杖を持ち、ふさぎ込む心の扉にノックしたい!生きる素晴らしさを伝える、2度目の人生。
自分の人生を自分の足で歩む楽しさを伝えるため、オリジナルステッキのブランドを運営する楓友子さん。自ら死んでしまいたいと考えた過去、死を間近に感じる事故を経て、「生きていることの素晴らしさ」を伝える現在に至るまでには、どのような変化があったのでしょうか?
楓友子
ふゆこ|ステッキアーティスト
オリジナルステッキブランド『Knock on the DOOR』の運営を行う傍ら、
イベント開催等の活動も行っている。
Knock on the DOOR
イマを楽しむライブ(8月23日13時30分〜@大田区民ホール )
「こういう人生から逃れられないのかな?」
北海道の田舎に生まれ育ち、活発な幼少期を過ごしました。
負けず嫌いでかけっこが大好き、運動会は1番!というようなタイプでしたね。
ところが、小学3年生の時に、背中の手術をすることになり、
3ヶ月も運動ができなくなってしまったんです。
もともと、学年で13人しかいないような学校だったこともあり、
運動ができないことに加え、友達の輪にも入れなくなり、
気づけば、ぼんやりと「死んでしまいたいな」と思うようになりました。
中学に進学してからは家庭の事情も重なり、ますます思い悩むことが増えていきました。
大好きだった運動からも離れてしまいました。
それでも、高校からは知り合いの少ない学校に進学したことで、
それまでの自分とは違う、新しい生活を始めることができたんです。
勇気をもってもう一度運動をしようと思いテニス部に入り、
中学とは打って変わって、すごく充実した日々でした。
その後、高校の卒業が近づくと、田舎を出たいという思いから、
北海道内にはない学部を探して志望し、他県の大学に進学することに決めました。
いわゆる村社会的な窮屈さがあり、良くも悪くも自由が無かったんですよね。
そんな背景から、大学は新潟の国立大学に進学したのですが、
高校からのテニスを続けるためにテニスサークルに入り、
飲み会やバイトに明け暮れる毎日はすごく楽しかったですね。
ところが、大学2年の春、課題がすごく授業を複数取っていた上に、
新しいバイトを始めて、仕事を覚えなければならず、
加えて自動車学校にサークルを運営する幹部の補助等、
一気に色々と詰め込みすぎてしまったんです。
それをキッカケに、また思い悩むようになってしまったんですよね。
もう過去のことだと思ったのに、変わっていなかったんです。
「やっぱり私はこういう人生から逃れられないのかな」
という思いから、絶望を感じました。
「生きていてよかった」
それでも、サークルの先輩だった彼氏が付き添ってくれたこともあり、
なんとか、少しずつ気持ちが落ち着いていきました。
また、大学2年の時にオーストラリア人の先生が、
オーストラリア人は皆陽気で、明日のことを考えていない、
という話をしていたのに触発され、
「私に必要なのはこのマインドだ!」
と思い、短期留学に行ったのですが、そこで自分が知らない世界がたくさんあることに気づいたんよね。
そこで、帰国してから迎えた就職活動では、もっと知らない世界を見るために東京で働こうと決め、
人を大切にする姿勢に惹かれたIT系の中小企業に内定をいただきました。
就職先も決まり、あとは卒業だけとなった4年の夏、
所属するサークルの合宿に行くことになりました。
移動は車だったのですが、帰りの車のくじ引きで、私は彼氏が運転する車に当たりました。
「いつもと変わらないね」等と笑いながら帰路を走っていたのですが、
海沿いの道のカーブで、対向車線から車が突っ込んできたんです。
相手方の不注意によるもらい事故でした。
私も彼氏もすぐに病院に運ばれ、すぐに手術が行われました。
曖昧な記憶が断片的にだけあり、まるで夢みたいな感覚でした。
そして、目が覚めるとICUの白い天井が目に映りました。
「夢じゃなかったんだ」
と思うと同時に、
「生きていて良かった」
と感じました。
命を落とす危険もあるような事故でしたが、
無事一命をとりとめ、約100日間の入院生活が始まりました。
過去の自分を認めてあげることができた
「生きているってすばらしいじゃないか」
そう考えるようになってからは、
身体についていた管が一つ抜けていくことにも喜びを感じました。
ただ、腰椎を骨折していたこともあり、お医者さんからは、
「歩けるようになるよう、頑張りましょう」と言われたんですよね。
その時は、何を考えて良いか分からないけど、自然と涙が流れました。
「車いす生活になったらどうしよう」等とできないことを考えていくのは辛く、
「この先どうしていったらいいんだろうな」という不安がありました。
それでも、リハビリを経て、寝たきりから車いすに、車いすから杖に、
と少しずつできることが増えていきました。
普通、20歳前後で同じような怪我をしてしまうと、ふさぎ込んでしまうことが多いという話を聞きましたが、
