夢中になれることに出会ってほしい!自分が大好きな音楽から見えてきたこと。
いろんな物に触れていないと自分の熱中できることが見つかり難くなる。そのため、こどもの頃に色々な経験を積む環境をつくろうと「こども芸術教室 Kidz Lab.」を経営されている滝村さん。しかし、「今はまだ途中段階。おもしろい人材がいたら、もっと活躍できるフィールドを…」と話す背景には、たくさんの出会いで感じた、ある思いがありました。
滝村 陽子
たきむら ようこ|こども向け体験教室運営
こどもたちに集中力・思考力・自立心を育成し、若手アーティストには実践と学び+仕事の場を提供することを目的に
「こども芸術教室Kidz Lab.」を運営されている。
こども芸術教室Kidz Lab.
音楽業界へ進む
私は京都で生まれ、小さい頃、隣の家のお姉さんの影響でピアノを始めました。
小学校高学年になって、将来はクラシック以外のポップスやロックの音楽を勉強したいと思い始めたのですが、
日本にはクラシック以外の音楽を学ぶ大学がほとんどなかったので、
海外へ留学しようと、語学が強い高校へ進学することにしました。
高校生の頃はロックが好きで、なんとなくラジオもとても好きで、
流れてくる音楽を「これがR&Bって言うのか」といった感じで、探り探り聞いていましたね。
また、放課後、他の学校の子たちと遊び呆けていて、友達や先輩の影響でパンクを聞き始めました。
その後、バンドやDJなどの音楽活動をする子たちを知り始め、
大学に入った頃、ライブハウスなんかに足繁く通ううちに、趣味を通じて、友人・知人が大分増えました。
男の子に混じってレコード漁って、夢中に聴いていましたね。
そのうち、日本の音楽を海外に発信したいと考えるようになり、
やはりその勉強をするには海外の大学にいかなければと考えていました。
そんなことを考えていた大学2年生の時、
大手レコード会社のプロデューサーに声をかけられ、会社に入らないかと誘われたんです。
留学したい気持ちもありましたが、将来のやりたい仕事に近いことが経験できると感じたので、
アルバイトとしてレコード会社で働き始めました。
所属したのは新人発掘部だったので、
最初の仕事は、関西の音楽市場調査と若手ミュージシャンのリサーチを資料にすることでした。
夢中になったインディーズの仕事
アルバイトを続けて、大学4年生になった頃には、
インディーズバンドの担当として仕事をするようになっていました。
そして会社から、卒業後そのまま正社員にならないかとも誘ってもらいました。
しかし、この頃は「インディーズはメジャーレーベルが嫌い」という傾向があり、
私が所属していた会社はメジャーのレーベルだったので、
私がその会社の名刺を持って動くと、逆に仕事がやりづらくなりそうな気がしたんですよね。
そのため、大学卒業後は業務委託のような形で、仕事を続けさせてもらいました。
そんな雇用形態のおかげで、ある意味成果主義で、スケジューリングも自分の自由にできていましたし、
社会保障さえないものの、正社員と非正社員の差異を感じませんでした。
また、友人がメンバーとして加入しているインディーズバンドのCDを、
雑誌やフリーペーパーへ飛び入りプロモーション活動をしたり、
北海道から九州まで販売店に自分で直接営業をしたりしましたが、
ちゃんと営業したら、インディーズでもしっかり売れるので楽しかったですね。
その一方で、自分の担当するインディーズバンドを更に一段上へ飛躍させるには、
どうしても会社の力が必要なのに、一若手スタッフではなかなか全国規模で企画を動かすのは困難だったり、
メジャーレーベルでインディーズバンドを押す壁や、
他にも社内での人間関係のストレスや、デジタルへの移行、契約問題等に直面して、
自分の技量不足を感じるようになったんです。
そこで一度その会社を辞めて、
別のインディーズのレコード会社に入りましたが、
社会がどんどん変化する中で、ある種パターン化されたCDビジネスにクリエイティブさが感じられなくなりました。
それに、行き詰まってストレスを持ったまま音楽の仕事を続けると、音楽自体が嫌いになってしまう気がしたんです。
また、学生時代にしたかった留学ができていないことに対する違和感や、
アーティストマネージメントをする人材を育てたいと思いが強くなり、
5年ほどいた音楽業界を離れることにしました。
イメージとは違うこどもたち
音楽業界を離れてから、週末は社会人向けのアートスクールへ行きつつ、
塾で小中学生に英語を教えることにしました。
アートスクールでは音楽以外の文化事業を見てみたいと思い、
アートとか映像とか、コンテンポラリーダンスなど、音楽以外の様々な現場を経験しましたね。
また、塾では小学生には英語以外の教科も教えていたのですが、
当時はゆとり教育が始まった時期で、
教科書が薄くなって、文字が少なくなったことに、危機感を感じましたね。
