誰しもが住みたい場所に住める社会に。元アパレル店員が目指す、地域の仕組みづくり。

フリーランスのライター・カメラマンとして、地域の基盤を支える農業や食文化の取材を行う小高さん。「流行もの」を生み出し、販売するアパレル店員だった小高さんが、地域に携わる現在に至るまでには、どのような背景があったのでしょうか?

小高 朋子

こたか ともこ|地域に携わるフリーランスライター・カメラマン
フリーランスライター・カメラマンとして、地域の食文化や農業をテーマに取材を行い、
記事・写真・映像にて発信を行っている。

KOKOTO(個人HP)

ファッションへの関心


小さい頃からもの作りに関心があり、学校では美術の授業が好きでした。
また、高校受験の際に頑張って合格した学校に入ったこともあり、
やや勉強についていけず落ちこぼれてしまったんです。

それからは、「ここで勝負するより、自分にしかできないことをしよう」と、
より一層好きなことに打ち込んでいくようになりました。

ちょうどファッションへの興味が強くなっていたこともあり、
雑誌や洋服を買うことはもちろん、買った服を分解したりしていたんですよね。

本屋さんに売っているソーイングの本ではパターンが決まっていてもの足りず、
自分でデザインがしたいという思いがありました。
自分がイメージしたものが目の前にできあがることがすごく楽しかったんですよね。

そんな背景もあり、高校を卒業してからは、洋服のデザイナーを目指し、
ファッションの専門学校に進学することに決めました。

専門の2年間は、たくさんあった授業の課題に加え、アパレルでバイトをしており、
忙しくも充実した毎日を過ごし、
卒業後はデザイナーを目指してあるデザイナーズブランドの販売員として、代官山で働き始めました。

ところが、実際に働き始めると、お店の雰囲気に馴染めなかったことに加え、
販売員からデザイナーになれるような仕組みもなかったんです。

そこで、1年半働いた後、別の会社に転職することに決め、
新しいセレクトショップの立ち上げに携わる機会をいただきました。

それからは、仕入れやオリジナル商品の企画・管理などをいきなりやらせてもらうことができ、
手探りながらも仕事に充実感を感じていましたね。

「流行もの」を作ることへの違和感


その後、新宿の大手百貨店のアパレルでも働いたのですが、
段々と仕事に違和感を感じるようになっていきました。

ファッションブランドはではいわゆる「流行もの」を作り、毎年沢山買ってもらうことが重要なのに対して、
私が作りたいと思っていたものは、10年着られるような洋服だったんですよね。
なんだか消費的な業界で働くことに若干疲れも感じるようになり、
26歳にして、アパレルを辞めることを決めました。

そんな背景もあり、次はもっと持続的なものに携わる職業や、
環境・自然に関わる仕事がしたいな、と漠然と考えていたのですが、
自分自身、ずっとファッションの業界におり、他の専門知識もなく、
ちょうど社会的にもリーマンショックが起こり転職市場の状況が良くなかったため、
もう少し考えようと思い、一度派遣社員としてサロンでの接客・事務業務として働くことに決めました。

その会社で働き始めてからは、自分の関心があることを模索する日々でしたね。
まずは、これまで自分が携わっていたファッションの分野から、持続可能なものづくりについて色々調べるようになりました。

そんな折、たまたま見かけた、伝統工芸品の美しさに惹かれたんです。
ファッションの分野とは違いましたが、自分が知らなかっただけで「いいモノ」が地域には、
たくさん眠っていることに気付いたんですよね。

そこで、もっと知りたいという思いからその生産地に関心を持ち、
仕事が休みの日に、自分の足で現地を訪れ、工芸品を作られている方のもとを訪ねるようなことを始めました。

そうやって地域に足を運んでみると、工芸品単体ももちろんなのですが、
それを支える自然や食文化にも関心を持つようになっていったんです。
それらがないと、地域が元気にものづくりをすることもできないな、という感覚を持ったんですよね。

休みの度に地域に足を運ぶうちに、もっと地域のことを知らなくては、という気持ちがどんどん強くなっていきました。

「住みたい場所に住めないこと」への違和感


その後、派遣の契約期間である3年の切れ目を迎え、私は会社を辞めることを決めました。

地域に携わる中で、そういった仕事への関心が強くなっていき、
派遣をしながら土日は地域に、という現状に中途半端さも感じたため、一度辞めてしまおうと思ったんです。

結果的に、30歳を目前にしてフリーターになることになりました。
それでも、どうにかなると思っていましたし、不安はありませんでしたね。
漠然とですが、どこかで働くというよりは、独立してやっていこうという気持ちがありました。

しかし、まずは生活に困らない程度のバイトをしなければと思い、
手作り手芸のECサイトのお手伝いをしたり、ファッションの専門学校での学生の相談を受けたりしていました。
その傍ら、講演会やイベント等にも参加し、地域に携わる方とのつながりも少しずつ増えていきました。

そんな中、自分の周りの友人で、「地元に帰りたい」と話す人が多いことに気づいたんです。
それでもほとんどの人は、東京に仕事が集まっているために、
好きではないものの東京に居続けているとのことでした。

その話を聞く中で、すごく疑問を感じたんですよね。
「自分が住みたい場所に住む」という、普通のことを普通にできないことに違和感があったんです。

そんなことを考えるうちに、各地域でも雇用を担い、積極的に居住ができるようになるための仕組みを作れないか、
と思うようになっていきました。

永続的な仕組み作り


そんな思いを抱き、今年の4月からはフリーランスとして、独立して仕事を始めました。

現在は、農業に関する教育に携わる会社や地域ブランディングを行う会社からお仕事をいただき、
実際に現場に足を運んで取材を行い、写真や文章、映像で伝えるコンテンツを作っています。

工芸品を含め、地域文化には広く関心があるのですが、
今は特にその基盤を担うような分野に取り組みたいという思いがあります。

各地域に資産は沢山ありながらも、実際に人がそこに住んで働くために、
地域の基盤を担う食文化や農業の仕組みが整っていないと、そこに永続性は無いと思うんですよね。

私自身、どこか特定の地域を盛り上げたいという気持ちで活動しているわけではありません。
ただ、自分の住みたい場所に誰しもが住めるようになるための、
永続性のある仕組みを作りたいという思いがあるんですよね。

自分が関わることで色々な地域が元気になっていったら嬉しいですし、
将来はそんな地域を回り歩いて生活したいですね。

2014.08.16

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