紹介

音楽の道を諦める


幼い頃から、音楽にどっぷりハマっていました。

私の家の近くには国立音楽大学があり、いつも音楽が聞こえてくるような中で育ったんです。

そんな環境が影響したこともあり、家族では誰も音楽をやっていなかったのですが、
友達が習っていたピアノに興味を持ち、小学校1年生の時からピアノを習い始めました。

また、通っていた小学校では6年生の時に運動会などで鼓笛隊の活動があり、
そこで10数人だけが担当できるトランペットにずっと憧れていて
6年生になった際には真っ先にオーディションを受け、運よく合格することができ、
鼓笛隊でトランペットを吹くこともしていましたね。

そこで音楽の楽しさを感じ、中学校では吹奏楽部に所属して打楽器を担当しながら、
引き続きピアノにのめり込んでいました。

次第にピアノに対する思いが強くなり、
将来は国立音楽大学のピアノ科に行きたい、と考えるようになっていったのですが、
学校の先生との進路相談の際に、

「ピアノ科なんて行っても現実的に仕事ないぞ。」

と言われてしまったんです。

最初は少しショックだったのですが、冷静に考えてみると納得がいく部分もあり、

ピアノ科を目指すという、音楽の道を諦めることにしました。

その後、改めて将来について考え、普通の高校・大学に進学しようと思ったのですが
私の両親はサラリーマンだったため、浪人して負担はかけられないと思い、
大学の受験競争が激しく、浪人が当たり前の都立高校ではなく、
私立の大学の附属高校に行こうと考え、日本大学鶴ヶ丘高等学校に進みました。

打楽器で上を目指す、という選択肢


高校に入学してからも、引き続き吹奏楽部にに入部し、
打楽器を担当することになりました。

実際に入部してみると、その部活は元々が応援団だった名残で、
非常に体育会系な風潮が強かったため、
上下関係が非常に厳しく、理不尽な規則が沢山あったんです。

ある程度、規則には従っていましたが、私の学年はすごく負けず嫌いな性格の人が多く、
理不尽な規則に納得がいかない部分もあり、年齢ではなく実力で勝負しようと思い、
必死に練習していましたね。

また、いわゆる「吹奏楽コンクール」というものには参加していませんでしたが、
派手なマーチングが特徴的で、町のパレードなどの様々なイベントに参加する機会が多く、
より実践的な経験を積むことができました。

卒業後の進路について、家庭の経済状況的に、
高校・大学どちらも私立に通うことは難しかったため、
両親とは、卒業後は短大に進学する、という約束をしていました。

ところがある時、部活の指導をしていた日大芸術学部の先生に

「打楽器で日大の芸術学部に進んでみたらどうだ?」

と言われたんです。

それまで、打楽器で上を目指すことなど考えたこともなかったのですが、
その言葉がキッカケとなり、打楽器で日大の芸術学部に進学したいと思うようになりました。

しかし、両親とは短大に進学する約束をしていたため、「話が違う!」と猛反対されたのですが、
必死にお願いし続けたところ、2年分の学費は貸し、ということで納得してもらい、
日大芸術学部音楽学科打楽器専攻に進学しました。

プロ打楽器奏者を夢見る


芸術学部の試験の際、私は高校で担当していた小太鼓で受験をして入学をしたのですが、
実際に入学してみると通常の音大に比べて人数少なかったため、

「女の子はマリンバ(=大きな木琴の様な楽器)をやって」

と言われ、突然マリンバをやることになりました。

最初の頃は、仕方ないな、という感覚でやっていましたが、
やっていくうちにマリンバの面白さを実感していき、気づいたときにはのめり込んでいましたね。

大学では、通常の授業が終わった後に音楽や楽器のレッスンがあり、
毎日朝9時から夜9時まで、ずっと大学の中で過ごしていました。

また、大学にはマリンバ専門の指導者がおらず、大学のレッスンだけでは追いつかなかったため、
外でプロオーケストラ団体のプレイヤーの方から、レッスンを受けなければいけませんでした。

もう、遊ぶ時間なんて全くないほど毎日が大変でしたが、
そんな音楽漬けの生活を送っているうちに、いずれは打楽器奏者として生きていきたい、
という気持ちが強くなっていきましたね。

また、卒業後は音楽教師として、吹奏楽部の指導ができたらいいな、と考え、
学校で教職課程の授業も取っていたのですが、
公務員の試験に合格することができませんでした。

その後、卒業後の進路について、どうしていくべきか迷っていたのですが、
大学4年生の時にバイトをしていた、とある楽器輸入会社から、
正社員に誘っていただいたんです。