私自身、過去に「死んでしまいたい」と考えていたことがあったからこそ、
「生きていること」の素晴らしさを強く感じていて、前向きな気持ちでいられたんですよね。
事故にあって初めて、死にたかった自分を認めてあげることができたような気がしました。
その後、無事退院してからは、卒論だけ発表して卒業という状況でした。
しかし、そのまま内定先に就職するかどうかについてはすごく悩みましたね。
ちょうど入院中にリーマンショックがあったこともあり、
周りの友人には内定切りを受けた人もいて、
そもそも自分は本当に働けるのだろうか?という不安があったんです。
しかし、東京の会社にも関わらず、人事の方がわざわざ新潟の病院までお見舞いに来てくれ、
社長も人事の方からもメールをいただき、
「あなたのマインドを良いなと思ったので、身体がどうとかは関係ないですよ、
何年かかっても良いから来てね」
という言葉をいただいたんです。
そこで迷いは無くなり、卒業後は東京での新生活が始まりました。
2度目の人生はやりたいことをやろう
しかし、東京での社会人生活は思った以上に大変でした。
新潟は車で生活でき、休みたいタイミング休めたのが、
東京では、杖をついて毎日電車通勤をして、と体力的な辛さがありました。
また、事故以来、
「私は1度死んだのだから、2度目の人生は自分のやりたいことをやろう」
と決め、人の目を気にせず、自分のこれまでの経験を、他の人のために活かすようなことをしようと誓ったのですが、
日々行うエンジニアとしての業務では、自分の経験に基づいたやりたいことに繋がっている感覚を持てなかったんですよね。
毎日を大切に生きていこうと思っていたからこそ、歯がゆさがあり、
「何してるんだろう・・・」と思うようになっていきました。
それでも、3年は働かなければという気持ちもあり、モヤモヤが募っていく毎日でしたね。
そんな時、たまたま、私と同じように死に近い経験をされた方とお話する機会があり、
「死を間近に経験していない人の考えとは全く違うのだから、気にしなくて良いんだよ」
というアドバイスをいただいたんです。
その話を伺い、一般的な話を自分に当てはめる必要はなく、
自分で決めていいんだと思えるようになっていきました。
正直、次何をするかというのは考えていなかったですが、
大学時代からずっと苦楽を共にしてきた彼氏との結婚のタイミングも重なり、
仕事を辞めることに決めたんです。
退職後は、私が持っていた杖が、木目の取手に黒のチェックとすごく地味だったこともあり、
杖を自分で作ったらいいんじゃないかな、という漠然とした気持ちがありました。
実際に、休日に出かけようとして、洋服や靴、鞄をコーディネートした後、
最後にその杖を持つと、「これはない・・」と思い、出かける気持ちが無くなってしまうことが何度もありました。
そんな時、持ち手の柄を少しいじってみると、気分が全然変わったんです。
それまでは街に出ても、杖は「かわいそう」の象徴だったのが、
自分でアレンジした杖を持つようになってからは、周りの会話も反応も全く変わったんですよね。
それがすごく嬉しかったんです。
ただ、それ以上の何かをすることはなく、飽くまで自分の杖をアレンジする程度だったのが、
ある時、友人に、
「杖を作りたいって前から言ってるけど、実際にやってないのは、やりたくないんだよね?」
と言われ、それがすごく刺さりました。
正解がわからないと動けなかったのが、とにかく行動してみようと思うようになったんです。
自分の足で自分の人生を歩む楽しさ
それからは、ステッキ屋さんに話を聞きにいったり、起業塾に通ってみたり、とりあえず杖を仕入れてみたりと、
できることをやってみるようになりました。
実際に販売を始めても、最初は全く売れませんでしたが、
それでも、色々な場所で話をする中でご縁が繋がっていき、
展示やプレスリリース、取材などの機会をいただき、少しずつ活動が前に進んでいきました。
現在は、『Knock on the DOOR』というオリジナルブランドを立ち上げ、
オリジナルデザインのステッキをオンラインで販売しています。
ステッキをデザイン作る際のルールとして、私が持ちたくないステッキは作らないと決め、
例えニッチであれ、若い人がファッションとして楽しめるものを作っています。
杖をもつような状況に、心をふさぎ込んでいる人に対して、
「かわいい杖を持って、外に出て行きませんか?」
と心の扉をノックしたい、という気持ちがあるんですよね。
やはり一番の根底には、生きていることの素晴らしさを伝えたいという思いがあるので、
これからは杖という形だけでなく、色々な形でそのメッセージを伝えていきたいと思っています。
直近でも、「生き方」を伝えるようなイベントの開催にも挑戦しますし、
杖はぶらさず続けつつ、他の手段は色々広げていきたいと思っています。
そうすることで、自分の足で自分の人生を歩む楽しさを、
1人でも多くの人に伝えていきたいですね。
2014.08.15