参加型ミュージカルを通じて、心が裸になる。自分のためにすることで、誰かの役に立ちたい。

宅配型で参加型の影絵ミュージカル団体の代表を務める斎藤さん。被災地の支援活動等を行いながらも、「この活動は、私たち自身にとって意味があることなんです」と語る背景には、どんな過去があったのか。お話を伺いました。

齊藤 香里

さいとう かおり|宅配型、参加型の影絵ミュージカル運営
参加型・宅配影絵ミュージカル団体「NIJI」の代表を務める。

NIJI

どこか感じる寂しさ


私は神奈川県で生まれました。

正義感が強く、学級委員を進んでやるような子どもでしたが、
人付き合いが得意ではなく、孤立感を感じることもありました。

10歳の時に静岡に引っ越してからは、より萎縮するようになっていき、
1人で小説やゲームに浸ることもありましたね。

中学からはバレーボールを始めました。
元々は好きな漫画がきっかけで始めたのですが、段々のめり込み、高校でも続けました。

なんていうか、バレーボールの一体感、みんなで一緒にやっている感覚が好きだったんですよね。
高校時代は副部長もやっていて、辞めそうな子を説得したり、いわゆる熱血タイプでした。

しかし、心を開けている感覚はなく、どこか寂しさを感じることもありました。

その後、大学受験を控えた高校3年生の頃、親に視野を広げなさいと言われ、
東京にある、国際基督大学に連れてきてもらいました。
何故か夜だったのですが、そこには森が広がり夜空は満天の星空で、
猫や動物の鳴き声に囲まれて、校舎の十字架が光っていたんです。

「ああ、ここに私は来るんだな」

と導かれたかのような感覚でした。

そして、帰ってから調べてみると、国際関係の大学であることを知ったんです。
元々、9.11やイラク戦争があったり、
親から戦争について話してもらうことが多かったので、
将来は国際平和や国際協力に携わりたいと考えていて、
自分の趣向にも合うことがわかったので、この学校に入りたいと思うようになっていきました。

そして、ずっとE判定だったのが、入試本番では奇跡的に合格することができたんです。

心の支援


大学に入学してからは、国際協力ができるサークルや学生団体に入ろうと、
色々見て回っていました。

しかし、お金での支援になんとなく違和感を持つようになりました。
もちろん素晴らしいことだし、否定するわけではないのですが、
自分としては「やってあげる」ではなく、
「自分たちがやりたいことが相手の喜びにもなる」そんな支援がしたいと感じたんです。

そんな時、「ミュージカルで国際協力をしよう」というポスターに惹かれて、
宅配型・参加型のミュージカルを行う「虹」という団体に行ってみることにしたんです。

この団体は、子どもやお年寄り、病気の人や貧困地域にいるような劇場に来れない人の元に自ら行き、
参加型のミュージカルの力で、エンパワーメントしていくという団体でした。

この団体が、スマトラ島沖地震のあったバンダ・アチェに公演に行くというタイミングで、
私も音響でついていくことにしたんです。

地震から2年ほど立った時期でしたが、
心の支援が追いついていない場所が多くあるのが印象的でした。
実際に公演をする時も、支援団体が入っている地域であれば、
子どもたちが楽しそうによってきてくれるのですが、
支援が進んでいない地域では、心の傷が癒えていなく、
子どもたちは遠くから見ているだけでした。

しかし、劇が進んでいく内に段々距離が縮まっていき、
子どもたちが心を開いてくれるようになり、
最終的には一緒に大きな声で歌ってくれたんです。
劇が終わった時に、なんとも言い表せない暖かさ、心のつながりを感じることができました。

一方、無力感を感じることもありました。
支援が全く行き届いていない地域では、心を開いてもらうことができず、
そもそも公演ができない場所もあったんです。

地震で奥さんを亡くした方と話した時、その目の闇の深さに、何もできない無力感を感じました。

もっと多くの人に、心の支援になる何かを届けられるようにしたいと思いましたね。

自然体の自分


それからは、自分も役者として参加するようになりました。

ただ、始めのうちは子どもたちの瞳が見られませんでしたね。
参加型で客席をつくらず子どもたちの目の前で演技をするので、
彼らに拒否されたり、つまらないという顔をされたりするのではないかと、怖かったんです。
しかし、仲間のおかげで少しずつ変わっていくことができました。