すぐに、打楽器奏者として食べていくには不安がありましたし、
両親に2年間分の授業料を返さなければならなかったため、
その誘いを受けて、就職をすることにしました。

ちょうど就職氷河期が始まりだした頃だったので、
就職できたことはとてもラッキーでしたね。

テーマパークでの再スタート


就職後は、楽器輸入会社で営業・卸しなど幅広い仕事をしつつ、
いずれは打楽器奏者として生きていきたい、と思っていたので、
公演先で楽器の販促をやることを条件に、お休みを少し多目にもらい、
演奏者としての活動も並行して行っていました。

ちょうど私が就職した頃に、円高がすごく進んでおり、
どの企業も売り上げが立たず大変な状況だったのですが、
輸入業はもの凄く景気が良く、とても忙しかったですね。

仕事の中で扱っていた楽器はプロ仕様のものだったので、
実際にプロの演奏家の方とお会いする機会も多く、
少しずつプレイヤーとしての仕事が増えていったため、就職して2年で楽器輸入会社を退職し、
本格的な打楽器奏者として活動していくことにしたんです。

その後は、楽器を車に積んで全国を回りながら、
企業イベントや学校の芸術鑑賞教室などで演奏をしていました。

時には島根まで車で行くこともあり、運転は大変だったものの、
マリンバなどは普段見る機会が少ないこともあり、多くの人に感動してもらえて、
とてもやりがいを感じていましたね。

ところが、段々と不景気の影響を受けて、段々と企業イベントや芸術鑑賞教室が開かれなくなり、
打楽器奏者としての仕事が減っていってしまいました。

今後どうやって打楽器奏者として活動していこうか、と悩む中、
ある時に知人の方から、とある大型テーマパークのショーの演奏者のオーディションがある、
ということを教えて頂きました。

そのお話を聞き、普段は見られないテーマパークの裏側を見てみたい、
という軽い気持ちで参加したのですが、なんとそのオーディションに受かってしまったんです。

正直、受かるとは思っていなかったので断ろうかとも思ったのですが、
せっかくの機会なので、実際にテーマパークのショーのマリンバ奏者として本格的に活動を始めることにしました。

自分と向き合い、挑戦を続ける


現在は、数は減ってしまったものの、スクールコンサートや企業イベントでの演奏なども行いつつ、
テーマパークでの演奏を中心に打楽器奏者としての活動を続けています。

実際にテーマパークで演奏者としての活動を始めてみると、
通常の舞台とは違い、衣装や髪型・演出・笑顔など、細部にまで気を使い、
演奏だけでなく全てを用いて「舞台という場を作る」という、エンターテイメントの重要性を学びましたね。

加えて、2006年に実家を建て替えることになったタイミングで、
家の一室を利用して、マリンバなどの打楽器奏者の為の『МINOBU STUDIO』という、
貸しスタジオのを始めており、現在はその運営も並行して行っています。

楽器輸入会社に勤めていた頃、会社で貸しスタジオの事業もやっていたため、運営のノウハウがありましたし、
マリンバなどの打楽器奏者向けのスタジオは、料金が高い場所が多く、
気軽に練習できる場所が少ないと感じていました。

なので、持家で持っていた楽器を利用して、格安料金のスタジオを開くことで、
少しでも気軽に打楽器の練習ができる場を作りたかったんです。

打楽器奏者も貸しスタジオ運営も、非常にやりがいを感じながら取り組んでいますが、
実は、私が出演しているショーが終わってしまう関係で、
来年の3月で14年間続けているテーマパークでの活動を卒業することになっているんです。

なので、今後はスタジオを使って音楽教室を開いて、
打楽器の指導にも挑戦していきたいと思っています。

その他にも、ベリーダンスのプロとしの活動もしつつ、
あることがキッカケで不動産に興味を持ち、いずれ不動産業をやってみたいと思っているので、
最近は、宅建の勉強もしています。

私はあくまで「フリーランス」であるため、何か一つのことだけを追求し、
それが潰れてしまう、ということが一番のリスクだと思うんです。

また、ある時コーヒーの飲みすぎでカフェイン中毒になってしまい、
それが原因で持病としてパニック障害を持っています。

今はだいぶ落ち着いてはいるのですが、この病気とは一生付き合っていかなければなりません。

ふとした瞬間にパニックになりそうになってしまうこともありますが、
病気から、そして自分の人生から逃げずに生きていくためにも、
興味を持ったことには挑戦し、それぞれをしっかり追及してきたいんです。

もともと私自身、様々なことに興味を持ち、それを極めてしまうタイプなので、
沢山のことを追及しすぎて、時々自分が何をやりたいのか、
わからなくなってしまうこともありますが、(笑)
これからも「挑戦を続ける」ということを忘れずに、精一杯生きていきたいですね。

2014.09.21

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