「面白半分」で映像に取り組むということ。社会との関わり方を意識し、見つけた僕の軸。

映像作家として、様々な映像メディアで映像作品の制作に関わっている東海林さん。「メディアが異なれば方法論は違うものの、どの仕事でも大切にしている一つの軸がある」と話す一方で、かつてはネットの世界に現実逃避をしていたこともあったそうです。そんな過去から現在に至るまでには、一体どのようなキッカケがあったのでしょうか。

東海林 毅

しょうじ つよし|映像作家
映像作家として映画やCМ、企業VP、テレビ番組など「映像メディア」に幅広く関わりながら、
様々な作品のディレクターとして活動している。

七分咲き映画監督ブログ

漠然と映画監督を夢見る


幼いころは石川県の金沢市で育ち、とにかく絵を描くことが好きでした。

僕の親は、色々と習い事をさせたがる親で、沢山習い事に通っていたのですが、
中でも特に絵画教室は楽しくて、積極的に通っていましたね。

自分の指先で、キャンパスに新しい世界を作ることができる感覚が、刺激的だったんです。

また、SF映画やアニメを見ることも好きで、色々な映画をよく見ていました。

ところが、中学校3年生の時に起きた「宮崎勤事件」という凶悪な事件がキッカケで、
世の中では「オタク=悪」という風潮が一気に強まり、
高校生になってからは誰にも「絵を描くことが好きだ」ということは教えず、
学校生活を送っていました。

「エロ本はバレてもいいけど、絵が好きなことはバレたくない!」と思うくらい、
必死に隠していましたね。(笑)

一方で相変わらず映画は好きでよく見ていて、
高校3年生の頃に、地元の大学の映画研究会が開いた上映会で
『デリカテッセン』という映画を見て、

「世の中には、まだまだ自分が知らない、マイナーだけど素敵な映画が沢山あるんだ」

という、映画の奥深さに気付き、漠然と「映画監督になりたい!」と思うようになりました。

とはいえ、具体的にどうすれば映画監督になれるのかわからなかったので、
適当に大学に進学して、なんとなく生きていければいいと考えていました。

そんな折、たまたま開いた学校案内の本で「日本大学芸術学部映画学科」という、
映画の勉強ができる学部の存在を知ったんです。

「そんな大学なら行ってみたい」と思い、受験したものの、準備不足であっさりと落ちてしまい、
1年の浪人生活の後、映画関係の勉強ができる大学をいくつか受験し、
最終的に武蔵野美術大学の映像学科に進学することにしました。

次のステップに進みたい


大学に入るまでは、しっかりと映画の勉強ができると思っていましたが、
実際は写真やCG、テレビの授業など「美術としての映像」という観点の授業が多く、
思っていたほど直接映画に関わる授業はありませんでした。

少し期待していた環境とは違いましたが、大学の中には映画好きの人は沢山いたので、
やりたい人同士で仲間を募って、自主映画を撮るようになっていきました。

それまでただ見ていただけの映画を実際に撮ってみると、思っていたよりも難しく、
力不足を感じてヘコむこともありましたが、やればやるほどの面白く、
1年生の後半には小さな賞を頂き、どんどんのめり込んでいきましたね。

その後も、色々な自主映画を撮っていくうちに、
少しずつ予算をもらって作品制作を行う、仕事みたいなものを頂けるようになり、
大学の外の世界に出たい、という気持ちが強くなっていました。

また、大学には行っていたもののほとんど授業に出ておらず、
卒業するためには単位が全く足りなかったこともあり、
「このまま大学にいてもしょうがない。次のステップへ進もう」
と思い、4年生の時に大学を中退することにしたんです。

元々、両親の職業が大学教授とピアノ教師で、
普通に就職してサラリーマンになることに違和感を持っていたため、
その後はフリーの映像ディレクターとして活動することにしました。

とはいえ、当然いきなり仕事が舞い込んでくるわけもなかったので、
仕方なく土日のみコンビニでバイトをして、そこで最低限の生活費を稼いでいましたね。

そんな中、知り合いから動画作品の作成をお願いされたことがキッカケで、
親にお金を借りてパソコンを買い、動画編集や映像制作を始めることにしました。

また、元々クラブが好きでよく通っていたことも相まって、
友人と一緒にVJ(ビデオジョッキー)として活動するようにもなり、
動画編集とCG合成のスキルを独学で高めていきました。

ネットゲームの世界へ現実逃避


しかし一方で、先輩や知り合いの映画の助監督の方がとても苦労している現実を見るうちに、
実際はなかなかやりたい映画を撮れている人が少ないと感じ、
次第に日本の映画業界や映画産業に希望を見出せなくなっていきました。

その後はコンビニのバイトと、時々知人から頂ける動画編集の仕事で収入を得つつ、
VJとしての活動に本格的に力を入れていきました。

撮影と編集を繰り返して少しずつ作り上げる映画とは違い、
VJのその場の音楽に併せて映像で表現をする、というライブ的な様子が、
凄く面白かったんですよね。

3~4年ほどそんな生活が続いたのですが、ある時に同年代のTVディレクターが、
VJとしてのパフォーマンスや僕の作風に興味を持ってくれて、
彼が担当するCS番組の共同ディレクターに誘っていただいたんです。