宅配型の舞台で舞台セットなどは作らずに、
全て自分たちの表現だけで劇の世界を表現しなければならないので、
少しでもみんなの見ているものがずれると、世界観をつくり上げることができないんですよね。
例えば「あっちに海がある!」とセリフで言った時に、
その海は青なのか緑なのか、浜辺なのか岩場なのか、イメージを統一しなければならないんです。

そのため、仲間と同じものを見るために、何度も対話をしました。
元々、人に心を開けていなかった私ですが、
ありのままの自分をさらけ出しても、受け入れてくれる仲間がいたから、
少しずつ本心でぶつかれるようになりました。

そうやって半年程公演を重ねていった頃、
ようやく子どもたちの心に触れられたように感じたんです。
言葉は通じないし、場合によっては耳も聞こえない人もいる中で、
お互いの心が裸になったような感覚を、確かに感じることができ、
劇が終わった後の温かい感覚で、涙が出てきたんです。

この時、救われたのは自分だと実感したんです。
今まで自然体でいられなかった自分自身が、この活動を通じて変わることができたのです。

この時、この活動をライフワークにしていこうと決めました。

同じ傷が広がってしまう


とはいえ、この活動だけで食べていく自信もなかったし、
社会を見たいという気持ちもあったので、就職することにしました。

「宝探し」を提供している会社があり、
自分がやってきた、「世界観の中に入り込んで何かを得ていく」という価値と似ていると思い、
入社することを決めました。

しかし、入社直前に、東日本大震災が起きました。
この時に、スマトラの人たちの顔が浮かんで、
「またあの人たちのような人が生まれてしまう」と思ったんです。
スマトラの人たちのように、数年たっても傷が癒えない人ができてしまうことを思うと、
いても立ってもいられない気持ちでした。

ただ、その時は何かできるわけではなく、
本当にこのままで良いのかとも思いましたが、
とにかく学べるだけ学んで力をつけてから次に行こうと考え、
そのまま会社に入社しました。

仕事は楽しくもあり忙しくもあり、それからしばらくは劇から離れていましたが、
半年程経った頃、
他の劇団の仲間たちも同じように「何かしたい」という強い思いを抱えており、
被災地の方々との繋がりもできたところで、自然と活動を再開しました。

働きながらでしたが、
「NIJI」という、学生の時所属していた団体と同じ、
「宅配型・参加型・ミュージカル」のコンセプトを掲げた団体を卒業生と立ち上げたんです。

そして、福島や岩手などの被災地を周り公演をしながら、
会社に2年ほど勤めた後、「NIJI」の活動に専念するため、退職しました。

自分たちのための活動


現在「NIJI」は6名程のチームで運営し、
3ヶ月に1回ほど公演に周り、幼稚園や高齢者の施設に伺っています。

『銀河鉄道の夜』を演目として以来、影絵も取り入れることにしました。
銀河の星々や、宮澤賢治の壮大な世界観を表現するために影絵を取り入れたのですが、
そのレトロな温かさがすごく良かったんです。

今後はキャラバンのように日本中・世界中を回って行きたいと考えています。
また、最近は子どもだけでなく、大人も一緒に参加してもらったのですが、
それも予想外に良かったので、大人も参加する形を広げていきたいと思っています。
大人にとっても、
子どものようにありのままの心でいられる場所にできるんじゃないか、と感じたんです。

ただし、この活動は「自分たちのため」でもあって、
「やってあげている」ものではないんだと思っています。
この劇を演じる私たち自身が、
この活動を通してますます自然体で生きることを学び、成長することができるんです。
だから、この活動はどんな形であっても、自分たちのためにもずっと続けていきたいですね。

将来の話ですが、そうやってお互いがありのままでいられて、
いつでも「おかえり」と帰ってこれる場所として、
村みたいな共同体を作っていきたいとも思っています。
今も、千葉の鴨川で仲間と古民家を借りて、田植えなどをしているのですが、
自然の循環の中で暮らす状態が、人の心も一番自然な状態なんじゃないかと思うんです。

そんな風に、人が自分の心のままに生きる喜びを感じられる場づくりをしていきたいです。

2014.08.15

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