自分の人生を生きると決めた人のとまりぎに。 居場所をつくり、自由に生きる人を増やしたい。

ライフコーチとして、その人が願う方向に人生の舵を切れるよう、背中を押す仕事をしている岡田さん。家族との時間を大切にするためキャリアをシフトし、ライフコーチとして独立することに。活動を通して実現したい世界とは。お話を伺いました。

岡田 学

おかだ まなぶ|ライフコーチ
1989年、群馬県生まれ。2012年、慶應義塾大学法学部卒業後、山田コンサルティンググループ株式会社へ入社。2019年9月より再エネベンチャーで経営企画に従事。2019年11月に結婚。2020年11月からコーチングスクールに通い始め、2021年1月末に退職し、個人の「居場所のポートフォリオづくり」を支えるライフコーチとして独立。「とまりぎ」をコンセプトに活動中。

人の内面のことは誰にもわからない


群馬県前橋市で生まれました。小さい頃から本に囲まれて過ごしました。言葉から広がる世界や、言葉の意味を知るのが好きでしたね。

父がエンジニアだったこともあり、パソコンにすぐに触れる環境にいました。小学校5年生の頃、ゲームの攻略法が載っているサイトをよく見ていて、自分でも作ってみたいと思いホームページを作ったんです。ゲームの攻略法や塾で学んだ勉強のこと、旅行日記など、自分の頭の中で考えていることを文章にして表現していました。

ストイックな性格で、何でもやるからには徹底的に打ち込みました。中学の陸上部では、怪我で思うように走れなかった時期がありましたが、筋トレやストレッチ、走り方のフォームの研究などに時間を費やした結果、最後の地元の大会で優勝できました。高校受験の時期には、毎朝4時半に起床し、全国の高校入試の過去問を解いてから登校していましたね。

幼い頃から身体が弱く学校を休みがちだったので、両親に心配させまいと、高校ではどんなに体調が悪くても登校すると決めて皆勤賞。学業の成績が下がったときは、「2週間でやってこい」と塾の先生に渡された分厚い参考書を3日でやり切って驚かれました。部活のギターマンドリン部でも、曲の練習に入る前に1時間の基礎練習を欠かさず行いました。

高校卒業後は、精神科医やカウンセラーなど、心にまつわる職業につきたいと考えていました。人の心に興味があったんです。自分自身、ストイックであることで成果が出て、外からみたら順調そう。でも、自分の内側では苦しんでいることもあって。多感な時期にコミュニケーションに悩むこともあり、心について学びたいと考えました。

ところが、第一志望だった心理学を学べる大学には受かりませんでした。進路を決めかねていたとき、両親に薦められ、法律を学べる大学に進学しました。

みんなのために自分ができること


はじめは法律に興味がありませんでしたが、学び始めると、法律は「解釈の学問」だと気がつき、そのおもしろさにのめり込みました。例えば、「人の権利が始まる」とはいつなのか。受精卵になったときなのか。母体の外に体が出てきたときなのか。言葉の定義を通じて、よりよい社会の在り方やルールを探っていくことがおもしろかったです。

法律の勉強をしながら、アコースティックギターのサークルにも入りました。上京して知り合いもいなくて不安でしたが、サークルでは好きなものの話をしたり、一緒に演奏したりするうちに、安心して大学生活を送れるようになりました。サークルが僕にとっての居場所でした。

代表にも選ばれて、今度はみんなにとっての居場所を作る番だと思いましたね。引退後も学年関係なく誰とでも仲良くしていると、気づけば自宅はたまり場になっていました。後輩からは、羽休めをするために気軽に立ち寄れるとまりぎのような存在だと言ってもらいました。僕が場所を用意することで、人と人が出会い、新しい価値が生まれる。そういった瞬間を目の当たりにし、心がわくわくする感覚がありました。

大学卒業後は、コンサルティング会社に就職しました。ゼミの仲間と夜遅くまで議論する時間が好きで、一つの課題解決に向けてチームを組んで働くことに惹かれたんです。
いろいろなプロジェクトに関わる中で、社内では「ミスター議事録」と呼ばれるようになりました。関係者が多いプロジェクトでは、みんな細かな情報まで知りたがるんです。一言一句タイピングしたあと、構造化して分かりやすく伝えることを心がけていましたね。

妻のキャリアと子育てを両立できるのか


コンサルティング会社で7年半ほど働き、29歳のときに、友人に誘われたベンチャー企業に転職しました。会社の看板に頼らずに稼ぐ力をつけたいと思ったんです。新規事業の立ち上げ、新しいチャレンジにわくわくしていました。

その会社は茨城にあり、平日は会社のある茨城、週末は家のある東京と二拠点生活も始まりました。新婚の妻と会えるのは週末だけで、モヤモヤすることもありました。そんな矢先、新型コロナウイルス感染症の拡大に伴い、在宅勤務になりました。

妻とずっと一緒にいられて嬉しいはずなのに、夫婦喧嘩をするようになってしまって。どうしてぶつかってしまうのか、6時間の家族会議を経てわかったのは、キャリアや子どもに対する価値観の違いでした。

