子ども達に色々なスポーツの選択肢を。元陸上選手の僕が「かけっこ」に込めた思い。
元陸上選手の経験を活かし、子ども向けに「かけっこ」のスクールを開く菅野さん。100m走、200m走の日本代表、日本ランキング2位という輝かしい成績を残し引退した後、どんな思いで「かけっこスクール」を立ち上げ、何を目指すのか、晴れ空の中お話を伺いしました。
菅野 優太
かんの ゆうた|かけっこスクールのコーチ
地元千葉県成田市でかけっこスクールを運営。
また、震災復興支援や陸上競技のイベントにも取り組む。
並行して慶應大学ラグビー部のコーチも務めている。
日本一を目指した陸上生活
中学・高校・大学と、ずっと陸上一本の生活でした。
中学3年生の時には地元千葉の県大会で準決勝敗退という成績を残すことができ、その大会での成績が評価され、高校に進学するタイミングで、2つの高校からスポーツ推薦のお話をいただけたんです。
そこで、高校のどちらに進学するか悩んでいたところ、一方の高校の顧問先生の方から、「日本一を目指そう」という言葉をいただいたんです。
正直、それまでは日本一なんて考えもしていないことでしたが、お話をさせていただく中で面白そうだなと感じるようになり、その高校に入学することを決めました。
高校に入学してからは、練習を重ね、高校2年の時に関東大会で優勝することができました。それからは、より一層本気で日本一を狙うようになりましたね。途中でけがなどのハプニングもありながら、陸上に全力を注いだ日々でした。
そのまま、大学にも陸上推薦で入学しました。ちょうど大学2年生の時にシドニーオリンピックがあったのですが、自分と同期の選手が、日本代表としてオリンピックに出場していたんですよね。
個人的にも、その選手にずっと勝ちたいと思っていたのですが、ずっと勝てずにいたんです。大学4年生の全日本インカレでも2位で、またその選手の下で終わってしまいました。
それでも、日本一を目指して陸上を続けようと決め、大学を卒業後は、地元の町役場で働きながら、選手として陸上を続け、大会にも出場していました。
引退レース前の涙
社会人になってからの大会では、100mの日本ランキングで2位という所まで成果を出せたんです。そこで、この成績ならどこでも雇ってもらえると思い、思い切って2年間務めた役場を辞めることに決めました。
ところが、勢いよく飛び出していったものの、どこも雇ってくれなかったんですよね。段々と危機感を感じ始め、本格的に就職活動を始めました。
その後、200社以上応募したのですが、ほとんど落ちてしまったんです。スポーツ選手が就職活動なんて聞いた事もありませんでしたが、今後伸びる業界等を考え、実際に会社を検索し、といった日々でした。
最終的に、ある会社の面接で、「会社キャラクターのコスチュームを着て、走れますか」という質問をされたのですが、「なんでもします」と答えたんです。もう後がなかったので、必死でしたよ。
すると、担当の方に面白がってもらい、なんとかその会社に入社することができたんです。
結局その会社では、5年間陸上選手として日本一を目指しました。大会にも精力的に出場し、日本選手権では最高で3位という成績も残すことができました。
しかし、日本一になることはできないまま、引退を決めていたレースを迎えたんです。
最後のレースの決勝の前、僕はトイレで泣いていました。競技人生を通じて、自分を信じることができなかったんです。
「1位になれない」と、自分で思っていたんですよ。
でも、そんな思いで涙を流した後は、どこか気持ちが吹っ切れたような気がしました。そのまま、自分を信じて最後のレースに臨み、現役の選手生活を終えました。
陸上を教えたい
現役を引退した後は、漠然と陸上を教えたいと思うようになりました。「それならば選択肢は教員しかない!」と思い、高校の教員になることにしたんです。
実際に専任教師として働き始めると、希望どおり陸上部の顧問になることができました。それからは、部活で陸上を教えることに熱中しましたね。
