活力となるコンテンツを多くの人に届けたい。才能のない僕が諦めない理由。

小説やビジネス書などを音声データ化した「オーディオブック」の制作と配信を行うオトバンク社長の久保田さん。「自分は何をやっても才能がない」と語りながらもビジネスやマラソンで結果を出し続けている背景には、どんな過去があったのでしょうか。お話を伺いました。

久保田 裕也

くぼた ゆうや|音声コンテンツプラットフォーム運営
音声コンテンツ「オーディオブック」の制作、配信を行う株式会社オトバンクの代表取締役社長。
フルマラソンの記録は2時間42分56秒。

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株式会社オトバンク
久保田裕也ブログ「世界最速への道」
 

なんで僕は生きているんだろう


小さい頃から、何をやっても才能がなかったんですよね。「ガンタンク」のような太った体つきで、手先も不器用かつ左利きで、鉄棒もブランコもおにごっこも、何をしても全くできませんでした。

学年で一番足が遅く、自転車にも乗れず、勉強もできず。1000m走の時なんて、まさかの2周遅れでゴールする時には「よくゴールした」と拍手喝采で、恥ずかしくて死にたいと思ってましたよ。色々なことに絶望しつつも死ぬ勇気はなく、独りでいることが多かったですね。

ただ、自転車に乗れなくて「一生このままなのか?」と考えた時に、絶対そうじゃないと思ったんですよね。親は乗れないなら無理しなくて良いと言ってくれたのですが、どうしても補助輪なしで自転車に乗りたくて、毎日父親が仕事から帰ってきた後、それこそ夜中の11時くらいから特訓してもらっていました。

それくらい、他の人が普通にできることが自分にはできなかったんです。そのため、自分には才能がないから普通の人と同じことをしても絶対に追いつけない、他の人がやっていない時に愚直にやり続けないと、みんなに置いていかれると考えるようになっていきました。

勉強もできなかったのですが、塾に行くのがきっかけで、周りについていけるようにひたすら量をこなしていましたね。

自分への約束


中学校からは、進学校である中高一貫の私立校に通い始めました。何もかも他の人よりできなかったため、努力することにエネルギーを要していたのですが、頑張ることに疲れてしまい、元々好きだったラジオにのめり込んでいきました。

ラジオを好きになったのは、父の影響でした。小さい頃、父がよくドライブに連れて出してくれたのですが、車の中では父が好きなブルースやロックばかりを聴かされ続け、正直飽きてしまうんですよね。ただ、2時間もすると流す音楽もなくなりラジオに切り替えていたのですが、それがとてもレアな音源に感じて、これがきっかけでラジオに興味を持つようになっていったんです。家に引きこもっていて、ラジオが話し相手みたいな状態でしたね。

中学生になるとラジオを3台並べて同時に3番組聴くなんてこともしてましたし、高校生の頃は好きな番組を聴くついでに勉強して、番組が朝方終わると寝るみたいな生活でした。

そんな感じで勉強してたからか、大学受験ではどこにも合格することができませんでした。進学校で、クラスによっては東大や医学部に行くのが当たり前みたいな学校だったのですが、私立大学にも引っかからず、浪人したのはクラスで5人だけだったので流石に焦りましたね。

浪人中は考える時間が多く、自分はこのままで良いのか、ドロップアウトして別の道を歩む人生もあるんじゃないかと、色々なことを思いました。ただ、このまま頑張りもせずに大学に行けなかったら、高いお金を払って私立に行かせてくれた親に申し訳が立たないと思ったんですよね。

本気で挑戦してダメなら諦めがつくし、勉強が苦手なのはわかっているから、人生でこれだけ勉強するのは最後だと思って、それで一番になれなかったらカッコ悪いと思ったんです。もし合格できなかったらみんなと同じ道は諦め、お笑いの養成所に入ろうと考えていました。

過去の自分と決別するために必死に勉強し、東大に合格することができました。

価値観の崩壊


大学では勉強は周りの人には敵わないと思っていたので、バイトやサークルの活動に精を出していました。サークルでは代表になり、バイトする余裕がないくらい忙しかったですね。

その後、就職活動では外資系企業を中心に見ていました。ラジオは相変わらず好きだったのですが、自分にとっては神聖なもので就職先だなんて考えられませんでしたね。父親は公務員家系で、母親は実業家家系だったのですが、自分にはどちらも合わずサラリーマンとして企業で働くのがベストだと思っていたんです。

特に、母方の実業家の人たちはとても苦労しているのを見ていたので、あまり良い印象を持てず、ゼミの同期で既にオトバンクを創業していた上田に対しても、最初はポジテイブな印象ではなかったですね。

しかし、就活後に上田に頼まれオトバンクを手伝っていくうちに、そのイメージは変わっていきました。売上もほとんどない時期でしたが、目指していることは間違っていないと感じられたし、やればやった分だけ事業は前に進んでいき、その中で得られた充足感って人間としてすごく自然なことだと感じたんですよね。

その一方で、就職活動ではコンサル企業から内定をもらうことができたのですが「4月から働き口に困らなくて良い」という安堵感しか残りませんでした。面接が終わるたびに本心を言えていない違和感があり、何のために自分を繕うのか、なぜそこまでして働かなければいけないのか、分からなくなっていたんです。

