世界中の子どもに野球の楽しさを伝えたい。考えるからこそ感じる楽しさとは。

「野球には勝つこと以上に大切なことがある」と話す吉岡さん。その背景には、高校時代の恩師の言葉や、エクアドルで野球を教えた体験など、様々なものがありました。吉岡さんが「大切なこと」をみつけるまでのお話を伺いました。

吉岡 大輔

よしおか だいすけ|軟式野球連盟職員
公益財団法人全日本軟式野球連盟の事務職員。過去に青年海外協力隊で関わっていたエクアドルチームの日本遠征を支援。

10歳からの野球


小学校高学年の頃から野球に興味を持ち始めました。

元々は1年生の頃からサッカーをやっていたのですが、全然面白いと思えなかったんです。
練習も辛いと感じていて、波長が合わなかったんでしょうね。

それから学年が進むに連れて野球に興味が出てきて、
地元の野球チームで、所属はしていないものの、たまに練習させてもらうようになっていきました。

中学では部活に入り、本格的に野球にのめり込むようになりました。
周りのメンバーは小学校から野球をやってきた人ばかりで、しかも強豪校だったので、
一番下手な自分がみんなに追いつくため、必死で練習したことを覚えています。
サッカーとは違い、練習は大変でも辛いとか辞めたいとかは一切思いませんでした。

すると、2年生になった頃から、レギュラーとして試合に出れるようになったんです。
この体験から一気に野球熱に火がつき、他の野球少年と同じように甲子園を目指すようになっていきました。

高校受験は野球を軸として強豪私立校を目指したのですが、落ちてしまい、
野球はそこそこ強い地元の公立高校に進学することになりました。

しかし、30人程いた野球部の同期は厳しい練習に耐えられず、1年目の夏までに4人を残してみんな辞めてしまったんです。

高校野球生活は、
自分の学年だけではチームもできない状況で、後輩に頼ることになってしまったので、
引退試合を終えても不完全燃焼でしたね。

自分で考えるから楽しい


しかし、3年の時に赴任してきた新しい監督のお陰で、
野球に対しての捉え方を大きく変えることができました。

ある試合でバッターボックスに立った時、ベンチから送りバントのサインが出たので、
サイン通りに1球目から送りバントをし、無事成功してベンチに戻ってきました。

すると監督に「お前、自分で考えなかっただろ」と怒られてしまったんです。

あの場面ではバント以外にも選択肢があるのに、ベンチからのサインを待ち、
ただ指示通りにしていたことを指摘され、
打ちたいと思ったら「打たせてくれ!」という顔をするように言われたんです。
そうやって自分が考えなければ、野球なんて面白くないだろ、と。

これは衝撃的でした。

それまでは、練習の意味を考えるというよりも
「勝つために言われたことをやる」ことが当たり前と思っていて、ただこなしていただけでした。
自分の頭で考えるということを初めて意識するようになりましたね。

そしてこの時から、「指導」をする教師の仕事に憧れるようになりました。

また、教育実習に来ていた先輩がいたのですが、その人は自分とさほど年が違わないのにすごく大きく見えて、
弟分の様にいつもくっついて歩くようになりましたね。
「兄貴」との交流は実習終了後も続き、その人が青年海外協力隊で海外に行ってからも1ヵ月に1回はエアメールを送ってくれました。

その時送ってもらった写真の中に、
途上国の褐色の土の上で、ぼうぼうに伸びた草に囲まれているのに、
最高の笑顔で笑う子どもたちと先輩が写ったものがあり、とても印象的でした。
この地で子どもたちと良い関係を築けているんだな、と感じましたね。

そんな監督と先輩への憧れから、高校卒業後は2人の母校である日本体育大学に進学することにしました。

海外で野球を教える


大学では高校時代に不完全燃焼だった野球を続けました。
大学野球部の練習方法は尊敬する監督と同じ方針で、
全体練習は少なく「自分で考えて工夫する」時間が多く、この大学のDNAを感じましたね。

充実した大学生活を送りながら将来は教師になろうと思っていましたが、
4年生の時に教員採用試験で落ちてしまいました。

非常勤講師として働きながら次の年の試験を目指す方法もあったのですが、
視野を広げてから教師になるのも良いのではないかと思い、
青年海外協力隊員として途上国で野球を教える仕事を募集していたので、卒業後はそちらの道に進むことにしました。

協力隊では複数の指導者がすでに派遣されていたジンバブエに行きたいと思っていたのですが、
通知された配属先は南米のエクアドルで、正直「どこの国だ?」という感じでしたね。

エクアドルはグアヤキルという街を除いては、ほぼ野球の文化が根付いていない国で、
私の行くことになった街も、「野球」という言葉は存在するも、
それがどんなものか知らない人が殆どの地域でした。