ところが、ある放課後、いつも通りすぐ部活に向かおうとすると、他の先生から、「とりあえず、30分ぐらいここに座って待っててください」と言われたんです。他の先生から見た時に、私が部活だけに熱中しているように見えるのを避けるためだったんですよね。
その時、「陸上を教えるために教員になってよいものなのだろうか?」と考えるようになってしまいました。僕は、陸上を教えることが仕事だと思っていたんですが、違ったんです。それは自分で勝手に考えていたことだと気づいたんですよね。
同時に、「やっぱり陸上が好きで、陸上に関わる仕事をしたいんだな」と思い、教員を辞めることに決めました。
「スポーツは不謹慎じゃない」
教員を辞めてからは、子ども達に陸上を教えるため、陸上選手を集めてイベントを開くようになりました。
実際に、子ども達に陸上選手と対決してもらう用なコンテンツも用意し、企画段階では、トップアスリートがいるからスポンサーがすぐ着くと思っていたんです。
しかし、実際に初めてみると、そんなにうまくはいきませんでした。「陸上」というスポーツの人気はまだまだなんだな、と痛感させられましたね。
その後も継続的にイベントなどの運営をしていたのですが、そんなタイミングで、東日本大震災が起こりました。世間では、「震災があったのにスポーツをするのは不謹慎だ」という風潮が起こったような気がしました。
そこで、「スポーツは不謹慎じゃないんだ」という思いから、かけっこのイベントを無料でやることに決めたんです。
かけっこは誰でもできるし、「かけっこ」と言ったほうが、子ども達が気軽に来ることができると思ったんですよね。(笑)すると、100人以上もの子ども達が集まってくれ、イベントはすごく盛り上がったんです。
その後、イベントの延長で、子ども向けに、有料でかけっこのスクールを開こうと思い立ちました。
しかし、実際にスクールを設立してみると、子どもが1人しか来なかったんです。そもそも、かけっこにお金をかけてくれる人が少なかったし、指導方法も確率できていなかったんですよね。
それでも、せっかく1人来てくれたので、その子ためにもスクールは続けました。僕自身、お金もなかったので、バイトをしながらスクールでかけっこの指導を行う日々でした。
初めこそそんなスタートだったのですが、スクールを続けいくと、だんだんと子ども達が集まってきたんです。サッカーや野球を習っている子達が、それらのスポーツと一緒にかけっこを習いに来てくれていました。
そうやって人が増えてきたのは嬉しかったのですが、この子ども達が成長していったときに、他のスポーツと陸上を両方やり続けるのかどうか、疑問に思うようになりました。
実際、陸上を小学校からやっている陸上選手はあまりおらず、違うスポーツしていて、どこかのタイミングで陸上を選んでいる選手が多いんです。子ども達は最終的に1つだけするスポーツを選ぶんですね。
だからこそ、「なぜ2つのスポーツを両方続けたらいけないんだろう?」と思うようになりました。
アメリカのように、アメフト選手兼陸上選手という選択もあっていいと思うんですよ。かけっこはどんなスポーツにも繋がることもあり、そんな思いを持つようになっていったんです。
子ども達にいろんな選択肢を
最初は1人から始まったスクールも、現在は50人程にまで増えました。また、並行して、大学のラグビー部の走るトレーニングのコーチとしても働いています。
ラグビーは全く知らなかったのですが、実際に近くで携わってみると、すごく面白いんですよ。やっぱり、関わってみないとわからないことが多いんだな、と再確認しましたね。
だからこそ、どの競技にも通じる部分がある「かけっこ」を通して、子ども達には、いろんな競技に興味を持ってほしいという気持ちがあるんです。
そして、もっと言えば、実際に見に行って、色々なスポーツのファンになってほしいです。それがスポーツ選手達を応援することになりますし、ファンがいないとスポーツ選手は成り立たないんですよ。
子ども達にかけっこを教えることを通じて、陸上だけでなく、いろんなスポーツに興味を持ってもらい、選択肢をたくさん持って、スポーツに取り組むことで、スポーツ自体の盛り上がりにもつなげられたらと思うんです。
2014.07.29