多様な生き方の「受け皿」を作る!人口700人の村で僕が見つけたもの。

山梨県小菅村にて地域文化の継承のための活動を行う森さん。システムエンジニアとして働く中で「人のつながり」の希薄さへの課題感を感じたと話す森さんが、「地域文化」に見いだした「幸せ」の要素とはどんなものだったのでしょうか?

森 弘行

もり ひろゆき|地域おこし協力隊 兼 NPOスタッフ
総務省の「地域おこし協力隊」制度を利用して山梨県小菅村に移住し、村のNPOで地域活性の仕事をしている。

文化祭実行委員長から合唱サークルの指揮者に


中高の頃からチームで活動することにやりがいを覚えるタイプでした。来場者が1万人を超えるような文化祭を開く中高一貫校に通っていたのですが、もともとお祭り好きだったこともあり、中学1年生からずっと文化祭の実行委員を務め、高校2年になると、実行委員長も務めるようになりました。

自分が委員長を務めた時は、とにかくみんなが当事者として楽しめるものを作りたくて、委員の数も露店の数も歴代1位となる規模の文化祭をしたんですよね。皆が一生懸命になれる場所をつくることに、大きなモチベーションを感じました。

ただ、さすがに同期の委員が70名もいると、周りが何を考えているか分かりにくいこともあり、もう少し小さい規模の組織に携わりたいという思いから、大学では合唱のサークルに入りました。自分自身は音痴だったので、最初から合唱にこだわっていた訳ではなかったのですが、サークルの仲間や、アットホームな雰囲気に惹かれたんですよね。

もともと、大学の期間はモラトリアムだと思い、好きなことをやろうと思っていたので、あまり勉強はせず、もっぱら生活の中心は合唱になっていきました。指揮者をやりながら、歌も練習していましたが、それでもうまくはなりませんでしたが。(笑)

人の顔が見えない働き方


大学院に進学しモラトリアムを満喫した後、就職活動を始めました。もともとデジ物が好きでエンジニアに関心があったのですが、これまでの経験を活かして、チームワークを活かせるような会社に行きたいな、と思うようになりました。やはり、文化祭や合唱のイメージが強く、積み重ねたものの結果としてのチームワークを志向していたんですよね。

いくつか会社を回る中で、銀行系のシステムを作る大きな会社に出会い、プロジェクト型の働き方や、「多くの人に貢献できるんじゃないか」という思いから、入社を決めました。
 
実際に入社してから3年位はとにかく学ぶことがたくさんありましたね。「新しいことをやってやるぞ!」という気持ちもありましたし、寛容な上司にも恵まれ、忙しさはあったものの、全く苦でなく、楽しい毎日でした。

ところが、その後課を移動してから、少しずつ仕事に違和感を感じるようになったんです。仕事の進め方が合わないということもありましたが、何より、忙しいプロジェクトに配属された仲間がすごく苦しそうだったんですよね。

「大変そうなのは見れば分かるのに、なぜタスクを振るんだろう?」という疑問を持つような仕事の進め方で、人の顔が見えない、工程管理表で人をとらえるような働き方に、共感できなかったんです。だんだんと、会社に息苦しさを感じるようになっていきました。

「地域の文化」がもたらす幸せ


そんなモヤモヤを抱えていた頃、たまたま私のマンションで孤独死した方がいたんです。話を聞いてみると、なんと2ヶ月間もマンションの住民に気づかれなかったとのことでした。仕事で抱えている悩みも相まって、「人のつながりの希薄化」に対しての課題感が、だんだんと強くなっていったんです。

そんな背景もあり、本で読んだソーシャルビジネスに関心を持つようになり、働きながらソーシャルビジネス関係の学校に通うことに決めました。そこで色々な人に出会う中で、仕事の先に思い描いた社会があることを、すごくうらやましく感じたんです。システムエンジニアの仕事と私が描く幸せは、繋がっていなかったんですよね。

そんな時、たまたまスタディツアーで、出身地とは別の地方(特に都市部から地方)に移り住む、「Iターン」と呼ばれる現象で注目を浴びていた、島根県隠岐郡海士町を訪れる機会があったんです。

そこで実際に現地で暮らす方と接していく中で、年収は都会の半分ほどの水準ながら、すごく幸せそうに見えたんですよ。「個人の自由な時間」「人と人とのつながり」「自然との共存」といった、地域の文化が幸せをもたらしているように感じられました。

そして、そんな文化こそが、効率化を押し進めたような「都市」には必要なんじゃないかと感じたんです。それ以来、地域に関わる仕事がしたいと考えるようになり、詳細なプランができる前に、会社を辞めることに決めました。会社を離れることに、迷いはありませんでしたね。

その後は、「自分の持っているスキルを地域に活かす」という観点から、これまでのような大規模システム向けの技術でなく、転用の効きやすい技術を学ぶため、web製作会社で働きました。

転職する際には、1年で地域関連の仕事に移る前提で、正社員ではなくフリーランス契約で働き、並行で準備を進めていきました。有機農業を学んだり、NPOでのインターン等も行い、情報収集を進めていましたね。

そんな折、「地域おこし協力隊」という総務省の取り組みのフェアで、山梨県小菅村を知ったんです。東京からそこまで離れていないにもかかわらず、もともと漠然と考えていた「家の隣が家でないくらいの田舎」という条件を満たしていて、何より、一緒に仕事をしてみたいと思える人がたくさんいたんですよね。

私は、総務省の制度を利用して、東京を離れ、地域おこし協力隊として小菅村に移住することを決めました。

多様な生き方を受け入れる「受け皿」に


小菅村は人口が700人程度で、コンビニはもちろんスーパーも近くにないんです。ところが、イメージ通りの「お互い様」の文化があり、ご近所さんから色々な物をいただけるんですよね。「やっぱりそうか!」と、なんだか欲しかったものを見つけた感覚でした。
 
今は、NPOの活動として東京農業大学の実習や「源流体験」と銘打った小学生向けの環境学習を行いながら、新しい活動として村の休眠施設を短期滞在型のサテライトオフィスとして運営したり、メンタルヘルス事業を行っている企業と一緒にストレス解消ツアーを企画したり、村のネットショップの製作といった取り組みを行っています。

そういった取り組みを行う中で、農村の景観、そして文化の継承をしていきたいという思いは非常に強くなりました。特に、私が大事にしている「人と人とのつながり」や「お互い様」といった文化を、都市の「自己責任」の環境の中で育むのは難しいと思うんです。だから、地域の活動を通して、そういった価値観も含めて認められるような、多様な生き方を受け入れる「受け皿」を作りたいと考えているんですよね。

都市での生き方や働き方を否定するつもりはないんです。色々な生き方があって良いと思うんですよね。そして、その一つの受け入れ先として農山村があっても良いと思うんです。新しい環境で、そんなチャレンジができればと思います。

2014.07.18

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