カンボジアの子ども達に映画で夢を! 30歳を越えて走り出した10年越しの夢。

カンボジアの農村部の子ども向けに移動映画館のイベントを行う教来石さん。映画監督・脚本家になるという夢を一度は諦めながら、「次の夢」のために歩みだした背景にはどのような思いがあったのでしょうか?お話を伺いました。

教来石 小織

きょうらいせき さおり|カンボジアで子ども向けの移動映画館運営
「生まれ育った環境に関係なく、子ども達が夢を持ち、自分の人生を切り拓ける世界つくる」というミッションのもと、
カンボジアの農村部の子ども向けに移動映画館のイベントを行う団体、『CATiC(Create A Theater in Cambodia)』の代表を務める。

カンボジアに映画館をつくろう!CATiC (Create A Theater in Cambodia)Facebookページ

これだけ影響を与えられる映画ってすごい


小さい頃から映画が好きでした。

母が映画で観た世界に憧れて夢を叶えたような人だったこともあり、
小さい頃から家族でよく映画を観ていたんです。
映画自体が楽しいのはもちろん、家族で一緒に映画を観るあの空間も好きでした。
魔法使いの映画を観たらホウキにまたがってみたり、
刑事の映画を観たら刑事になりたいと思ったり、
映画でいろんな世界を知るたびに、わくわくと夢を思い描くような小学生でしたね。

そうやってコロコロと夢は変わっていましたが、小学6年生の時に、
「これだけ影響を与えられる映画ってすごい」と、将来は映画監督になろうと決めたんです。

中学や高校時代には、探偵小説を藁半紙の裏に書いて、
クラスの友人に読ませて回ることに快感を覚えるようになり、
大学からは映画を専攻して、映画監督になるための授業を受けていました。

自ら映画を撮り始めると、実際に自分の頭の中にあった物が映像になることは、すごく楽しかったですね。
ところが、環境に揉まれる中で、いつしか、「映画は夢をくれるもの」「映画はワクワクするもの」という初心を忘れ、
どうしたら評価の高いものを作れるのか、ということばかり考えるようになっていました。

いつか途上国に映画館を


そんな大学3年生の時、ケニアにドキュメンタリーを撮りに行く機会がありました。
授業の課題で、本当はチームになって時間をかけて映画作品を撮らなくてはいけなかったのですが、
団体行動が苦手な自分に気付き、「ケニアでマサイ族のドキュメンタリーを撮ってきてもいいですか?」と先生に申し出たんです。

少し前に、テレビ番組でマサイ族の子ども達が紙切り芸人さんの芸に驚く表情を見て、
私も子ども達に面白いものを見せて、あんな顔をさせたい!と思っていたのもありました。

そこで、ビデオカメラと、紙切り芸の代わりに東急ハンズで買ったマジック道具を持って、貯金全部を使って一人でケニアへ。
実際に行ってみると、電気もガスも水道もない平和な村でしたね。
マジックは下手だったのでウケませんでしたが、仲良くなった子ども達はとても可愛かったです。

ところが、ある日彼らに将来の夢を聞いてみたら、みんな答えられませんでした。
また、誰かが「先生」と言うと、みんな「先生」と言い出したんです。

それがすごく印象的で。
日本の子ども達に聞くと、いろんな答えが返ってくるのになと。

もしかしたら、テレビもないこの村では、子ども達は身近な大人の姿からでしか、
将来の姿を思い描くことができないのかもしれないと思ったんです。

その後、日本に帰ってからジム・キャリー主演の映画を観る機会がありました。
その映画は戦争で傷ついた街に映画館が復興したことで、街の人達が元気になるというストーリーだったのですが、
ふと、「あのケニアの村に映画館があったら、子ども達はどんな夢を思い描くのだろう」と思ったんです。
それ以来、「いつか途上国に映画館を作りたいな」、という夢を漠然と抱くようになりました。

その後、大学卒業後は、団体行動が苦手だったことに加え、
先生から、「君は脚本家になりなさい」と言われたことにも影響を受け、
将来は脚本家を目指すことにしました。

「就職するなんて負けだ!才能で食べていく!」という気持ちがあったこともあり、
派遣の事務職をやりながら、仕事が終わった後や土日に脚本を書き、コンクールに応募する、
という日々を送っていました。

途上国に映画館をつくりたいという夢に対しては何もせぬまま、気付いたら忘れていましたね。

誰かのために何かがしたい


しかし、脚本のコンクールに落ちまくったり、脚本のお仕事が次につながらなかったり、
結婚したり転職したり離婚したりと、挫折を繰り返す人生の紆余曲折を経ながらも、
脚本家の夢だけは諦められないまま、年月が過ぎて行きました。

ところが、30才になった時、当時一番信頼していた人に「君に才能はない」とハッキリ言われたことで諦めがついて、
同時に目標を見失ってしまいました。

今まで夢を追いかけていた自分を全部否定しましたし、いろいろなことが重なって体調も崩していました。
何より、健康診断を受けたら、癌の精密検査のお知らせがきたんです。

