全ての始まりは「伝えること」から。一律の価値観に拘らず、生き方を選べる世界へ。
大学時代に日本を旅した経験から、良いものなのに世間に知られていない地方のものを「世に伝えること」に興味を持ったと語る安達さん。現在は丹波でフリーのECコンサルティングを行う傍ら、夜は完全予約制のBARを趣味のように楽しんでいる。なぜフリーランスとして仕事をすることにしたのか、その背景をお伺いしました。
安達 鷹矢
あだち たかや|ECコンサルティング・丹波日本酒BAR経営
丹波・篠山地域でフリーランスのECコンサルタントをして、地域の事業者さんのマーケティングをお手伝い。
夜は家を改修したBARを運営。
丹波日本酒Bar
丹波日本酒Bar movie 「初音」
初めて夢中になれた
大阪の高槻市でサラリーマンの父と専業主婦の母の間に生まれました。小さな頃から将来は良い学校に行って、大きな会社や公務員になるのが良いという空気があり、その見えてしまっている道が、あまり面白くないと感じていました。かと言って、やりたいことも全くなかったんですよね。ただ、目立つとめんどくさいことになるというのを感じていたので、表向きは素直な子供でしたね。
そんな子供だったんですが、高校生になった時に生徒会の仲間たちと学園祭の集客について考えて、今までやったことのないライブをやったり、ポスター作りをした結果、前年の3倍くらいの人数を集客することができたんです。
初めて面白いと思って夢中になれた経験で、特に多くの人に知ってもらうこと、伝えることに惹かれ、大学はマスコミ専攻に進学したんです。
大学に入ってから最初の1年はアルバイトをしたり、授業に出たりしていました。しかし、いくら伝えることが面白いと言っても、何を伝えるか「伝えること」を全然知らないと思ったので、大学2年の頃から、一人旅をし始めるようになったんです。
本物が世に知られない・・・
この旅では四国をまわったり、関東や北陸の方も行きました。その内のひとつで和歌山のみなべ町に行った時に、完全100%のオレンジジュースを作っているおじさんに出会って、そのオレンジジュースを飲ませてもらったんです。
でもそれが美味しくなかったんです。(笑)というのは頭の中で、市販されている砂糖が入った甘い100%のオレンジジュースをイメージして飲んでしまったので、すごく酸っぱく感じてしまったんです。ただ2杯目以降は砂糖が入っていないものだとわかって飲むので、100%ならではの純粋なオレンジジュースの味を感じることができ、たまらなく美味しかったです。
ところがこのオレンジジュースは日持ちせず、酸っぱいから売れないので、そもそも世の中に知られてないんですよね。自分自身、本物を知らなかったことが寂しかったし、こういう地域で知られないままになっているものを、もっと世の中に伝えていかないとだめだなと思うようになったんです。
その旅の後は自分自身で発信する力をつけたいと思い、フリーペーパーを制作したり、イベントを開催したり、PR会社で働いたりしていました。色々やった結果、集客のコストパフォーマンスやこれからの時代を考えると、これからはやはりインターネットが鍵だと思うようになりました。
そのため就活では、インターネット関連の企業を中心に見ていました。しかし、そこまで一生懸命やっていたわけでもなく、どこにも決まらなかったら自分でやっていこうかなと思っていたんですが、最終的に大手IT関連会社に決まり、そこで働くことしたんです。
新たな出会い
その会社では大阪支社の配属になり、自社モールに出店しているお店にECコンサルタントとして広告営業をやっていました。
広告は買ってもらった後が大事で長期的なお付き合いになるので、最初の提案通りにいかなかった場合のジレンマというか、お店の期待に応えられなかったときは辛かったですね。
また、もともとは光の当たりづらい地域の事業者さんを、インターネットの力を使って広く世の中に出すということをやりたいと思っていたんですが、細かいニーズに対応して、手厚くサポートするというのは、会社員の立場としてはやりづらいところもあったんですよね。
このままでは自分のやりたいことができないなと、何かもやもやしたものを抱いていた時に、ある篠山の社団法人を紹介して頂いたんです。
その団体は古民家をリノベーションして、お洒落な宿泊施設や飲食店に生まれ変わらせる事業をしていたのですが、 こういった本来なら捨てられていくものに、光を与える方法があることに感動したんで。
