テレビに代わる、新しい動画メディアを。「レール」への反発で抱いた、挑戦心。
「見たいときに価値ある動画に出会える」というビジョンのもと、ビジネスパーソン向けの動画メディア「Bizcast」を運営する渡邉さん。「一般的なレール」に反発を抱き、周りから変わり者だと思われながらもベンチャーに飛び込み、独立した背景には、どんな思いがあったのでしょうか?
渡邉 拓
わたなべ たく|ビジネスパーソン向け、動画キュレーションサービス運営
ビジネスパーソン向け、動画キュレーションサービス「Bizcast」を運営している。
Bizcast
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「一般的なレール」への反発
中学高校と、時間のほとんどをサッカーに費やしていました。
兄が受験していたのを見て面白そうだと思った文武両道の中学に入ったのですが、
サッカー部は弱小で、その中でも、じゃんけんで負けてキーパーをやっていました。
でも、練習するうちにどんどんのめりこんでいき、
チームの成績は相変わらず思わしくなかったものの、個人では選抜にも入り、
高校からは「サッカー選手になる」と言っていましたね。
純粋にサッカーへの情熱もありましたが、
高校2年生頃から、大学に行く意味が分からないと思い始めたことも、一因としてありました。
昔からひねくれた所があり、まじめで優秀な兄と妹に挟まれて、
「一般的なレール」への反発が大きかったんですよね。
「お前らそれ楽しいの?なんでやってんの?」
と斜に構えて、よく家族を困らせていました。
親からすれば一番手のかかる子どもだったと思います。
ところが、進学校だったこともあり、やっぱり親や先生に大学を強く勧められたんですよね。
「じゃあやりたいことはあるのか?」と聞かれ、
「サッカー選手になる」と言ってはいたのですが、結局丸め込まれる形で大学を受験することになりました。
理系に行けば文系に移ることもできると言われたので、1浪して慶應大学の理工学部に進学することに決めたんです。
物理が7点・化学が4点という状況からのスタートだったので、かなり苦しみましたが。(笑)
世の中をどれだけ動かせるか
大学に入ってからもサッカーを続けたいという気持ちがあったので、
高校の部活仲間に誘われて、大学の中でも一番強いサークルに入りました。
それからは本気で日本一を目指し、サッカー漬けの日々でした。
サークルではOB含めた先輩方と接する機会も多かったのですが、
慶應で伝統のあるサークルに入っているということで、皆大企業に就職して、
いわゆる「順風満帆」感があったんですよね。
でも、それは自分たちの力では無いような気がして、なんだか違和感を持ち続けていました。
3年になってサークルを引退した後は、就職活動の説明会等も参加したのですが、
給料やキャリアパスの話を聞いても、全く面白くなかったんです。
それよりも、世の中をどれだけ動かせるかに関心がありました。
そして、説明会で前に立つ人たちからは、世の中を楽しくしていくイメージが持てなかったんですよ。
ちょうど、研究室への関心があったこともあり、
学部のタイミングで就職することは辞め、大学院に進学することに決めました。
大学院に進学してからは、勿論研究もやっていたのですが、
日本一を目指し打ち込んでいたサッカーがなくなってしまったこともあり、
エネルギーが有り余っていました。
そこで、まずはバイトをしようと色々探してみたのですが、探すうちに、
「どうせお金を稼ぐなら、バイトではなく、自分で何かビジネスをした方が勉強にもなるんじゃないか」
と思うようになったんです。
思い立ってからは友達に声をかけ行動に移し、海外用携帯のレンタルサービスなど、
スモールビジネスでお金を稼ぐようになりました。
最初はバイト+αという感じだったのですが、
ある時、シリコンバレーに行く機会があり、そこで考え方が変わったんです。
まず驚いたのは、日本とのスケールの違いでした。
チームは小さくても、社会を変えようという人が沢山いて、
いつしか自分もそんな風に挑戦したいと思うようになっていったんですよね。
卒業後はそのまま起業という選択肢もあったのですが、
シリコンバレーに行って以来、産業へのインパクトの大きさから、電気自動車に関心を持っていたため、
資本的にも、チャレンジするのには会社の新規事業の方が良いと思い、
就職活動を経て、あるベンチャー企業に入社を決めました。
そこでは、内定式の時に社長に「電気自動車の事業をやりましょう」と提案したところ、
興味を持ってくれたんです。
「チャレンジのタイミングかな」
サークルでも研究室でもベンチャーに行く人は少なかったので、
周りからは、なんか変な奴だと思われていましたね。
それでも自分の中では、ベンチャー企業で働き、いつか独立することは心に決めていました。
入社後は元々の予定通り、新規事業の立ち上げを社長と二人でやらせてもらうことができ、
すごく勉強になりました。
幅広く事業作りに必要なことを色々と経験させてもらえたのは、貴重な経験でしたね。
新規事業で取り組んでいたのは、電気自動車のカーシェアリングの事業であったため、
時間がかかるものではありましたが、2年ほど経つと、事業の標準化を進めたことで、
自分がいなくても回るようなフェーズに至ることができました。
個人的にも、30歳が目前に近づいていたことで、
「チャレンジのタイミングかな」
と思うようになったんです。
やはり、30歳の前と後だと、社会からの見方も変わるし、
今の方がリスクがとりやすいという感覚があったんですよね。
元々一番挑戦したかった、電気自動車のメーカー立ち上げに向け、
僕は会社を辞め、独立することに決めました。
「なんだこれは、ありえない」
退職後、ビジネスパートナーを見つけ、事業のための調査を進めていたのですが、
より深く調べていくうちに、参入ハードルの高さに、
どうしても超えられない壁を感じたんですよね。
また、個人的な関心から、電気自動車のプロジェクト以外にも、
ビジネス関連の動画をまとめたメディアをテスト的に作っていたのですが、
実験的に一日で作ったサイトが、一週間でありえないくらい多くのアクセスを記録したんです。
もともとスキマ時間にビジネス関連の動画をよく見ていたのですが、
自分で見たいと思ったときに、面白いものに出会えないのが不満だったんですよね。
YouTubeだとなんと検索すれば良いか分からないし、テレビだと時間や場所に制約される。
そんな経緯から、既に存在するビジネスパーソン向けの動画コンテンツを、
人力で選別し配信する、キュレーションメディアを作ったのですが、
サイトをオープンした後は、ドラゴンボールのスカウターが壊れるような感覚でした。
急激にアクセスが伸び、
「なんだこれは、ありえない」
と思いましたね。
人の生活が変わり、社会が変わっていくようなインパクト
その後、公式パートナーとのアライアンスも決まり、本格的に動画のサービスに注力しようと決心しました。
正直、電気自動車に関しては、5年から10年スパンでビジネスにしていこうという構想だったので、
全く対照的な動画メディアの成長の仕方には驚かされました。
最初はアナログで動画を集めていましたが、
現在はチャネル元との連携も行い、コンテンツの拡充に力を入れています。
目指す姿は、「見たいときに価値ある動画に出会える」というものなので、
まだまだ今の形では満足いっていません。
今後はアプリのリリースも控えていますし、下降気味になっているテレビにとって代わるような、
新しい動画メディアを作っていくのが目標です。
やっぱり、根底には、人の生活が変わり、社会が変わっていくような、
インパクトが大きなものを作りたいという思いがあります。
これから先も、ずっと変わらずにそのための挑戦をしていきたいですね。
2014.07.14