自信がないから、結果を出す。 応援される人になるために、できること。

たくあん伝道師の名で、SNSを通じて発信を続ける木村さん。部品メーカーでのエンジニア、SEを経て、実家の漬物会社に入社しました。「目立ちたい」と思いながら、結果を出すことに全力を注いできた木村さんが、今目指す場所とは。お話を伺いました。

木村 彰太

きむら しょうた|キムラ漬物株式会社
1997年愛知県田原市生まれ。愛知県立豊橋工科高等学校卒業後、株式会社ジェイテクトに入社。事業内訓練校に配属され、技能五輪全国大会に出場。全国2位を獲得する。2018年に転職し、銀行のシステムエンジニア、プロジェクトリーダーとしてシステム開発、プロジェクト管理を担当。現在は、家業であるキムラ漬物株式会社にて、営業と商品開発を担当している。

人と違うことがしたい


愛知県田原市で生まれました。目立ちたがり屋で、学芸会ではいつも主役をやりたいタイプでした。実家は、曾祖父の代に創業した老舗の漬物屋です。主商品は、たくあん。祖父の試作した漬物が、食卓によく出てきましたね。自分は漬物があまり好きではなくて、兄がその漬物を食べて祖父に感想を伝えている様子を他人事のように見ていました。

小学校の社会科見学では、うちの工場にみんなが来ました。体育館の垂れ幕にも、実家の社名が書かれていて。漬物や家業への関心はなかったけれど、自分の家はすごいんだと、なんとなく誇らしい気持ちは持っていました。

中学を卒業すると、ほぼみんな地元の公立高校か農業高校へ進みます。でも自分は、みんなと違う世界へ行って、人と違うことがしたいと思いました。目立ちたがりだったし、他の世界を知りたいという好奇心が強かったんです。それで、隣の市にある工業高校へ進学することにしました。兄が工業高校へ通っていて、宿題があまり無さそうだったので、いいなという気持ちもありました。

実力を発揮すれば、影響力を持てる


工業高校では、実習を交えつつ、機械の設計の知識などを学びました。授業は適当に受けていましたが、テストでいい点を取れば、ギャップがあってかっこいいだろうと考え、勉強は頑張りました。目立つために、結果を出すことにこだわっていましたね。

卒業後、もう少し勉強したいという気持ちがあって、自動車部品会社の訓練校へ入ることにしました。社員として給料をもらいながら、勉強できるところです。家業を手伝いたいという思いはなかったし、進路について親から何か言われることもありませんでした。

訓練校では、技能の実力を競う全国大会の出場者に選ばれました。さまざまな企業から出場者が集まる大会で、会社としても力を入れているイベントです。会社に投資され、名前を背負って出る責任感はありつつも、こんないい機会はないから頑張ろうと、前向きな気持ちが強かったですね。

2人1組で競技に挑戦することになり、自分はプログラムを担当しました。めちゃくちゃ練習して、他の作業と並行しながら、速いスピードでプログラミングできるようになったんです。

結果は、出場者約50組のうち7位。3年目のチームで挑んでいる会社もあったので、そこに勝てたのが誇らしかったし、周りもその結果を評価してくれました。大会をきっかけに、商業施設でのPRイベントに呼ばれたり、県外の工業高校で学生に指導したりするようになりました。

その翌年の入社面接では、自分を見て入りたいと言ってくれた子が3人いて、すごく嬉しかったです。実力を発揮して、影響力を持てるのはいいなと思いました。評価されるってこういうことなんだな、と。

一年後、再び大会に挑戦しました。全国大会出場予定の一部の会社の大会ではすべて好成績だったので、これはいけるだろうと自信がありましたね。今度は絶対に1位が獲れると。

大会は2日間かけて行われますが、1日目はボロボロで、この時点で10位。もうどうにでもなれ、という気持ちで、2日目はとにかくやれることをやりました。他社がほとんどできなかった難しい課題を何とかクリアして、10位から巻き返し、結果は2位。1位は獲れなかったけれど、やるだけやったので、後悔はなかったんです。

大会に出場した先輩から、よく「ああしておけばよかった」という話を聞いていましたが、自分個人はそういう感覚が全くなくて。「後悔しないようにやれ」という言葉をよく聞くけれど、やり切れば本当に悔いは残らないのだと、実感しました。

実力が評価される環境へ


訓練校を出た後は工場に配属され、ライン作業を担当した後、機械修理の部署へ異動になりました。先輩は職人気質の人が多く、「背中を見て学べ」というタイプ。みんな忙しくて教えてくれる時間もなくて、いきなり大海原に出されたような感覚でした。甘えもあったかもしれませんが、教えてもらわなきゃ分からないと思っていましたね。要求されるレベルも高くて、これじゃ付いていけない、と。

そんなとき、よく相談相手になってくれていた先輩から「俺の仕事ってどうなんだろう」という話を聞いたんです。めちゃくちゃ仕事ができて、周りの人からも信頼されている人なのに、仕事に自信が持てないと。でも自分も、あまり仕事に前向きな印象を持てていなかったので、その気持ちが分かるような気がしたんです。

