私は医者の父と看護師の母の間に生まれ、姉と兄と大型犬に囲まれた、絵に描いたようなあたたかい家庭で育ちました。

父は、正義感に溢れる人で、まさに家族の大黒柱といった感じの人でしたね。徳島生まれで、過疎地域に診療所をつくり、患者さんのためには熱血指導をするような人だったと聞かされていました。

大人になってから知った話でしたが、徳島のある地域で過去に国の公共事業で道路工事に派遣された出稼ぎの人たちが、アスベストの被害にあい病気で苦しんでいるのを知って、父は「国の責任だ!」と弁護団を結成して原告代表として戦ったんです。この裁判での勝訴がきっかけで、全国で同じような被害にあった人と国の和解が始まったという逸話の持ち主でした。

しかし私が10歳の時、そんな父が病気になってしまったんです。父は肺がんを患い、どんどん衰弱していって私が12歳の時に他界しました。

家族にとって大きな存在だった父が亡くなり、多感な年頃だった私は、家族とどう接したら良いのかわからなくなってしまい、家ではほとんど喋らなくなってしまいました。そして、中学2年生の頃から、母とは全く言葉を交わさなくなっていきました。