世界を舞台に活躍できる人を増やす!偏差値39の僕が、苦手な英語と向き合った訳。

「世界を舞台に活躍できる人を増やす」というミッションのもと、フィリピン留学の口コミサイトの運営や、作家として著書の執筆を行う太田さん。英語の偏差値が39だったという高校時代から現在に至るまでには、逃げてきた英語・海外と向き合うことを決めた、ある経験がありました。

太田 英基

おおた ひでき|フィリピン留学口コミサイト運営・作家
フィリピン留学の口コミサービス『Shool With』を運営する株式会社スクールウィズの代表取締役を務める。
また、作家としても活動を行い、複数の著書を出版している。

School With
新著『僕らはまだ、世界を1ミリも知らない』

可能性を広げるために大学へ


小さい頃から、漠然と人の役に立ちたいという気持ちがありました。
親の教育や、姉が終身介護の仕事に携わっていたことも影響していた気がします。

高校生になってからは、誰かの悩みを聞いて解決するような職業がしたい、
という思いから心理カウンセラーになろうと思ったのですが、
周りからメシを食べていけないという話を聞き、色々調べた結果、
作業療法士という職業に就きたいと考えるようになったんです。   

姉の紹介で実際に色々な施設を回り、より関心は強くなっていったのですが、
医療系で働く知人の母から、

「いきなり医療の世界に行くと、あなたの可能性が広がらないかもしれないよ。
 大学に行って可能性を広げてみて、それでもまだなりたければ目指してみたら?」

というアドバイスをいただいたんですよね。
自分自身、宮城県に生まれ育ち、東京を見てみたいという興味もありましたし、
世の中を知らない危機感もありました。

そこで、一度大学に進学しようと決め、指定校推薦で東京の私大に進学することにしたんです。
正直、勉強は苦手だったのですが、
定期試験は範囲を暗記すれば良かったので、内申点は良かったんですよね。

中でも、特に苦手な英語は偏差値が39というレベルで、
手応えのよかった穴埋め問題型の模擬試験の結果が4点という有様でした。(笑)

その後、高校を卒業してからは、大学生活が楽しみで仕方なかったですね。
高校が男子校だったこともあり、大学生は毎日合コンと聞いており(笑)、
入学当初の新歓コンパは全部で20回くらい参加した気がします。

ところが、色々な新歓コンパに行き過ぎた結果、
どのサークルにも居場所がなくなってしまったんですよね。
また、期待していた授業がすごくつまらなく、最初のGWになる頃には、
大学へのモチベーションが、がっくんと落ちてしまいました。

それからは腐りかけの生活でしたね。
適当な時間に学校に行き、授業は寝て過ごし、サークルに行っても微妙で、
夜は友達と遊ぶか、家でTVをみるかという日々でした。

しかし、そんな生活を1・2週間続けた頃、
ふと、自分は親不孝のバカ息子だな、と思ったんです。

家がそこまで裕福でない中、私立の大学に行かせてもらっているのに、
このまま遊んでばかりいないで、自分のやりたいことを探さなければ、と思ったんですよね。

そこで、何か行動を起こそうと、大学生が運営する地域の花屋とカフェ・バーが合わさった店舗で働くことにしました。

全員が望むサービスへの使命感


お店の運営に携わるようになってからは、
メニューを決めてマーケティング施策を考えて、と色々学ぶ点が多かったですね。

そして、ある時、そのお店で知り合った仲間から、
彼のゼミの先輩が考えていた、学内のコピー機に企業広告を入れ、無料で利用できるようにする、
というビジネスプランの話を聞いたんです。

聞いているうちに盛り上がっていったので、その後ファミレスで作戦会議を行い、
そのビジネスを実際にやってみようという話になりました。

ただ、その場は盛り上がったものの、結局一歩目が踏み出せず3ヶ月何もせずに過ぎ去ってしまったのですが、
このままではまずいと思い、大学に掛け合って、
1台トライアルという形で運用させてもらえることになったんです。

最初はコピー用紙の裏に載る広告主として、地元のラーメン屋さん等をあたり、
学生側には無料で利用してもらい、期間中に利用した200人にその場でアンケートを書いてもらいました。

実際にトライアルを終え、アンケートを見てみると、
広告がダサい、裏が透けてしまう、等のネガティブな意見もあったものの、
「このサービスが継続されることを望みますか?」という質問に対し、
驚いたことに、全員が「Yes」と答えていたんです。

それを見て、

「これはちゃんと世の中に形にして出さなくては」

と初めて使命感を抱いたんですよね。

それまではゼミや遊びの延長の感覚だったのが、
明確にモチベーションが変わっていき、
大学2年の時に出場したビジネスコンテストで、
『タダコピ』と名付けたこのプランが最優秀賞を受賞したことをキッカケに、
会社にすることに決めたんです。

僕は取締役として会社に参画することになり、
事業化した後も、早期の黒字化を達成し、会社は順調に軌道に乗っていきました。

幸せにできる人数の天井


それからは、学生ながら会社経営に携わる日々だったのですが、
ある時、知り合いの紹介で、外資戦略コンサルの東京支社長を務めた方を招いた勉強会に参加したことがあったんです。

その場は少人数での会だったので、その方からの質問に周りが答えるという流れで進んでいったのですが、
約4時間のやり取りの中で、国際情勢や経済についての質問に全く答えられず、
自分たちが世界を知らないことを痛感しましたね。

