「空を飛びたい」という夢を形に。ハンググライダー選手の僕が目指すこと。
ハンググライダーの選手として世界選手権でメダルの獲得を目指す傍ら、 「空の伝導師」としてハンググライダーの普及活動を行う鈴木さん。「空を飛びたい」という思いを抱いた少年が、夢を形にしていくまでのストーリーを伺いました。
鈴木 由路
すずき ゆうじ|ハンググライダー選手
ハンググライダーの選手として世界選手権でメダルを獲得することを目標に掲げる一方で、
空の伝道師として、体験活動等を通じて、ハンググライダーの魅力を伝えている。
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空を飛びたい
小さい頃から、「空を飛びたい」という思いがありました。
小学生の時に見た『風の谷のナウシカ』で「メーヴェ」と呼ばれる、
羽だけの乗り物が空を飛ぶシーンがあり、すごく憧れたんですよね。
いつしか、寝ている時も空を飛ぶ夢を見るようになっていきました。
中学・高校は兄や友人の影響でバスケットボール部に入りながらも、
空を飛びたいという思いはずっと持ち続けていました。
ちょうどスカイダイビングを紹介するテレビ番組を見て、漠然とインストラクターになりたいと思うようになったんです。
そんな中、高校3年生になり大学受験のための勉強をしていた時に、
勉強の合間でふらっと足を運んだ多摩川で、パラグライダーの練習をしている人に出会った
んです。
すごく関心を持ちながらも、ビビリな性格から声をかけられず、
横で体育座りをして、30分程練習の様子を見ていました。
しかしそのうちに、いてもたってもいられなくなり、
「それって、空を飛ぶものですよね」
と思い切って話しかけてみたんです。
そしてお話を聞くうちに、その魅力に惹かれ、
「これをやりたい」と思うようになっていきました。
その後、もっとパラグライダーについて知りたいと思い、インターネットで検索してみると、
ハンググライダーという乗り物を見つけたんです。
その瞬間、
「僕が求めてたのはこれじゃん」
と思いました。
昔、アニメで見た羽だけの乗り物がそこにはあったんです。
飛行機のパイロットのように、決められたコースしかいけなくて、
風を感じれないものには興味はなかったんですよね。
だからこそ、ハンググライダーは、風を感じながら自由に飛ぶというイメージに完全に一致したんです。
それから、ハンググライダーのサークルがある大学に入ろうと決め、
条件に合う大学を探し、入学を決めました。
ハンググライダーに打ち込む日々
大学に入学してからは、迷うこと無くハンググライダーサークルに入りました。
初めて、ハンググライダーに触ったときは、
「これで空を飛ぶんだな」
と思いましたね。
いきなりは飛べないので、最初は足が浮くまで、練習をしていました。
そして、うまくいって、足が浮いた瞬間、自分に羽が生えた気がしたんです。
「おー!!」と興奮しましたね。
その後、山の上から飛べるようになり、毎週末には空を飛ぶ生活となりハンググライダーに打ち込む日々でした。
サークルの仲間でどれだけ本数を飛んだかを競うことも多かったです。
そんなある時、他大学のサークルの“ミッチー”という先輩が大会に出場するという話を聞いたんです。
僕は同世代の中でも、ハンググライダーがうまい方だったので、その先輩を超えたいと思い、
後を追いかけるようになりました。
ミッチーが大学を休学して、世界中を転々としながら、ハンググライダーをすると聞いて、
負けられないと思い、僕も休学をすることに決め、
昼は、ハンググライダーをして、夜はバイトという生活を始めました。
そして、休学中の最後にはミッチーと合流してオーストラリアの大会4つに出場し、世界の技術を学んできました。
また、ミッチーが「学生の間に世界選手権に出場する」という目標を立てたという話を聞いてからは、
「じゃあ、僕も目指そう」
と思い、学生最後の年の世界選手権のプレ大会で上位30位以内に入り、
なんとか日本代表になることができたんです。
手の届く範囲にそうやって高みを目指す人がいたことで、
すごく刺激を受けていましたね。
なんでみんなやらないんだろう?
大学の卒業を控えると、進路に迷っていましたが、ハンググライダーを続けることは決めていました。ちょうど、出場を決めた世界選手権を社会人1年目に控えていたので、趣味等に寛容で、有給休暇がとりやすい会社を探し、就職することに決めました。
それからは、土日や有給休暇をとりながら、大会に出場するようになりました。ますます、ハンググライダーに熱中していきましたね。
風を使って空を飛び、上昇気流に乗って高度を上げることができ、高度2000mから見る景色は、地球が丸いことを体感します。また、雲の上で見るブロッケン現象は、感動体験そのものです。とんびと一緒に上昇気流を捕まえる時は野生動物と遊んでいる気分。地球が作り出す“自然”に遊ばせてもらっているという感覚です。
また、そうやって魅力を知れば知るほど、「こんな楽しいスポーツなのに、なんでみんなやらないんだろう」という気持ちが芽生えるようになっていきました。
誰しも、空を飛ぶことに憧れがあると思ったんですよね。いつしか、ハンググライダーを普及させたいという気持ちを持つようになっていきました。
そう考えるようになってからは、大会に出場するだけでなく、普及活動を行うために、会社を辞めることに決めたんです。そんなに寛容な会社中々ないと、周囲からは反対を受けましたが、決心は変わりませんでした。
空の伝道師
会社を辞めた後は、選手として世界選手権でのメダル獲得を目指す傍ら、
ハンググライダーを普及させるために、Webラジオやイベントに参加し、
その魅力を伝える活動を始めました。
初めのうちは狭い範囲での活動が中心だったのですが、
株式会社マルハンが主催するマイナースポーツのアスリートを支援するプロジェクト「マルハンWorld Challengers」に挑戦し、
見事スポンサーになってもらえることになりました。
それからは、メディア・イベントの活動範囲を少しずつ広げていくことができています。
また、「空の伝道師」としてハンググライダーを普及させるために実際に体験してもらう活動も始めました。
「空を飛ぶ」ということを多くの人に伝えていきたいんですよね。
しっかり練習すれば、すばらしい景色が見れること、100kmだって飛べるということを知ってほしいんです。
普通に生活をしていてハンググライダーに触れるのはテレビ番組等が多いのですが、
危険な事故の映像なども多く、危ないイメージをもたれがちです。
しかし、ルールを守れば、全然危なくないんですよ。
むしろ、風に乗ることで、自然と遊べるんです。
そんな感動を、たくさんの人達に知ってほしいですね。
そういった活動を通してハンググライダーをする人・見るファンを増やし、
いずれはハンググライダーというスポーツが、
スノーボードやスキューバダイビング等のメジャースポーツの1つになってほしいですね。
2014.07.29