また、技能の競技に参加したときから、実力の差はないのに、一年上の先輩と待遇が違うことにモヤモヤしていました。その差を埋めるために必死に残業もしましたが、本当に仕事の質を高めるなら、やったことを評価して欲しいと思ったんです。

結果を出して、それをちゃんと評価してもらえる会社へ行きたい。資格を取れば給与が上がる評価制度があるSE派遣の会社に転職を決めました。

担当したのは、金融システムの分野です。今までとは違う仕事でしたが、やればやっただけ結果が出る感覚があって、前のめりに楽しく仕事ができました。

22歳だったので、社内では一番若手でした。それでも上司がプロジェクトリーダーを任せてくれたんです。年齢が若いので、下に見られることもたくさんありましたが、品質や納期への姿勢など、仕事ぶりが評価されて、見守ってもらえましたね。モチベーションもすごく上がって、頑張れば実力は認められると感じたんです。

自分は何のために生きるのか


仕事には前向きに取り組んでいましたが、次第にもっと楽しいことがあるんじゃないかという気持ちが芽生え始めました。資格をたくさん取ったので、さらに勉強したいという思いもあって、一日一冊のペースで、いろんな本を読み始めたんです。

特に、自分の名前で活躍されている方の本をたくさん読みました。そのうちに「自分は何のために生きるのか」という問いが生まれるようになったんです。

衝撃を受けたのは、福沢諭吉の「学問のすすめ」でした。衣食住だけで満足してはいけない、といったことが書かれていて、給料をもらって生活するだけの人生に、何の意味があるんだろうと考えさせられたんです。ずっと人と違うことがやりたい、目立ちたいと思ってきたのに、振り返ってみると、自分はごく普通のサラリーマンで、目立つ要素は何もないなと気づきました。

またある本では「他人が敷いたレールに乗るな」という言葉と出会いました。どれだけ自分が頑張っても、組織にいると裁量を持って動けない場面があります。お客さんのためにこうしたいと思っても、会社の方針で動けないことに歯がゆさを感じていました。

同時期に、経営学を学ぶため経営大学院にも通い始めました。中小企業の社長や、大企業でマネジメントをする人など、今までの人生で出会わなかった人たちと会話するようになり、経験の差をすごく感じたし、自分は井の中の蛙だったなと思わされましたね。

例えば、企業の成功理由を分析する授業では、経営理念から従業員への教育、出店計画まで、深く洞察して説明できる人が何人かいました。自分もこんな風に論理的に話せたら、コミュニケーションの質も上がるし、人生楽しくなるだろうなと憧れたんです。経営者ってかっこいいな、とも。

裁量を持って動ける環境へ行きたいと考え始めたとき、ふと「実家があるじゃないか」と思いつきました。実家なら、ある程度自分の裁量で動けるかもしれない。家族に相談し、実家の漬物屋で働くことを決めました。

入社後は、工場で勤務した後、営業を担当することになりました。そして、知れば知るほど、たくあんというのは良い商品だと思うようになっていったんです。

ユニークさがあって、何百年も続く歴史がある。取引先を回って話してみると、お客さんの意見もさまざまで、すごくこだわる人もいれば、安ければいいという人もいました。ある取引先から、こだわることが当たり前という話を聞いたときは、その領域をもっと深く知りたいと思いましたし、同時に、安いものが求められる市場のニーズについても、探求したいという気持ちにもなりました。

共感され、応援される人になる


現在は、実家のたくあんメーカーで、営業と商品開発を担当しています。また、たくあん伝道師を名乗り、SNSなどでたくあんの情報などを発信しています。

個人で発信を続けるのは、会社として発信するよりも、いろんな人が共感してくれると考えているからです。人との繋がりが、物事を進めてくれると思っています。

やりたいのは、たくあんを通じて対話を深めることです。たくあんに関わるうち、いろいろな議論や見方があることが分かりました。例えば、着色料は絶対駄目という意見もあれば、きれいな色じゃないと食欲が湧かないという意見もある。食品業界には、こういったさまざまな議論があると思っています。

だから、自分はたくあんというツールを使い、一面的な見方ではなくて、多様な見方を発信できればと思っています。みんなが多様な視点を持てて、対話を深められれば、もっと幸せな世界ができるんじゃないかと。壮大な話ではなくて、半径1メートルの、自分と縁あって繋がった人たちに、そういう世界を提供できたらと思っています。

自分が何をして生きていくか。他の人にないものは何かと考えたときに、行き当たったのがたくあんでした。今は、まずたくあんのビジネスで結果を出したいです。そして、考え方にも共感してもらえたら、と思っています。ゆくゆくは、食品業界の他の中小企業とコラボをしたいですね。歴史があって、いい商品であっても、市場に上手く訴求できていない会社もあると思うので、そのアプローチ方法を一緒に考えていきたいです。

それから、食品に限らず、地元を盛り上げる楽しいことがやりたいですね。商工会の集まりにも顔を出しています。
ずっと目立ちたいと思っていましたが、その根源にあるのは、自信のなさなんです。自信のなさを埋めるために、結果を出さないとと思ってきました。今は、とにかくやってみるという気持ちですね。結果を出して、自分の名前で活躍して、周囲から全力で応援される人を目指したいです。

2022.10.13

インタビュー・ライティング | 塩井 典子
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