そこで2・3回ほどその団体を訪ねて行き、代表の方に施設を案内してもらった最後に、僕はもともとお城に住むというひとつの目標があったんですが、その代表がお城を見て、「このお城が宿泊施設になったらおもしろいよなあ」と言ったんです。その時に、ここで学びたい。会社にいてる場合じゃないなと思って、次の日に会社を辞める話を上司にしました。
挫折を経てたどり着いた生き方
その後しばらくその団体で働いていたんですが、ここではすごく大変だったんですよね。それこそ前職では、組織や仕事のかたちは出来上がっていて、全体から見たら一部の狭い範囲の仕事だけをやっていれば良かったんですが、新しい環境はベンチャーで、何もない中、全体を見て足りない部分は何でもやらねばならない環境で、そんな働き方に慣れていない自分は何もできず、実力の無さが浮き彫りになり完全に挫折しましたね。
その頃は、自分もリノベーションした旅館のオーナーになりたいと言っていたんですが、代表にもっと段階を踏んで実力をつけるべきだと言われたんです。
半年の契約期間が終了した後に、既に出来上がった環境からではなく、なんでも良いのでゼロから自分でつくり上げていく力をつけるべく独立することにしたんです。
そして、ちょうど少し前に篠山で借りた家が昔はお店だったことを知り、家でBARを始める準備を始めました。約1年程、週4日地域PRを手がけるNPOで働き、週3日は有馬温泉の旅館でサービスの修行をする、という生活を1年程続けて、その後にBARを開業しました。
と言っても最初はそれだけで食べていけるわけでもないので、EC支援の経験を活かした仕事をしたり、アルバイトもしたりして生活していまいた。
ただこの時、自分が生きていくために最低限必要なお金「ライフコスト」を計算し、必要なお金を稼ぐアルバイトなどの時間を決定し、それ以外の時間を、全て自分のやりたいことを磨く生活スタイルを実践し始めたんです。
僕にとってやりたいことはITを活用した地域の事業者支援だったので、最初はお金にならなくてもお手伝いをしていました。そしてその生活を続けていくと、地域の事業者支援でも少しずつお金が稼げるようになってきたんです。
自分のやりたいことをやって生きる
やりたい事が少しずつお金に変わるようになって、ライフコストを上回った今、夜のBARは予約制でやりたい時にだけ開けて、日中は丹波・篠山地域でフリーのECコンサルタントとして、地域事業者のEC領域のマーケティングのお手伝いをメインでやっています。
昔からやりたかった、地域に眠っている価値あるものを世の中に届けるということが、やっと自分の力でできるようになった状態です。
今後は、自分のようにやりたいことで生活できる人を増やし、そういった人たちが集まる「独立国家」のようなコミュニティを作りたいと思っているんです。
今になってこそ分かりますが、昔から社会が規定する一律の価値観や、それによって決められた道を進むことに違和感を感じてたんですよね。とはいえ、自分もその価値観の通り社会人になってもやもやした気持ちを抱えていて、やっと今になって、限りなく自分を自由にできるライフスタイルに近づいて来た感覚です。
このコミュニティをきっかっけに、世の中の一律の価値観に、もっと多様な選択肢があっていいという事を証明できれば嬉しいですね。
そしてみんなが自分のやりたいことをやりたい分だけ、やりたい時にできるライフスタイルを実現するために、「ライフコスト」を把握して、コストを稼ぐ時間も正確に把握して、残りの時間をやりたいことに費やす、そしてそれをマネタイズしていく。
やりたいことを磨いていけば、人を喜ばせることができるようになって、その分収入が増える、もしくは人生が豊かになっていく。最終的に自分がやりたいことの収入がライスコストを上回れば、やりたいことだけやって生きていても問題なくなりますね。
そうやって、やりたいことに打ち込んでいる人ばかりの、日本一幸せな時間を過ごしている総量が多いコミュニティを創りたいと思っているんです。
丹波などの田舎はランニングコストを下げられるので推奨しています。食べ物も自分たちで作れば費用はより抑えられますし、みんながやりたいことを追求したスタイルで、コミュニティ外からお金を稼ぐことも、EC販売やITの情報発信などでサポートできるかなと思っています。
地域の良い物を世の中に広めていくことの他に、この一律の価値観に縛られず、やりたいことをやる生き方も広めていければと思います。
2014.09.10