僕は「ノンリニア編集」という方法で動画編集を行っていたのですが、
ノンリニア編集は当時まだ新しいもので、かつやや不安定であったこともあり、実戦で使用できるプロの人がほとんどいなかったんです。

また、僕が仕事を請け負う際の単価が、他の人と比べて圧倒的に安かったこともあり、
一気に映像ディレクターとしての仕事が増えていきました。

ようやく社会に認められた気がして、うまくいっている感覚もありましたが、一方で、

「これって本当に自分がやりたいことだったっけ?」

と、少しずつモヤモヤするようになっていきました。

やっぱり、元々は映画監督になりたくて上京をしてきていて、
心のどこかで「本当は映画監督をやりたい」と思っていたので、
理想と現実とのギャップに違和感を覚えてしまったんですよね。

とはいっても、そこで新しい一歩を踏み出すエネルギーや勇気は持てず、
ちょうどインターネットを覚えたてだったこともあり、
現実逃避してネットゲームにどっぷりハマるようになっていきました。

ゲームの中で、静岡の19歳の女の子と結婚して、自分の中では最早バラ色の生活だったんですよね。
周りは心配してくれていたようですが。(笑)

次第に仕事の量も極限まで減らすようになり、
20代の後半にも関らず、年収が150万円くらいまで落ち込んだのですが、
それでも貯金が増えていくほどに、家からほとんど出ず、
ネットゲームしかしない廃れた生活を送っていましたね。

社会と関わるということ


しばらくそんなメチャクチャな生活を続けていたのですが、
1年半ほどたったある時、細々と続けていた仕事の取引先である制作会社の方に、

「直前で監督が決まらなかったVシネマがあるんだけど、お前やってみるか?」

と声をかけて頂いたんです。

正直、どこまでやれるかわからなかったですし、不安も沢山ありましたが、
いい加減この堕落したネトゲ生活から抜け出さないといけない、と思っていたので、
お話を受けることにしました。

しかし、いざ映画を撮り始めてみると、かつて自分が撮っていた自主映画とは全く違い、
職業意識を高く持った方が集まって作品に取り組んでいるので、
現場の雰囲気から、プレッシャーまで何もかもが違いました。

僕自身も初めての経験のため、自分のことで精一杯で、
役者の方の演出なんて一度もできなかった気がします。

そんな、右も左のわからない状態の中で「何とか撮り終えた」という感覚だったのですが、
クライアントのプロデューサーの方には

「技術的にはまだまだだけど、この作品には華がある」

と褒めて頂くことができ、とてもホッとしましたね。

ようやくネトゲ生活からも抜け出し、商業映画の監督としてデビューしたのですが、
いきなり仕事が沢山舞いんでくるわけもなく、お金も無くなってしまい、
30歳を目前にして親に生活費を借りることになってしまったんです。

なかなか思うようにいかず、これから先のことを考えていた頃、
テレビではホリエモンが近鉄の球団買収に名乗りを上げて、
非常に話題になっていました。

それまで僕は、お金や生活などの、いわゆる社会的なことについて全く関心が無かったのですが、
自分とほぼ同世代のホリエモンが、お金や仕事、社会について全く違う価値観を持ち、
しかも非常に話題になっている様子を見て、

「自分にとってお金って何なんだろう?」

ということを考えるようになったんです。

そのことがキッカケで、

「もっと社会と自分の関わり方を考えなければならない」

ということに気づき、
仕事では、ちゃんとした名刺を作り、自分を売り込むための営業活動を始めるなど、
自分と、それ以外の人との関わり方を意識した働き方をするようになりました。

「面白半分」で取り組む


そのように仕事に対する姿勢が変わっていくにつれ、少しずつ仕事をもらえるようになり、
まずは、興味があると思ったものにはとにかく挑戦していくようになりました。

とにかく最初はがむしゃらに、映像に関わる様々な仕事に取り組んでいたのですが、

「面白半分で取り組むことができるか」

ということを次第に強く意識するようになり、
それが仕事を選ぶ際の自分の軸だということに気づきました。

本当に沢山の仕事に取り組んできましたが、僕自身が「面白半分」で取り組めていなければ、
いいアイディアも出なかったですし、何よりお客さんに喜んでもらえなかったんですよね。

だから、今は特に映画にこだわらずに、「面白半分で取り組むことができるか?」
という視点を常に大切にしながら仕事をしています。

今後は、これまで興味の赴くままに、幅広く行ってきた仕事の経験を活かして、
より「企画力・発信力」を高めていきたいと思っています。

そして、発信した映像コンテンツを通じて「どう社会と関わっていけるのか?」ということを、引き続き考えて行きたいですね。

2014.09.20

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