カンボジアに骨を埋めるつもりで来ました。公務員を辞め、異国で人材紹介を始めた理由。

カンボジア最大の人材紹介会社を目指し、カンボジア人に国内の求人を紹介する事業を運営する鳴海さん。高校を卒業して以来公務員として働いていた鳴海さんが、カンボジアで独立を決めた背景にはどんな思いがあったのか、お話を伺いました。

鳴海 貴紀

なるみ たかのり|カンボジアで人材紹介会社経営
カンボジアにて国内の人材紹介を行うCreative Diamond Links Co., Ltd.の代表取締役を務める。

CDL
個人ブログ
カンボジアビジネスパートナーズ

意図せず就職した公務員で見つけたやりがい


北海道に生まれ育ち、小さい頃から自分が作ったもので人を喜ばせるのが好きでした。

ちょうど小学6年生の頃にPCが普及し始めたのですが、
プログラムを組んでゲームを作ることがすごく楽しく、
将来は、PCゲームを作る会社で働きたいという思い、理系に進学しようと考えるようになりました。

ところが、通っていた高校での成績はあまり良いものでなく、
大学受験の勉強もあまりしっかりしていませんでした。
そして、大学受験が始まる少し前に、親が安定のために受けてみたら?と提案された公務員試験を受けたのですが、
その試験に合格することができたんです。
しかも、センター試験の前に結果が出たため、受験勉強は余計トーンダウンしてしまいました。

結局、大学受験は、センター試験初日の英語を受けた段階で、
「ダメだこれは」と思い、家に帰ってしまったんです。
昔から合理主義なところがあり、時間の無駄だと思ってしまったんですよね。

そんな背景から、図らずも地元北海道で公務員として働き始めることになりました。

私は採用の段階から職業安定行政を選択していたこともあり、
ハローワーク函館に配属され、職業紹介の仕事に携わることになりました。

実際に仕事を始めてみると、昔作っていたような形になることではないものの、
人の役に立ち喜んでもらえるのは嬉しかったですね。

特に、ちょうどバブルがはじけた時期だったため、
不況に入り、ハローワークの真価が問われる繁忙期で、
次から次へと失業者の方が訪れるのに対し、どうしたら仕事を紹介できるかを考えて取り組むのが、
非常にやりがいがありました。

ただ同時に、仕事を行う上で、顧客本意になっていないことが多く、
もっと仕組みを変えたいという気持ちは日に日に大きくなっていきました。

とはいえ、その部分を決定できるのは中枢機関だったこともあり、
漠然と、もっと中枢に行かなければという気持ちを抱くようになったんです。

「だったら今からでもいいじゃん」


その後、実際に北海道庁、更には厚生労働省と、より仕組みを作る側に近い組織で働くようになりました。
環境を移してからは、仕事の忙しさは日に日に増していき、
毎日ものすごく働くようになりましたね。

元々、新しい仕事を覚えることに喜びを感じる性格だったこともあり、
結果を出し、他の部署に移る度に忙しさが増していき、
家に帰れないような状況になることもありました。

さすがにそんな働き方をするようになってからは少し疲弊しましたね。
ハローワークでは喜んでいる人が目の前に見えたのが、
中枢に近づくほどその距離は離れてしまうことも大きかった気がします。
結婚をして子どもが生まれていたこともあり、家族を養う責任感で頑張るという日々でした。

ところが、その後、色々な理由から離婚をすることになり、
家族を養うために公務員の仕事に定年までしがみつくことがなくなったんですよね。

それからは、段々と何か新しいことをしたいという気持ちが出てくるようになっていきました。

本を沢山読んでみたり、民間のビジネスマンが読む雑誌に目を通してみたり、
勉強する量も増えていきましたね。

また、漠然と、「日本人だから死ぬまで日本に住む」というライフスタイルに違和感がありました。
たまたま生まれたところが日本というだけで、定年まで働いた後は、
どこか暖かい国で第二の人生を過ごそうかな、とぼんやりと考えていたんです。

そして、いつしか

「だったら今からでも良いじゃん」

と考えるようになり、思い立ってからは、一度視察をするために、
実際に海外に足を運ぶことに決めました。

場所は、エネルギッシュで暖かくて親日な所がいいなと思っていたのですが、
知人からの紹介でカンボジアに行ってみることにしました。

そうして、10日間の休みをとった私は、カンボジアに向かいました。

「コネクションが無いから、この仕事しかできない」


実際にカンボジアを訪れてからは、
街を回りながら、土産物屋でもやろうかなと、ぼんやり考えていましたね。

そんな初日の夜、日本人がほとんどいない街にも関わらず、
後ろから日本語で声をかけられたんです。

話を聞いてみると、バイクタクシーを運転するカンボジア人の青年で、
観光客の相手をしていくうちに日本語が話せるようになったとのことでした。
また、月50ドルくらいの非常に給料の安い仕事だということも教えてくれました。

その話を聞いて、こんなに日本語が流暢に話せるのに、
なぜバイクタクシーの運転手なんだろう?と疑問に思い聞いてみたんですよね。
すると、

「自分にはコネクションが無いから、この仕事しかできないんだ」

と言われたんです。
能力やスキルがあっても仕事にありつけない国であることを認識し、
衝撃を受けましたね。

ハローワークみたいなものも見当たらず、
電信柱の求人広告を見ても、マッチングインフラが整っていないことが分かりました。

それ以来、カンボジアの人材領域に関心を抱き、
色々な所を視察してみたのですが、どこも残念なやり方ばかりで、
スタンダードがありませんでした。

また、求人者からお金をもらうことで、求職者がお客様でなくなってしまい、
物のように扱ったり、3・4時間待たせたり、
これまで日本でハローワークに携わってきた感覚からすると、ひどい状況だったんです。

そんな状況を目の当たりにし、
私は、カンボジア人の能力・スキルに見合う就職ができるような会社を作りたいという思いから、
帰国したタイミングで辞表を出し、カンボジアで独立することに決めたんです。

私自身、英語はできなかったのですが、
それでも、自分の感じた課題を行動に移すため、思い切っての決断でした。

ちょうど、40歳のことでした。

カンボジアで最大の人材紹介会社に


そんな背景からカンボジアで人材紹介業として独立をしたものの、
最初はやはり大変でしたね。

どこの馬の骨とも分からない会社から人材を紹介されたくないという気持ちもあるのか、
オフィスを構えても全くお客様が来ず、
広告を出稿しても連絡が来ないという日々が続きました。
あまりに反応がないため、電話が壊れているんじゃないかと調べてもらったくらいです。(笑)

ただ、わずかなお客様と向き合う中で徐々に口コミが広がっていき、
お客様が段々と増えていきました。

現在は、カンボジア国内の求人をカンボジア人に紹介しており、
日系企業以外の会社も紹介しています。

もともと、カンボジア人に適正な仕事を紹介したいという想いから立ち上げたこともあり、
紹介する企業は日系に絞らず、
対応するコンサルタントも、カンボジア人だけでなく、フランス・ドイツ・中国と、
紹介企業の国籍に対応していく中で、グローバル色が豊かになってきていますね。
私自身は日本語しか話せませんが、スタッフにも恵まれ、事業は成長を続けています。

また、私はカンボジアに骨を埋めるつもりで来たので、
お客様を裏切るようなビジネスは絶対にしませんし、
お客様に感謝され、親しまれ、愛されるような存在になれるよう、意識しています。

最終的には、カンボジアの中で最大の人材紹介会社に成長させたいですね。

2014.09.05

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