ベンチャーで感じた人としての自然な感情と、コンサル就活で感じた違和感との間で、自分の価値観が崩壊してしまい、軽い鬱のような感じになってしまったんですよね。

独りになり考える時間を取るため、大学4年の秋にバックパックを背負い一人旅をすることにしました。

生きる活力としてのコンテンツ


一人旅では、ゆっくりと考える時間が取れたと共に、「日本のコンテンツ」の力強さを感じました。旅をしていると行く先々の国の人が、日本の文化だけではなくアニメや映画の話をするんですよね。中にはその日本のコンテンツを糧に生きている人もいて。

特に、ブルガリアからルーマニアに半日くらいかけて越境する電車に乗った時に、すごく印象に残っていることがありました。コンパートメントの席でホームレスと出会ったのですが、その人は黒澤明監督の作品の魅力をひたすら語っているんですよ。さらに、黒澤明に影響を受けたパフォーマンスでその日暮らしの生計を立てていて、その時もパフォーマンスをするためにウィーンに向かっている途中とのことでした。

これは衝撃でしたね。ブルガリアは失業率が高く、この人は黒澤明作品に出会わなければ職がなかったかもしれないし、もしかしたらお金のために犯罪を起こしていたかもしれないし、死んでいた可能性もある。

自分自身も同じで、小さい頃からずっと「なんで生きているんだろう」と思いながらも、マンガや哲学書やラジオなどのコンテンツがあったからこそ「とりあえず生きてても良いかな」と思うことができていて、コンテンツに生かされていたんですよね。この時に、自分よりうまくコンサルタントとして仕事をできる人はいるかもしれないけど、コンテンツをどうしていきたいか、荒削りでも必死に考えられる人は自分以外にはあまりいないんじゃないかと思ったんですよ。

こうして、入社1週間前にコンサルの内定を辞退して、多くの人にコンテンツを届けられるオトバンクに新卒社員として入社することに決めました。

コンテンツを届ける


オトバンクに入社して2ヶ月くらいした頃に、このままでは半年ほどで資金が無くなりつぶれてしまうことが分かりました。

入社して間もない私が事業計画を立てたり資金調達を担当することになり、半年間必死に動き回りなんとか投資をもらえることになりました。しかし、そのままの当時の体制では会社が良くならないことが明確で、投資してくれた方々にも申し訳が立たない状況でした。

この時、大きく組織体制を変え、私も取締役になり、今は創業者の上田と瀧本との3名を中心として経営しています。会社のステージによって経営陣に求められることも違い、3人それぞれの得意分野も違うので、時期によって役回りやポジションを変えながら進めていて、今は私が社長として経営を行っています。

私たちはビジネス書や自己啓発本、小説などを音声化した「オーディオブック」を配信するサービスを運営しており、配信作品1万点、ユーザー数11万人を超えてやっと3年くらい前から商売としての土台ができたところです。

これからはこの「音」の市場をもっと広げて、より多くの人に良質なコンテンツを届けていきたいと考えています。音って映像や文章と比べると、良く見せるための表現方法に制限があるのですが、だからこそ、ものごとの本質を伝える表現として可能性があると思うんです。本という形でコンテンツを消費する人にも、音という形にも触れてもらえるようにしていきたいですね。

また、音であれば目が不自由な方にも作品を届けることができます。「本が大好きだけど目が見えなくなり、死のうかと思っていた時にFeBe(オトバンクのオーディオブック配信サービス)に出会って生きようと思った」とお客様からお声を頂けたこともあり、もっと多くの方に生きる源泉となるコンテンツを届けていけたらと思います。

さらに、今は本になっている作品をオーディオブック化するのがメインですが、将来的にはオーディオブックから書籍化されるコンテンツが出てきてもいいんじゃないかと思っています。作品を作れる才能ある作家は、書籍の表彰から出てくることが多いのですが、才能が生まれる場所はもっと種類があっても良いと思うんです。

そして、様々な形で発掘された作家が作る1つのコンテンツを、本や映画やオーディオブックとしてそれぞれの形に合うように再利用していけたら、より多くの人に届けられると考えています。

そうやって良質なコンテンツを様々な形で届け、かつ作品を作る人が生まれるインフラを整えていきたいです。先の話ですが、ブルガリアで出会ったホームレスの人にもコンテンツを届けられるくらいインフラを拡大して、いつか彼と再会したいと思います。

才能のない自分が結果を出す姿


また、個人としては社会人になってからマラソンを始めました。ずっと太っていましたが、社会人になってからは不摂生が続き一段と太っていき、「このままでは確実に病気になる」と医者に言われたんですよね。

それがきっかけでランニングを始め、走るのは大の苦手でしたが、続けるうちにどんどん走れるようになってきて、今ではマラソンも3時間を切るペースで走ることができるようになりました。

体型も変わり、一番太っていた時より25Kgも痩せたので、学生時代の友だちに会うと誰だかわからないとよく言われます(笑)

最初は健康のためでしたが、今は「才能がなくても変われる」とうことを言葉だけでなく、結果として示していくために走り続けることを決めています。週6で走っていて、台風でも雷でも絶対に走ることにしています。元々走るのが得意なわけではないので、人がやっていない時に練習しないと追いつけないですからね。

私は経歴や結果だけを見れば、東大を卒業し、会社の社長をやっていて、マラソンでも経営者最速と言われますが、子どもの頃から本当に何をやってもできなかったんです。

そんな私だからこそ、才能がなくてもやり続けたら結果を出すことができるということを、自分自身の姿を通じて若い人に伝えられたらと思います。

2014.07.25

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