また、「グローバルなビジネス」ということはどういうことか?という質問に対し、
僕は自らの会社で描いていた通り、日本でサービスを拡大した後、アジアや欧米に広げていくこと、
という主旨の考えを述べたのですが、その答えを全否定されたんです。
そして、代わりに、

「国単位で物事を考えるのではなく、世界中のどこで誰が必要としていているかを理解し、
 それを形作る行動力とノウハウを持っていること」

がグローバルビジネスなんだということを教わったんですよね。
それまでは、自分の会社や人生を通じて、沢山の人たちの笑顔を作りたいと思っていたのですが、
自分にとって笑顔にできる上限は、日本の人口1.3億人だということを強烈に痛感しました。

また、ちょうどそのすぐ後に中国展開のために上海出張に行った際に、
中国人・韓国人のビジネスパートナーが英語で話をしてくれていたのにも関わらず、
自分は話の内容についていけないということがあったんですよね。
相手に対しての申し訳なさはもちろん、土俵に立てない悔しさがありました。

そんな2つの経験から、昔から封印していた、そして願わくば開けたくないと考えていた、
「英語」と向き合わなければいけない、という危機感を抱くようになったんです。

そして、大学を卒業後、会社の取締役をしていた24歳の時に、
自らの将来について改めて見つめ直し、
30歳までに世界を舞台に戦えるビジネスマンになるという人生計画を立てました。

そのためには、逃げっぱなしにしていた英語はもちろん、
世界で戦うために、世界中に友達を作り、世界のリアルを自分で見て知ることも必要だという感覚がありました。

そこで、ちょうど会社のフェーズが切り替わる時期だったこともあり、
会社を卒業し、世界一周旅行に行くことに決めたんです。

フィリピン留学を経て、世界一周へ


世界一周に行こうと決めたのは良いものの、この英語レベルで行ったら何もできないなという危機感があったため、
「英語 留学 格安」と検索して出てきたフィリピンの3ヶ月の留学プログラムに参加することにしました。

正直、フィリピン留学自体メジャーでなかったこともあり、多少の不安はあったのですが、
実際に行ってみると、思いのほか良かったんですよね。
マンツーマンのレッスンに加え、自分自身死ぬほど勉強したこともあり、
2ヶ月経つと、辞書無しで自分の思ったことを話せるようになっていきました。

その後、いよいよメインの世界一周への旅立ち、
北米・中米・南米・アフリカ・ヨーロッパ・中東・アジアを全部で2年かけて回りました。
 
旅の途中では、「英語の上達」「世界中に友達を作る」「世界のリアルを知る」という目標に加え、
自分と同じように海外に対して抵抗を感じる人のために、
海外でビジネスをして活躍するような人をレポーティングする、
「サムライバックパッカープロジェクト」という活動を並行して行いました。

僕の周りでも、海外と向き合うキッカケが無いことでグローバルに抵抗を感じる友人がたくさんいたこともあり、
ビジネスの文脈でも、イチローみたいな存在が必要なんじゃないかと感じたんですよね。
そのため、「世界を舞台に活躍できる人を増やす」をミッションに、等身大な目線での発信を行っていきました。
 
加えて、自分の経験で素晴らしいと感じたフィリピン留学についても、
記事等を執筆し発信していたのですが、
それを見た方からオファーをいただき、旅行中に関連する本を出版することができました。

そんな充実した世界一周を経て、日本に帰ってきたのは27歳でした。
それからは、30歳までにどう生きるかを改めて考えましたね。

目標通り、世界中に友達ができ、世界中のリアルを見ることができ、英語もOKという中で、
ありがたいことに、海外で働くオファーをいくつかいただき、
次に何をするかすごく迷いました。

そんな折、旅行中に出版した本を読んで実際にフィリピン留学に行った方のメッセージを思い出したんです。
嬉しいことに本を読んだ方からメッセージをいただくことが会ったのですが、
その手紙では、フィリピンに行ったものの、学校選びが上手く行かなかったために、
あまり留学体験が良いものにできなかったと書かれていたんです。

それを読んで以来、どこか自分の中で責任を感じている部分があったんですよね。
広めるだけ広めて終わりではなく、より良い学校を選ぶ段階までサポートすることができないか考えるようになったんです。

世界を舞台に活躍できる人を増やす


そんな背景から、フィリピン留学の口コミサイトを作ろうと考え調査を始めたのですが、
信用に足るようなものは見つかりませんでした。
価格の比較サイトや旅行チケットの比較サービス等、他の業界では消費者が能動的に選ぶ時代になりながら、
留学の業界は、未だ代理店から進められた学校に行くという仕組みのままだったんです。

そんな課題を目の当たりにし、僕はやりたいこと・やるべきことである留学業界の変革にコミットすることに決めたんです。

現在はそんな背景から、実名性の口コミを利用した、フィリピン留学の口コミサイトを運営しています。
現在は大学生から20代・30代の社会人を中心に利用していただいているのですが、
今後は、留学先の地域や留学する人の幅を広げていきたいですね。

また、作家としての執筆活動も行っています。
やはり、「英語をやれ」といわれてもモチベーションにならないため、
英語があるとどんな世界が広がるか、というのを少しでも伝えることができたらと思うんです。

どちらも、根底には「世界を舞台に活躍できる人を増やす」という思いがあります。
自分自身、将来は世界の色々な所を行ったり来たりするような生活をしたいですし、
世界2周目は、仕事でしたいですね。

2014.09.03

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