日本での3ヶ月の研修と現地での1ヶ月の語学研修を経て、
現地の野球連盟のボスに連れられ、1人で配属先の街に向かいました。

変わるべきは自分


街に着くとまずは家に案内され、その後すぐに野球場に連れだされたのですが、
その光景に驚きました。

野球場といっても空き地を囲っただけのような場所だったのですが、
そこには100人以上の子どもたちが集まっていたのです。

事前に野球を教えると募集を出していたので野球自体への関心もあったのですが、
日本人という得体のしれない人への物珍しさで集まってくれていたんですね。

しかも、ボスに「それじゃあ指導してくれ」と言われて、初日から1人で野球を教えることになりました。
正直、初日から教えるなんて思っていなかったし、
バットは3本しかなく、ボールとミットも5つしかなかったので、すごく大変でしたね。

それから毎日、年代ごとに時間を分けて朝から晩まで野球を教えましたが、
道具も少なく子どもたちは自分の番が回ってこないと飽きてしまうし、
サッカーのエクアドル代表の試合の日は練習に来ないし、とにかく大変でした。

時には、誰も野球場に来ない日もあり、「教えてやってるのになんで来ないんだ」と悶々とする日々を過ごしていました。
それでも、3ヶ月程経った時に、「教えてあげている」のではなく
「自分が住まわせてもらい、彼らから勉強させてもらっている」のではないかと思うようになってから、
空気が少しづつ変わっていきました。

それまでは日本式の練習で、まずは素振りやノックなどの基礎練習をしてから試合をするという流れだったのですが、試合を先にしてみたんです。
すると、勝負事が好きな彼らは試合に熱中しました。
しかし、すぐにはうまくいかないので、それが悔しくて自主練をする空気が生まれたんです。

変わらなければならないのは自分だと痛感しましたね。

それからはサッカーの試合の日には一緒に観戦し、終了後に野球をやったり、
キックベースボールで教えたり、彼らの生活に馴染むような指導に変わりました。
一方、道具を盗むのが当然のような文化でもあったので、それは絶対に許さず、
野球を通じて人として守るべきことはなにか、分かってもらうようにもしました。

2年間の滞在期間でしたが、野球の指導だけでなく小学校に行って体育教師をさせてもらったり、
地元の人とも仲良くなったりして、帰国する時は僕も子どもたちも号泣でしたね。

トラックの荷台に乗り空港に向かう道では、誰だか知らない人も含めて町中の人が声をかけてくれて、
本当にかけがえのない経験をすることができました。

野球で熱狂する子どもを


日本に帰ってきてからは、エクアドルの後任が決まっていなくて、
また8ヶ月ほどエクアドルに戻ったり、
中高一貫進学校で、中学生に勉強を教えながら高校野球の監督をやったりしながら、
知り合いのご縁で今の野球連盟で働くことになりました。

そして今は、全国の子どもから大人までの選手、チームのため、
指導者養成を主として仕事に取り組んでいます。
野球人口を増やすには、小さな頃に野球に触れた時に「楽しい」と思ってもらうことが不可欠です。
だから、子どもたちが楽しいと思えるように、練習を指示するだけではなく、
子どもが自発的に考えて行動するための手助けをできる指導者を増やすことを目標にしています。

教師として生徒に向きあうこともとてもやりたいことではありますが、
仕組みを作ることで、より多くの子どもに影響を与えられる可能性があるので今の仕事は非常にやりがいがあります。

また他にも、野球をオリンピック種目に復活させるため、
野球が盛んではない国にバットやボールを送り、野球文化を根付かせる取り組みも行っています。

これは元々は帰国後、14年くらい前から個人でエクアドルに野球道具を送っていたのですが、
賛同してくれる人が増え、今では色々な人の協力の下仕事として取り組むようになりました。
ただ、仕事としてやる以上、個人的なエクアドルへの感情でやるのではなく、
戦略上アジアやアフリカの方が重点となるため、南米のエクアドルへの支援は優先度としては低い状態でした。

そんなところに舞い込んできたのが、
現在の青年海外協力隊員としてエクアドルで野球を教えている齋藤勇太くんが立ち上げた、
エクアドルの子どもを新潟に招致する企画でした。

エクアドルからアメリカメジャーリーグの選手を輩出できるよう、
レベルの高い日本の野球を子どもたちに見させてあげようというもので、
この企画には血が騒ぎ、私も東京での調整や野球関係者をつなぐことで協力しています。

ただ、この企画がもうすぐ終わってしまうことに寂しさを感じていて、
なんとか毎年継続していくことができないかと考えているところです。

将来的には、今は野球が盛んでない地域にも野球文化が根付き、
オリンピックに少しでも多くの国が参加し、
世界中の子どもたちが野球って面白いと思いながら熱狂している姿を見たいと思います。

2014.08.04

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