そんな生活をしながら、1年半くらいでアートスクールを卒業したのですが、
文化事業の制作や支援に関わる仕事はハローワークでも募集しておらず、
どうしようかと思いながら、塾の先生を続けていました。
そんな時、以前の会社の上司と知人から、新しくできる専門学校の教師をやらないかと誘ってもらったんです。
会社を辞めるときに、私がアーティストのサポートをする人材育成をしたいと話していたのを覚えていて、連絡をくれたんですよね。
専門学校では私が以前仕事としていた音楽制作や音楽の歴史なんかを教えていましたが、
新しい学校だったのでカリキュラムやテキストも自分で作らなければならず、大変でしたが面白かったです。
ただ、生徒たちは私が想像していた専門学校の生徒とは全然違ったので驚きましたね。
それまで、「勉強で勝負するんじゃなくて、好きな音楽の専門学校へ行く!」という子や、
少しヤンチャな子が多いというイメージだったんですけど、
実際は、そうではなかったんですよね。
「勉強を続けるより、こっちの方が楽しそう」「専門学校に行けば、とりあえず就職はできるだろう」
という子が多かったと思います。
音楽業界への就職は非常に厳しいので、
その事実を伝えると諦めてしまう、かと言って他に熱中するものもないという子が多かったんです。
機会をつくりたい
専門学校には9年ほどいたのですが、
そういった若者と接していく内に、この若者たちに情熱を注げるものがないという問題は、
「若手の育成支援とか音楽業界以前に、何かすることがある」と感じるようになってきたんです。
どうして自分のやりたいことが内から湧いてこないのか、突き詰めて考えてみた時、
TVや身近なものからの過剰なほどの画一化された情報ばかりで育ってしまい、
成長過程で多様・多元的な情報に触れる機会があまりなかったのではないかということに行き着いたんです。
また、自分の周りの親たちを見ても、様々な体験や経験の機会をこどもにつくりたいと考えているものの、
仕事が忙しくて、なかなか連れて行くことができていないことに気付いたんですよね。
そこで、働く親でも安心して利用できる、こどものための芸術体験教室を作ろうと思ったんです。
親に仕事にあって連れて来れないなら、学校まで迎えに行きますし、
保護者のお迎えが来るまでは、教室後も宿題をしたり、みんなでおやつを食べて遊んで、お迎えを待ってもらうんです。
つまり、お稽古と学童保育のドッキングですね。
また、京都には芸術を学ぶ大学がたくさんあって、
毎年多くのアーティストが輩出されているのに、活躍の場がない人が多いんです。
そういったアーティストに、体験教室の講師となってもらうことで、機会をつくれると思ったんです。
こどもに教えるのは大人に教える以上に非常に難しいので、
教えることを通して多くの学びを得ることができますし、収入を生活の足しにもしてもらえます。
そして、自分の生活と制作活動を続ける基盤を持ってもらいたいと思っています。
京都にはこのような若手アーティストは本当にたくさんいるので、
曜日、年度毎に講師が入れ替われば、よりたくさんのプログラムを作ることができ、
こどもたちは同じ場所に通いながら、いろんな表現を体験し学ぶことができるんです。
そんな背景から「こども芸術教室Kidz Lab.」を作りました。
これで終わりではない
将来的には、体験教室の種類をもっと増やしていきたいですね。
音楽教室もやりたいし、料理とかもプログラムに取り入れて、
こどもが料理を作って、お迎えに来た保護者と一緒に食べて帰れるようになったら、
仕事で疲れた親は帰ってからご飯を作らなくていいので、その分こどもとの時間にもっと余裕を持てるようになりますよね。
教室として開催するにはまだまだハードルが高いので、これから何とか乗り越えていきたいです。
また、1つの教室毎に授業時間は90分、何かアウトプットを出すということにこだわりを持ってやっています。
やりたいことを見つけるための集中力と、何か自分で表現する力を養ってほしいと思っているからです。
でも私のやりたいことは、これだけで終わりではないんです。
やっぱり音楽が気になりますし、音楽に関わらずストリートカルチャー・現代芸術が好きなんですよね。
特に関西には、少し変わったおもしろいアーティストがたくさんいるんです。
そういう人たちの面白さを世間に知ってもらって、
もっと活躍できるフィールドもつくりたいと思うんです。
今はKidz Lab.で1つのアーティストの学びの場、社会との接点をつくれますが、
その次のステップとして本業で活躍できる場もつくっていきたいんですよね。
これからも、こどもが成長過程が色々な情報に触れることで、やりたいことが見つかりやすくなる環境と、
アーティストとして活躍する人が仕事として活躍できるフィールド、どちらも追い求めていきたいですね。
2014.09.19