僕は子どもがほしい。妻はキャリアを大切にしていて、出産や育児でキャリアが途切れることは避けたいと思っていました。お互いの願いを叶えるためにどうすればいいのか。僕の仕事を時間と場所に制限されないような働き方に変えることができれば、妻もキャリアを諦めずに、一緒に子育てできるかもしれない。そう考えるようになり、在宅でも稼げることを探すため、音声配信を始めることにしました。

毎日必ず投稿することだけ決めて、最初は夫婦喧嘩をテーマにして、だんだんと自分たちの気になる話題について話すようになっていきました。音声配信アプリはSNSのような側面があり、リスナーさんからコメントをもらえたり、配信仲間と繋いでライブ配信ができたりと、交流を深めることができます。「大人になってからも友達はつくれるんだ」と思いましたね。

次第に、自分の得意な「聴いて書くこと」でリスナーさんの役に立ちたいと思うようになり、毎月5人に対して1時間、1対1で相談に乗る壁打ち企画を始めました。相談を聴いて内容を書き起こし、構造化したものを渡していました。徐々に、自分がつくった場所で人と人とが繋がったり、新しい企画が生まれたりと、リスナーさんたちの居場所になっていくのが嬉しかったですね。大学生のときに感じた、居場所を作る感覚を、インターネット上でも感じられるんだと、実感できました。

配信を始めてから半年ほどが経った頃、アプリの運営会社が、配信者を応援するため支援金を渡す制度を始め、その第一号に選ばれました。自分の声一つで好きなことを喋り、それに対してお金をいただける。社会に出てから初めて僕個人として他者に認められた感覚がありました。

コーチになりたい


壁打ち企画は喜んでもらえていましたが、その場限りのことで、その後の人生に役に立っているのか気になるようになりました。その思いをラジオで話していたところ、コーチングを学ぶことを薦められました。コーチングに関する記事を読み、その数か月後、記事の執筆者がコーチングの学校をつくると聞き、すぐに申し込みました。

スクールでは、コーチングを実践する宿題がありました。そのとき、実際にコーチとして人と話している姿を妻が見て、「すごく生き生きしている」と教えてくれたんです。高校の進路選択の頃に感じていた、「人の心に真摯に向き合いたい」という想いと繋がりました。

基礎コースが終わり、応用コースにも進みました。応用コースは「ビジョン」がテーマ。コーチとして人のビジョンを探すとはどういうことなのか探求します。それを体感するために、僕自身も講師のコーチングを受けました。

すると、自分のビジョンとして「コーチになりたい」という言葉が自然と出てきたんです。僕と関わった人たちが夢を叶えて活躍している様子を、かたわらから見ている光景を想像してすごく幸せな気持ちになりました。

一方で、会社の仕事はうまくいきませんでした。成果が出せず、茨城に骨を埋める覚悟で家族ごと移住するか、会社をやめるか選んでほしいと言われてしまいました。妻は妊娠中で、出産まで3か月ほど。特に次の当てがあるわけではありませんでしたが、家族との暮らしを優先したいと思い、会社を辞めることにしました。

コーチとして独立する自信もなく、転職先を探していたのですが、出社が条件の会社ばかりでした。それではまた家族と過ごす時間について苦しむのではないかと悩んでいました。

そんなとき、妻から「あなたの人生にとってチャンスだと思う。思い切り挑戦してほしい」と背中を押されました。その言葉で、腹をくくって、コーチとして独立することを決めました。

居場所のポートフォリオをつくる


現在は、「とまりぎ」というコンセプトを掲げ、ライフコーチとして仕事をしています。ご自身の頭の中にあるものを話してもらい、考えや価値観などを整理するお手伝いをしています。

自分自身の願いに気づき、向き合い、前に進もうとすることは、痛みや苦しみを伴います。そんなときに、僕がとまりぎとして隣に居て、向き合い続けることで、安心して一歩踏み出せるようになると考えています。

コーチングセッションでは、言葉が相手に届くように、僕自身の心と繋がっている、嘘のない言葉だけを発言するようにしています。そのため、僕は自分らしく生きる義務があり、人生から逃げず、挑戦者であり続けたい。僕自身もコーチングセッションを受けており、大きな気づきを得られたり人生を前進させることに繋がったりした問いを、相手に投げかけています。

コーチングでのやりとりを通じて、一人では生まれなかった相互作用が働く。すると、よりよく生きるための気づきや挑戦する勇気が湧き、自分自身の願う方向に人生の舵を切れる。一人ではできなかった挑戦に一歩踏み出すと、新しい景色が見えて自信になる。そしてまた、願う方向に新たな挑戦を続けていくことができると考えています。

そういった願いが連鎖していく場所が居場所だと考えています。それは言い換えると、自分の命を使いたいと確信できる時空間のことかもしれませんし、心の落ち着く場所かもしれませんし、一緒にいたい人との関係性かもしれません。自分の命と繋がったたくさんの居場所を持つことで、人生は豊かになり、人はもっと生きやすくなると考えています。居場所づくりを通じて、人生を自由に生きる人を増やしていきたいです。

2023.02.09

インタビュー・ライティング | 宮武 由佳
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