その頃は毎日気持ち悪くて体重も落ちていたので、もう自分は死ぬに違いないと思いました。
自分は夢も叶えられなくて、誰も幸せにできないまま死ぬんだと、派遣の事務仕事中、
トイレに入るたびに泣きながら過ごすようになりました。

そしてとても不思議なのですが、もうすぐ死ぬかもしれないと思った時に初めて、
自分のためではなく、誰かのために何かしたいという思いが溢れてきたんです。
自分が夢を諦めた分、夢を追いかけている人を応援したいなと。
そして夢がない人には、映画で夢のきっかけを贈ることができないかと考えるようになりました。

そんなある日、仕事中にふと、「カンボジアに映画館をつくりたい」と思ったのです。
カンボジアには行ったことがないのにカンボジア。
思い出の地ケニアじゃなかったのは、遠かったからだと思います(笑)。

調べてみると、カンボジアは昔、東南アジア1と言われるほど映画が栄えた国で、
でもポルポト政権時代に映画文化を壊されてしまったという歴史や、
今も農村部には映画館はないということがわかってきました。

「カンボジアに映画館をつくりたい」という突然降りてきたフレーズは、
思えば10年前に抱いていた「途上国に映画館をつくりたい」という夢と同じだったんです。

人生で一番感動した時間


まずはカンボジアに下見に行かねばと思い、カンボジアに行ったことがありそうな人たちに連絡を取りました。
その中の一人が、一緒にやってくれることになり、
「カンボジアに行くなら、そのまま映画上映してきたら良いじゃないですか。
プロジェクターとスクリーン持って」と言ってくれたんです。

どこで上映するのか、知り合いもいないし何も決まっていないのですが、
決行する日を三ヶ月後に決めて、飛行機のチケットも買って自分を逃げられない状態に追い込みました。
そして、いろんなカンボジアのイベントに足を運んで、カンボジアで映画を上映したいということを話しました。

そのうちに、カンボジアの学校につないでいただいたり、一緒に行ってくれる人も出てきたり、
人のつながりやご縁に感謝することばかりで、
気づけば、新しい夢に向かって走り始めた途端、病気のことも忘れて段々元気になっていく自分がいました。

ただ、カンボジアに行ったこともないのにカンボジアに映画館をつくりたいというのは、
どう考えても自分のエゴでした。
なので、映画を上映して、子ども達が迷惑そうだったら一度で辞めようと思いながら、
友だちに借りたプロジェクターと、スクリーン代わりの白いシーツを持って、カンボジアのシェムリアップに向かったんです。

そんな不安を抱えながらも、映画が始まった途端、映画を食い入るように観る子ども達の表情を横から見ることができ、
人生で一番感動した時間でした。
カンボジアの子ども達はとても表情豊かに、笑ったり、驚いたり、泣いたり。
最期は拍手までしてくれたんです。

その時に、小学生の時に、なぜ自分が映画監督になりたいと思ったのか、原点の気持ちを思い出した気がしました。

また、最初は映画館という箱をつくろうと思って下見に行ったつもりでしたが、
よりたくさんの子ども達に映画を届けるためには、学校や広場を映画館に変えて、
私たちが映画を届ける移動映画館の方が相応しいと気付けたことも良かったですね。

「映画配達人」を定着させる


上映を終えて日本に帰ってから、活動が本格化していきました。
配給会社さんの協力で映画の上映権を得たり、映画をクメール語に吹き替えたりと進化していきました。
これまでに3回カンボジアに行き、シェムリアップ州のいろんな村の学校や広場で11回上映させていただいて、
1000人以上の子ども達に映画を届けています。

映画を観る前に先生になりたいと言っていた女の子が、
映画を観た後に「夢が変わりました。映画の監督になりたいです」と言ってくれた時は嬉しかったですね。

今後はより活動を広げて、私たちが年に数回届けるのではなく、
現地に昔の紙芝居屋さんみたいに「映画配達人」という職業を定着させ、
子ども達に定期的に映画を届けられるシステムを作りたいと考えています。

ゆくゆくは、映画館が国に1つしかないラオスや、思い出のケニアの子ども達にも映画を届けたいですね。
また来年は、日本とカンボジアをつなぐ映画祭をやりたいなと考えています。やりたいことがたくさんです。

個人としては、活動を始めてから、友人の紹介で転職し、「書く仕事」にご縁をいただくことができました。
今までは、脚本家の夢の傍ら、食べるために働いているようなところがあったのですが、
30才を過ぎてから、生まれて初めて仕事自体が楽しいと思えています。
仕事と活動の両立が大変な時は、映画を観ている子ども達の写真に癒されながら、
この子たちに会いに行くためにも頑張ろうと思えています。

これからも初心を忘れず、前に進んでいきたいですね。

2014.09.07

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